「戦時死亡宣告」――戦争で国外等に赴き、終戦を迎えた後生死が不明である場合、申し出により死亡と認定する法律が民放の条文にある。
 未帰還者が激戦地に赴いていた、乗船していた戦艦が撃沈されたなど、未帰還である理由が「死亡」である可能性が限りなく高い場合、例え遺体が見つからなくとも死亡したと見なして戸籍から抹消されるのである。
 その中には、満州などに赴いていた兵士の家族等も含まれ、終戦後も帰る術なく中国国内に残らざるを得なかったいわゆる「中国残留孤児」も多く含まれていたとされている。つまり、今も海外で生活しているにもかかわらず、死亡したと見なされて日本の戸籍から抹消されてしまった人々が居るのだ。
 近年になって、そういった人々(女性で現地で結婚し、家族を持っている方が多い)が一時帰国を果たし、親族と再会するといったニュースが続いているが、先月、もと陸軍兵士の男性がウクライナで生存しているとの情報が入った。

 男性は岩手県出身の83歳で、終戦時20歳であった。63年もの間、日本の土を踏むことなく生活してきた男性は、ほとんどの日本語を忘れていた。
 幼少時に海外に移住すると、母国語をすっかり忘れてしまうというのはよくある話だが、20歳になった後に外国に移っても、大抵母国語を忘れることはないと言われている。それでも、半世紀以上もの時を異国の中で過ごしていると、この男性のようなこことになってしまうのかもしれない。それは途方もない時間であることを物語っている。

 失ったと思っていたものが戻ってきた時、人はどれほどの感銘を覚えるのだろうか。それが己の家族だった場合、その計り知れぬ喜びは何と表現したらよいものなのだろうか。
 私の祖父も、いわゆる戦時死亡宣告を受けた一人である。軍艦に乗り込んで千島列島沖を航行中、敵艦と戦闘になり、味方主力船を逃がす為の囮として撃沈された。よって、遺体は上がっていないが、明らかに死亡したと考えることが出来ので、家族も皆生存を諦め、祖母は後に再婚した。
 もし、この祖父が生きていたとしたら、私たちは一体どんな気持ちで迎えるのだろうか。想像だに出来ないのが現実である。