『冨岡義勇【外伝】』 を執筆した平野稜二先生の
初連載作 『BOZEBEATS』 を取り上げます。
といっても、レビューはしません。
なぜ打ち切りマンガになってしまったか? を考えます。
かなり辛辣な意見を述べるので、不快に思った方は、
この記事をアンガーマネジメントの練習台としてお使いください。
私は、菊地秀行先生の小説を、ほぼすべて読んでいるくらいですので、
本来、この手の作品――
トンデモ科学 × オカルト = 退魔アクション
――は、大好物なのであります。
ですので、「ボウズ」は、連載当初から期待して読んでいました。
しかし、途中で読むのをやめました。
結末を知らぬことも気にならないまま、ほとんど忘却の彼方でしたが、
今回、「義勇外伝」の掲載を機に、中古で購入し、通読してみました。
なぜ、読むのをやめたのか、あらためて考えるために。
私が読むのをやめた理由は、
「脳が読むことを拒否したから」。
小説の基本中の基本を述べた格言に、
「説明するな、描写せよ」というものがあります。
描写によって成立する文芸作品を、小説と呼びます。
小説とは名ばかりの、「説明文の羅列」に遭遇すると、
私の脳は読むことを拒否してしまいます。
本当に、内容が頭に入って来なくなるのです。
これと同じ現象が、「ボウズ」閲読時にも起きたのでした。
説明文によって書かれた小説の例文を以下に記します。
悪例であることを明示するため、極端にひどい形にしてあります。
例) 俺の名前は○○。どこにでもいる普通の高校生だ。
作者は、この文章で、○○が普通の高校生であることを
表現したつもりになっています。
ですが、実際は、何も伝わっていません。
読み手の頭の中は、
「普通の高校生」って、具体的に、何よ?
と、疑問符が舞い踊る結果となります。
作者の考える「普通の高校生」と、
読者の想起する「普通の高校生」とが、
合致する確率は、限りなく低いでしょう。
読者に伝わらないのであれば、
それは表現として失敗しています。
説明文から描写文へ作り変えるには、まず、
「普通の高校生」という言葉を使用禁止にする必要があります。
その上で、読者から、(コイツ、普通だな)との感想を引き出すためには、
○○について、何を、どう書けばいいのか?
それを考え抜いて、候補を出し、もっとも効果的なものを残して、あとは捨て、
文章として組み立てます。
そうしてできたものが、小説における「描写文」となるのです。
「ボウズ」は、この「描写文」の域に達していないのです。
葉隠先輩が、一般人を盾にされたため、
無抵抗で魑魅にボコられるエピソードがありました。
このとき、葉隠先輩にたすけられた一般人のおばあちゃんが、
「そのお方は… 強い人じゃあ…!!」
と説明してしまっています。
これ、「○○は普通の高校生だ」と同レベルでしょ。
キャラにセリフで説明させれば、
読者もそのとおりに思ってくれると、平野先生は思ってらっしゃる。
こういうことを随所でやるから、読者に見限られてしまうのです。
「義勇外伝」で一番よかったのが、
八重が銃で自死を図ったとき、
父鬼の血が固まったせいで、
引鉄が動かなくなっていたくだり。
鬼と化してなお娘を案ずる父親の想いが、
説明セリフなしに表現されています。
朝日を浴びて、固まっていた血が崩れ去る描写によって、
父の魂が浄化されたこと、八重の心が絶望の闇を抜けたことが、
ダイレクトに胸に伝わってきました。
全編、こういうふうに描けばいいのに。
なのになのに――
このあと、義勇さんが、柱の存在意義について、
セリフで説明するものだから、台無しになってしまう。
「説明文」を描いてしまう悪癖は、抜けていないようです。
平野先生は、すでに高い画力は持っているのですから、
あとは「説明」と「描写」の違いを感覚で掴むことです。
マンガの勉強より、すぐれた小説をたくさん読むことを
重点的に行った方がいいと思います。
(と、偉そうなことを言いましたが、
実はすごい読書家だったら、ゴメンナサイ)
さて――
ここまで述べてきたことは、
私が考察した「打ち切りになった理由」の半分です。
残りの半分を述べる段では、さらに辛辣さが増します。
が、長くなったので、次回へ回します。
続く。



