プロフィール

Name:トロットサンダー

:ダイナコスモス 母:ラセーヌワンダ(BMS:テスコボーイ)

馬主:有限会社有匡藤本照男 生産:フラット牧場

調教師:津金澤正(浦和)相川勝敏(美浦)

主戦騎手:横山典弘

兄弟馬:カツノビトン、ダイナラセーヌ

産駒:ボタンフジ、トロットテイオー

勝ち鞍:G1:安田記念、マイルチャンピオンシップ G3:東京新聞杯

 

 こんちゃっす。高齢馬が出馬表にいるとつい応援したくなる競馬オタク、Dracoです。

遅咲きのお馬さんって結構いるじゃないですか。有名どころだとカンパニーとかストレイトガールとかオフサイドトラップとか、これはびっくりダイユウサクとか。個人的には『バナナ師匠』の愛称で知られる芦毛のスプリンター、スノードラゴンが好きです。とにかく、年齢のハンデやG1の舞台に辿り着くまでの苦労を乗り越えて咲かせた一花ってとっても美しいと思うんですよね。ましてや栄光をつかむまでずっと応援していたファンや馬券師の方々、何よりずっと側でお馬さんを支えてきた陣営の方々にとってその花は何物にも代えられないでしょう。そんな遅咲きのお馬さんの中でも、苦難や壁に当たりながらも、己の武器を磨いて中央の強豪達に立ち向かった個性溢れる一頭が居ました。

 浦和から訪れし1600mのスペシャリストにして、轟雷が如き鬼脚でマイル路線を席巻した『雷帝』。トロットサンダーです。



​#1 稲光のようなキミは


 父は1986年の皐月賞馬にしてネアルコ直系の血統を持つダイナコスモス。母はラセーヌワンダという血統。この母方の血統、BMSにテスコボーイの血を持っており、テスコボーイは自身の競走成績こそ並ながらもイギリスから日本に種牡馬として持ち込まれた後、産駒として『天馬』トウショウボーイやサクラユタカオーを輩出しており、BMS(ブルードメアサイアー、つまり母の父ということ)としてもダービー馬バンブーアトラスやウマ娘でもお馴染みゴールドシチーやアイネスフウジン、2000年のスプリンターズステークスでシンガリ人気ながら父ダイタクヘリオスを彷彿とさせる逃げで勝利したダイタクヤマトなどがおり、数々の名馬との繋がりを持っています。

 さて、北海道は勇払郡のフラット牧場で生を受けたトロットサンダー。加持リョウジもビックリの波乱に満ちた船旅もとい馬生は始まりました。馬体が充実していたため本来であれば中央でデビューをするはずが、育成時代に負った怪我の影響か肝心の馬体が痩せこけてしまい(その時の馬体は周囲から「痩せた熊」と揶揄されたとか何とか。)中央のどの厩舎からも入厩を断られた背景から結局南関東は浦和の津金澤厩舎に入厩、3歳の7月浦和競馬場でデビューします。参考までに他のデビューの遅かった馬を例に挙げると、デビューから僅か149日で菊花賞馬となったトーホウジャッカルがデビューしたのが3歳の5月末。マイルの皇帝の産んだ快速乙女フラワーパークが3歳の10月末と考えると、如何に彼が表舞台に出るのが遅かったかが分かると思います。

 しかしデビューしてからのトロットサンダーの戦績、まさに稲光が如し。順当に勝ち星を重ね、1994年のヒヤシンス特別を勝利して87勝、21回。当時トロットサンダーが出走していた若武蔵特別とヒヤシンス特別の映像がyoutubeに残っているのですが、典型的な横綱相撲といったレース運びでした。新馬戦などでたまにある「馬単体のスペックが突き抜けており、逃げるか先行していたら勝っていた」というパターンのアレです。もはや浦和には敵なしと思われた矢先、何と球節(人間で言う所の手首の関節の骨。四足歩行の馬がここを負傷すると競走能力はおろか、予後不良になる恐れもある。)を骨折、一時は予後不良も検討されたものの、陣営の尽力もあり放牧と治療の末に何とか競走能力と一命を取り留めて19945月のあやめ特別で復帰します。その怪我から復帰までの期間、実に1年と3ヶ月。競走馬にしてはあまりにも長く、気の遠くなるような時間をかけ満を持して臨んだレースをトロットサンダーは4馬身差で快勝。この復活劇に調教師の津金澤師も目頭を熱くしたと伝えられています。この勝利を最後にトロットサンダーは浦和から中央競馬に移籍。かつてオグリキャップやイナリワンといった地方出身の名馬たちが切り開いた、JRA挑戦への道。トロットサンダーもまた、浦和が産んだ怪物としてその道を進む事となります。