#2共に駆けん、帝の玉座へと



 話は少し遡り、トロットサンダーが球節の骨折で戦線を離脱している頃。馬主の藤本氏はトロットサンダーを中央の厩舎に移籍させる手筈を整えていました。馬体や体質の問題で中央への入厩を断られていた頃とは違い、地方で目覚ましい結果を残した彼をもっと大きな舞台で走らせたいと思うのは、馬主としてある意味必然だったのでしょう。そこで藤本氏は津金澤師に相談なく、美浦の相川勝敏厩舎への転厩の約束を取り付けてしまいました。ちなみに津金澤師はあやめ特別の後、トロットサンダーの転厩の話を急に伝えられたと言います。       津金澤師はこの後、重賞浦和記念へ出走するプランを練っていたそうですが、残念ながらこの話は白紙に。地方独特の緩さというか報連相のなってなさというか…時代柄なのでしょうか。
 しかし移籍に際して一つの問題がありました。それは、『有限会社有匡』は中央での馬主資格を所有していなかったという点。当時、トロットサンダーの所有権…もとい馬主としての名義は、先の藤本照男氏ともう1人、表面上有匡の代表だった石坂久行氏(トロットサンダーを購入した張本人。)との共同名義での法人。しかし後者の石坂氏、というか有匡は中央での馬主資格を所有していなかったため中央に移籍させられないのです。(中央と地方の馬主資格は別のため、中央は中央、地方は地方で取得する必要がある。)
 結果、中央の馬主資格を所有していた藤本氏が有匡からトロットサンダーを「購入した」という建前で強引に移籍を通したのです。これは競馬法に抵触する行為で、所謂『名義貸し』にあたります。(参考:日本中央競馬会競馬施行規定第11条4項)インサイダー取引(内部者取引)みたいなもんです。

 自己の所有する馬の権利を他の馬主に売ったり、買ったりして取引し、走らせる行為自体は現在の中央競馬でもよくある話なのですが(現役馬だとマイネルプロンプトとかがその一例。)、それはあくまで正しい手続きを踏み、尚且つ相互が適した馬主資格を持っているから成り立つ話。早い話が中央競馬の資格を持っていないのに馬主になっているのと同然の状況が出来上がったわけで、これが後に発覚して問題視され、安田記念の後引退する事となった要因の一つとされています。

 かくして鳴り物入り…というわけでもなく(連勝を続けていたとはいえ彼の勝ったレースは大半が下級の条件戦、地方の時点で重賞で暴れ回っていた有名処の移籍勢とは少し事情が異なっていた。)1994年の夏に中央は美浦の相川厩舎に移籍したトロットサンダー。後に彼の主戦を務め全レースの鞍上を務める事になる横山典弘は滞在していた北海道で彼に出会った際、『G1とは言わずともG3なら取れるのでは。』という印象を抱いたとか何とか。


 中央でのデビュー戦は7月の札幌、日高特別。4番人気、鞍上横山典弘で迎えたこのレースでは初めての芝コースながら2着に好走、芝にも適正があることを示します。しかしレース後にソエ(骨膜炎)を発症、4ヶ月の休養を経て12月の中山、美浦特別に出走。ここを好位でレースを進めクビ差で制し、中央初勝利を飾ります。年明けの初富士ステークスも快勝し、初めての重賞中山記念に駒を進めます。
 中山記念では中団後方でレースを進めますが、伸びを欠き7着。距離を1600mに戻しての府中ステークスを勝利するも2000mの札幌記念は中団から早めに脚を使うも直線で力尽き、函館記念も後方3番手で進めるも伸びず両レースとも7着に終わり、距離の壁に当たります。
 もう一度舞台をマイルに戻し、10月の毎日王冠では3着好走。この辺りからマイラーとしての適性が割れてきており、次走の府中1600mアイルランドトロフィーでは2着に3馬身を付け勝利。満を持して初めてのG1、マイルチャンピオンシップに出走します。