自室のダンスインザダークコレクション




Name:ダンスインザダーク

プロフィール

:サンデーサイレンス :ダンシングキイ(BMS:Nijinsky)

馬主:社台レースホース 生産:社台ファーム

調教師:橋口浩次郎(栗東)

主戦騎手:武豊

主な兄弟:ダンスパートナー、ダンスインザムード、エアダブリン

代表産駒:ザッツザプレンティ、デルタブルース、ツルマルボーイ、スリーロールス、ダークシャドウ

主な勝ち鞍:G1:菊花賞 G2:京都新聞杯、弥生賞

(参考:netkeiba)

 彼に出会ったのは、ある競馬の名実況を集めた何でもない動画でした。当時の私は競馬はにわかも良いところ、精々ウマ娘に出てきた馬とディープインパクト、オルフェーヴルくらいしか知りませんでした。

 しかし、出会いの時は急に訪れました。「おおっとダンス来た!物凄い脚だダンスインザダーク!」。その時の実況はカンテレの名実況メイカー、杉本清アナ。3-4コーナーにかけて脱落した先行馬の煽りを受け、もはや絶望的な前蓋状態。そこから外に出し、燃えるような末脚で一気に突き抜けたあの脚に、あの黒き馬体に、身震いがしました。

「こんなに馬って強くてかっこいいものなのか!」競馬をギャンブルの一つとしてしかまだ見れてなかった自分に初めて、「競走馬」の凄さ、強さ、かっこよさを教えてくれたのが、ダンスインザダークです。

 父は大種牡馬サンデーサイレンス。あっ、種牡馬とかよく分かんないよーって人に分かりやすく伝えるとこの馬はあのディープインパクトのお父さんで、今日本で走っている主な競走馬達のほとんどはこの馬の子孫です。つまりこの馬がいなければディープインパクトもオルフェーヴルもイクイノックスも居ないそれくらい重要な意味を持ったおうまさんなんです。

 さて、このサンデーサイレンス(以下.SS)。種牡馬となって送り出した最初の馬達がとにかくヤバかった。何せ初年度産駒からいきなりダービー馬タヤスツヨシを輩出したのですから。その他にも「幻の3冠馬」と呼ばれたフジキセキ、皐月賞馬ジュニュインなど強豪馬をどんじゃか輩出するなど、「うおっこの種牡馬やばくね?」ってのが競馬関係者はともかく一般の競馬勢にも知れ渡り始めたのです。ダンスインザダークはその2年目の産駒…1993世代にあたります。

 しかも彼の全姉(馬の兄弟関係は母方で決まります。父も母も一緒なら全、父が違うのであれば半となります。)のダンスパートナーがオークスを勝利した事により、彼への期待は高まります。

 鞍上は誰もが知る武豊ジョッキー。しかも彼自らデビュー前に調教に跨った上で主戦に名乗りを上げるなど、後のレジェンドジョッキーも彼に対して大きな期待を寄せていた事がわかります。武豊ジョッキーはダンスの引退までの8戦、全てで鞍上を務める事になります。ちなみにダンスパートナーの勝利したオークスで彼女の手綱を握ったのも豊さんでした。何だか遠からぬ縁を感じますね。

 デビュー戦は12月の阪神競馬場。ここを勝利し、早速G3ラジオたんぱ杯3歳ステークス(現在のホープフルステークス。この時はまだG3だった)に挑戦。しかしここは同じSS産駒のロイヤルタッチ、イシノサンデーに先着を許してしまいます。

年明けて2月のきさらぎ賞。ここもロイヤルタッチに先着を許し、またも重賞を取り逃がしてしまいます。

この頃から、「SS四天王」という括りでサンデーサイレンスの産駒4頭がクラシックの有力馬として注目を集めることとなります。

G1朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチャリティーステークス)を勝利したバブルガムフェロー、先のロイヤルタッチ、イシノサンデー、そしてダンスインザダーク。この4頭がクラシックの中心となるであろうと予想されていました。

 ーー話は戻ってダンスインザダーク。重賞は取り逃がすも引き続きクラシックを目標に、皐月賞のトライアルレースG2弥生賞(勝てば優先的に皐月賞に出走できるレース)に出走します。

道中は後方から足を溜め、ラストスパートで目の覚めるような末脚を発揮、イシノサンデー、ツクバシンフォニーとの叩き合いを制し見事念願の重賞制覇を達成し、皐月賞への優先出走権もゲット。誰もがこの馬が皐月賞で好走するものと思っていました。

 しかしここでアクシデント発生。何と皐月賞の直前にダンスインザダークは発熱。レースを回避せざるを得なくなりました。同期の有力馬バブルガムフェローも骨折で秋までの休養を余儀なくされ、四天王の内二頭が皐月賞に出走できないという事態になりました。結局この年の皐月賞、勝利したのはイシノサンデー。当時の三宅正治アナの実況で「やっぱりサンデー!やっぱりサンデーサイレンス!勝ったのはイシノサンデー!」と言わしめたように、如何にSSという存在が競馬界を大きく変えつつあるかを物語っています。

 さて、発熱でクラシックの舞台に立てなかったダンスインザダーク。目標を5月末の日本ダービーに切り替え、ダービートライアルのプリンシパルステークスに出走。ここを快勝し日本ダービーに駒を進めます。

 日本ダービー当日は皐月賞馬イシノサンデーを抑えて断然の1番人気に推され、大いに期待を寄せられていました。誰もが、「この馬がダービー馬になる」、「この馬で武豊は遂にダービージョッキーになる」と。

 しかし結果はクビ差の2着。勝ったのはダークでもなく、他の四天王でもなく「音速の末脚」「関西の秘密兵器」後にその馬生に準えて「和製ラムタラ」とも称されることになるフサイチコンコルドでした。

 結局この後に予定されていたキングジョージへの出走も白紙となり、ダンスは春クラシック無冠のまま、夏シーズンは休養へと入りました。

 秋の始動戦は10月の京都新聞杯。ここは単勝1.9倍の1番人気に応えて難なく勝利。最後の一冠を手にするために菊花賞へと挑みます。大外枠17番を引いてしまい、荒れた外馬場を走らされるハンデを背負うも、道中で武豊ジョッキーが中団後ろ側で内側を取ったことで良い位置で脚を溜めることが出来ましたが、3−4コーナーで先行策を取っていた馬が脱落。ダンスはその煽りをモロに受け、12番手で最終直線に入ります。陣営も、観衆も、誰もが「ここまでか」と、彼らの敗北を悟り、実況も「ダンスピンチか!ダンスインザダークは馬込みでもがいている!」と叫びました。しかし、「彼ら」だけは諦めていませんでした。最終直線、必ず前の道は開くと信じていた武豊はギリギリまでダンスの末脚を溜めることに専念し、開いた道で末脚を炸裂させる。彼の思い描いた通りに道は開き、馬群を一頭凄まじい末脚を繰り出して突き抜け、念願の戴冠。鞍上では飄々とクールに振る舞う武豊ジョッキーも両手で何度もガッツポーズ。人馬一体、執念と情熱で掴み取った勝利でした。後に「ダンスインザダークが消えた!」とも、「闇に舞う閃光」にも例えられた、乾坤一擲の鬼脚。その上がりタイム、当時の長距離レースでは驚異の33.8秒。(参考までに2023年の菊花賞馬ドゥレッツァの上がりタイムが34.6秒)控えめに言ってバケモンです。

 しかし翌日に屈腱炎が判明、わずか8戦のキャリアながら波乱と挫折に満ち、最後の最後に凄まじきパフォーマンスを発揮して栄光を掴み、底の見えなさ、インパクトたっぷりの豪快な姿を見せた後惜しまれつつも引退、種牡馬となりました。

 さて、ここまでダンスインザダークについて長々と語ってきた訳ですがダンスって馬体も顔も流星も名前も全てがカッコいいし主戦武豊で花もあってそこもまた素敵なんですけど私個人としては何よりも執念深く、どんなに困難が襲いかかっても、諦めずに足掻いて、足掻いて、最後の最後に栄冠を勝ち取ったあの姿が忘れられないというか、そういう見栄とか身分とかをかなぐり捨てるかのような諦めの悪いとこが好きなんですよね。一見血統も鞍上も生まれついてのスーパースターなんですが、その実彼の馬生は挫折と困難に満ち溢れてました。皐月は熱発で回避、ダービーもクビ差で届かず、彼自身も陣営も、臥薪嘗胆の時期が続いていた事と思います。厩舎としてはダンスほどの素質馬を預けてもらって無冠で終わらせる訳には行かない。何としてもG1を勝たせてあげたい。そんな葛藤を越えての菊花賞だったと自分は解釈しています。とはいえ大半は過去の記事を踏まえた私の憶測混じりではありますが

 当方、アニメもゲームもラノベも色々触ってきたタイプのオタクなんですが、いろんなコンテンツにいろんな推しがいる訳であります。そんな愛すべき推したちには色々と共通項があるんですが、その中の一つが「「「とにかく不器用で、泥臭い」」」という事。

…………はい、ここで多くの方の顔がstorm cat…じゃなくてspace catになったと思うのでウマ娘で例えて説明します。

 ウマ娘で当方、ネオユニヴァースが推しなのですが、ネオユニといえば頭が良すぎるが故に普通の会話が出来ない、難解な用語を使うことでしか会話ができないというキャラ付けになっています。しかし、レースや普段からのコミュニケーションを通じて他のウマ娘たちやトレーナーとも解り合おうとする、彼女にとっての大きな関門である「GATE天皇賞春を超えようとする。その姿にどこか人間臭さや、困難があっても足掻こうと努力する泥臭さを感じるのです。つまりは「困難を越えようと頑張っている子や、立ち向かおうと勇気を出す子」が私の性癖なのです。

 まあ早い話が、諦めずに泥臭く立ち向かい、最後に栄冠を勝ち取ったダンスインザダークの姿、そして鬼脚に中の人はおもくそ脳を焼かれたわけであります。そんなダンスインザダーク、私の永遠のラブにして、最高のヒーローです。