東北地方太平洋沖地震ならびに長野県北部,静岡県東部地震で


被災された皆様へ謹んでお見舞い申し上げます。


被災地の方々のご無事と一刻も早いご復興を心よりお祈り申し上げ


ます。





今日仕事で付き合いのある、北日本銀行の行員に連絡が出来た。


彼は10年くらい前に北日本銀行青森支店から東京支店へ転勤


し、私の会社の担当となった。


出身は津波災害のあった山田町出身で人懐っこく山田町は魚が美味


しいと私によく自慢していた。


彼の実家は漁師なので、家から送られて来たアワビを食べるるのが


楽しみの一つであった。





その彼が昨年より実家に近い、北日本銀行山田支店へ赴任した。


赴任した後も度々電話連絡を取っていた。内容は新し職場、そして


彼には美人の奥さんとまだ小学校低学年の可愛い娘さんがいて、ノ


ロケ話しを私にしていた。





そして今日、震災後初めて彼の携帯電話につながり、状況をほんの


少し聞いたが想像を超える話しばかりで驚愕した。


山田支店は店内は水浸し、本人は屋上に上がりやっと命からがら


逃げたとのこと。


ただ奥さまと娘さんは未だ行方不明らしい。


1日も早い発見を願っている。


しかしながら、あらためて人間は自然に逆らえないものだと痛感した。





私に出来ることは知れているが、何か出来ることを考えたい。


小さいことだが、節電や寄付、そして買占めは止めようと思う。





競馬の収益金の一部が被災地に寄付されるらしい。


電力や交通手段の問題もあるが、このような時こそ馬券を発売して売上


が増え、義援金が少しでも被災地のためにって欲しいと思う。













与那嶺要元中日監督が先月末に亡くなった。


私にとって与那嶺監督は特別な存在であった。


勿論、現役時代の与那嶺選手は知らないが、昭和47年にドラゴンズの


監督になってからは丁度私が野球に興味を持ち始めた時期に重なって


いたので、ドラゴンズファンの私にとっては神様のような存在であった。





そして、絶対忘れもしない昭和49年、中日ドラゴンズが20年振りにセ・


リーグ制覇した年である。


星野をはじめ、松本、三沢、鈴木、稲葉の投手陣、打撃陣も谷沢、井上、


マーチン、高木、木俣と豪華布陣を束ねて与那嶺監督が優勝を決め


宙に舞った。





与那嶺監督の温厚で理智的な印象が強いが、ネットや書物によると熱い


人だったようだ。


特に巨人の川上監督には相当なライバル視していようだ。


特に昭和49年川上率いる巨人のV10を阻むと、「とうとうやったヨ、哲やっ


つけたヨ。Happyネ。長い間日本にいて良かったヨ、本当に良かったよ・・・」


と大はしゃぎしていたという。





ご冥福をお祈り申し上げます。





♪僕もあなたも願ってる いのる気持ちで待っている それはひと言優勝だ

与那嶺監督の胴上げだ がんばれがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!!

がんばれ! がんばれ! ドラゴンズ! 燃えよドラゴンズ!!♪





リーチザクラウン 3着 1:46.4


勝ったヴィクトワールピサ以外では一番強い競馬をしていたと思います。


次はニシノフラワーが勝った読売マイラ―ズカップ。勢いのまま安田記念


制覇へ!


夢はどこまでも広がります。





ドラのブログパドック
その1


ドラのブログパドック
その2


ドラのブログ
馬場入場です。


ドラのブログ気合いを
付け、返し馬


ドラのブログいい、
スタート!


ドラのブログ
周目のスタンド前です。


ドラのブログ
正面、後ろから行ってます。


ドラのブログ
角、外から・・・


ドラのブログいいぞ、
追い込め~


ドラのブログ良く
頑張った、リーチ!


ドラのブログ人馬
ともにお疲れ様!
















ブランドアンヌ、父:ファーストドーン、母:テシオシロー。


私の記憶ではローカルに強かった。5勝のうち、未勝利戦を東京で勝って


からは残り4勝が札幌か函館であった。





特に900万条件で特別戦を連勝、臥牛山特別では3馬身ちぎって快勝、


潮騒特別では後のAJC杯や金杯を勝ったトウショウファルコに勝ってい


る。





ブランドアンヌの父はファーストドーン。西山牧場にとっても所縁のある


ファーストドーンに華麗なる一族のミスマルミチを配合して産まれたの


がシンザン記念を勝ったシルクテンザンオー、シルクとミスマルミチは西


山牧場で繋養されていた。


そのシルクテンザンオーからカーネーションCを勝ったのブランドピートを


出し、母父としてニシノシタンが出て母系に名を残した。





ブランドアンヌの馬名が気になっていた。そう、当時私はウルトラセブンに


出ていたアンヌ隊員という綺麗な女性とダブらせていたのだ。


きっとブランドアンヌもナイスバディーなのだろう。










ドラのブログ









サンケイ大阪杯表彰状








ニシノライデン私にとって競馬の原点の馬だ。ライデンから受けた衝撃は未だに大




きい。






ニシノライデンは私の印象では速い競走馬よりは、強い競走馬だった。






同時期に活躍していたライバルにはシンボリルドルフ、ミホシンザン、ミスターシー


ビー、スズマッハ、ギャロップダイナ。今名前を聞いても鳥肌の立つような連中ばか


りだ。






 






そして強いばかりでなく特徴のある競走馬であった。斜行癖があり現在の降着制


度を作ったのもニシノライデンだと言われている。






それだけ見る者にも強い印象を与え忘れられない名馬となった。




 






 






私がライデンを見た最初に強いと思わせたレースが1985年に行われた有馬記念。






シンボリルドルフが海外に行く前の壮行レースのような感じで人気も実力も断トツ。






ルドルフ以外の馬は半分あきらめ気分で2着を如何に取れるかと見えてしまうよう


だった。






だがニシノライデンは違った。内からルドルフを負かしに行く競馬をしていたように


見えた。






さすがにルドルフは力が違ったが2着のミホシンザンには差の無い競馬をした。思


わずライデンの強さに私は唸った。




 






 






次にやはり強さを感じたのは1987年、長期休養明けの第2戦のサンケイ大阪杯。






鞍上は田原騎手に変わり、ライデンは離れた3番人気。






ライデンは前々で競馬をして直線に入り楽に抜け出し。1番人気の天皇賞馬クシ


ロキングを子ども扱い。






杉本アナが「やっぱりこの馬ものが違う!やっぱりこの馬ものが違う!」というよう


な実況だった記憶がある。






そのレースの杉本アナの実況が忘れられないし、西山牧場ファンとしては誇らしげ


でもある。




 






 






今では悠々自適に西山牧場育成センターで過ごしている。






ずっとずっと長生きして欲しいと切に思う。