最終選別のとき藤襲山にいた鬼――

 

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当ブログでは「腕鬼」と呼んでおりましたが、

公式ツイッターでは「手鬼」となっているため、

今後は「手鬼」と表記します。

 

今回は、『鬼滅の刃』 の年代設定について。

単行本のあらすじや、サイトの紹介などでは、

ざっくりと「時は大正」と書かれていますが、

正確には大正何年なのか?

 

手掛かりはこの発言。

 

 

鱗滝さんに捕まったのが、47年前、

慶応年間だったと証言しています。

具体的な数字が述べられているのは、

今のところ、この発言だけ。

 

この発言を手掛かりに、年代を絞ってみます。

  • 1865 慶応元年
  • 1868 慶応4年 / 明治元年
  • 1912 明治45年 / 大正元年
慶応元年に捕まったとすれば、
47年後は1912年で大正元年。
慶応4年に捕まったとすれば、
47年後は1915年で大正4年。
炭治郎が受けた最終選別は、
1912~15年のことと推察されます。
 
最終選別は、物語開始より2年後の出来事。
物語の開始――竈門家襲撃の時点で、
すでに大正時代だったと仮定して、絞り込むと、
竈門家襲撃が1912~13年(大正元~2)、
最終選別が1914~15年(大正3~4)のことだと思われます。
 
疑問は残ります。
手鬼が、明治 → 大正の改元を知らなかったことです。
 
 
手鬼が、選別の参加者に、毎回、
この質問をしていたと仮定してみます。
改元を知らなかったということは、
炭治郎の受けた選別が、大正時代になって
初めて催された試験だったことを意味します。
考察したとおり、選別が大正3~4年のことだとすれば、
大正元~2(3)年の間、最終選別は実施されなかったことになります。
 
ここで問題になるのが、最終選別の開催頻度。
定期的に行われるのか、不定期なのか。
後者ならば、ある条件――受験生が一定数集まるなど――が
整ったとき、行われるのでしょう。
これなら、大正元~2(3)年の間、実施されていなくても、
不自然ではありません。
前者なら、どの程度の間隔で開催されるのか?
手掛かりとなるのは、第130話での義勇さんの発言。
 
「あの年の選別で死んだのは錆兎一人だけだ」
 
この言い方だと、少なくとも年に一度は
開催されていたと受け取れます。
とはいえ、これだけで、毎年行われていたと
結論するのは早計です。
思い出を語るとき、「あの時は――」と言うのと同じ意味で、
「あの年の――」と言った可能性があるからです。
ですが、ちょっと不自然なので、
毎年開催されているものと仮定します。
すると、手鬼が改元を知らなかったことと、
辻褄が合わなくなります。
 
どうにか整合性のある説明ができないか?
捻り出してみました。
 
これはもう、最終選別の会場が複数ある、
と考えるしかありません。
選別自体は毎年行われていたものの、
大正元~2(3)年の間、藤襲山は会場とならなかった。
手鬼は、季節のめぐりから47年という歳月を
数えて記憶していたが、
剣士候補生が来ない年もあったので、
毎回質問をして、年数を確認していた。
――このように考えれば、矛盾は解決しますが、
会場が複数あることを示す情報は作中にないので、
完全に私の想像となります。ご了承ください。
 
 
2018年――平成30年も今日で最後です。
お付き合いくださった読者の皆様に、
感謝申し上げます。
拙いブログをお読みいただき、ありがとうございました。
 
来年は、「鬼滅」のアニメがいよいよ放送となります。
そして、平成が終わり、新しい年号が始まります。
手鬼さんと一緒に、テレビの前で叫びましょう。
 
「アァアアア」「年号がァ!!」
「年号が変わっている!!」
 
【追記】
さらに時系列について考察した記事はこちら。
 
 
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