僕らが普段の生活で使っている言葉、喋っている言葉。
それは日本語。
日本で使われている言葉だから日本語。
主にアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで暮らす人たちが喋っている言葉が英語と呼ばれています。
当たり前ですって?
でも、そこには普段あまり日本人が意識して区別しないはっきりした境界線があるのです。
「ラジオ」は何語でしょう。
この答えがその線を教えてくれます。
「ら じ お」。
今あなたはそう読みましたよね。
「ラジオ」は、日本語のカタカナ文字であるため、
その文字を知っている人が読むと、
「らじお」という日本語の発音が出てくるはずです。
では、「レィディオ」は何語でしょうか。
「れぃ でぃ お」。
「レィディオ」も、日本語のカタカナ文字であるため、
それを読んだ言葉は日本語になります。
では、「radio」はどう読むでしょうか。
「れぃでぃお」?
Rの発音は確か巻き舌だったよな。舌を口の中のどこに当てないようにして、ぐーっと舌を手前に巻いて。。。
ナーンダ知ってるよって?
では、もしラジオの絵を見せられて、これはなんでしょうって聞かれたら?
どうでしょう。日本人であれば「らじお」って言いますね。
英語を喋る人たちがいたら、「radio」。ポルトガルでは「rádio」。
世界中の人が、彼らの言葉でそれを発音する。
同じ絵を指すのに、私たち日本人が使っていない音、例えば「巻き舌R」を使ってそれを呼ぶ人たちがいます。もっと違う音を使ってそれを呼ぶ人たちもいます。
それが、日本語と他の言葉を分ける境界線です。
だから当たり前だって?
でも、英単語を口にする時にその境界線を越えるということを意識して言葉を出していますか?
purpleやseatと口にする時にその線を越えて戻らない意識がありますか?
少なくとも私は、学校教育を受けていた時も、大人になってからも、「ぱーぷる」と発音したらそれは日本語を喋っているという事実を意識していませんでした。
気づいてみると、そこには 線というよりも壁が建っているくらいはっきりと隔たる違いがある のに。
つづく。。
次回はその壁を超えた時の話を書いてみようと思います。