回復をするために
どの場所やどんな環境を
選択するかは大切である
この記事は
「断薬して夢をかなえたい人たちへ」の
番外編になる
向精神薬の影響から
回復したい
そのために
回復や断薬をした
当事者から話を聞きたい
そんな思いが叶えられる場所は
当時は非常に少なかった
当時は向精神薬の依存症など
ほとんど医師も含めて
誰も知らず
他の当事者から
誰も信じてくれないとの
話をよく聞いた
ただ
私自身の経験では
話した対象者は
全員が信じてくれたのだが・・・・・
多くの断薬を目指す人が
身内にさえ信じて貰えず
孤独な状況にあった
そんな中
私の知る限り
当事者が主催する会場が
横浜で1ヶ所だけあった
他の当事者のため
そして自分のため
これを拡げようとした
それから1年余りで
東京3ヶ所
神奈川2ヶ所
福岡、香川、大阪、愛知、静岡で開催され
青森や千葉でも準備していた
同時に問題も大きくなった
どんな組織でも
トップの器より大きくはならない
会社に例えると
社長の器より
会社は大きくも良くもならない
1ヶ所のみ半年の期間を経て
参加メンバーの共同主催の形にしたが
他は全てファシリテーター個人に任せた
ファシリテーターの質が
その会場に来る当事者の
回復の度合いに大きく影響する
そもそも
十分な支援が無ければ
開催することさえ
難しい会場さえあった
本来なら
その場で大きく回復した人材は
次に来る人のために
申し送りするのが理想だが
熱心に参加して
回復に道を歩む人ほど
断薬できないメンバーの非道さをも知る
ある程度の回復で
離れることが常態化し
申し送りの理想は
早くも崩れた
MDAAの中に
計画も何もなしに
アホみたいに拡張を促し
後は我知らず何もしない
幹部がいた
会場によると
単に傷を舐め合うだけで
何も回復には
結び付かない所も
出来てしまい
多くの会場を
断薬して2年
復職して1年の
微妙な時期に飛び回った
そろそろ限界であった
無理な拡張は控えるべき
そんな意見も言った
そんな中
ひとつの会場を主催している
ファシリテーターが
突然
私がストーカーだと放言した
元々の精神疾患が
怪しい人物であったので
そこはあまり驚かなかった
MDAAの運営は大混乱に
陥ったが
一応
2年半も経ってからだが
謝罪も受けた
これはきっかけに過ぎない
腹立たしいのは
MDAAの他のファシリテーターや
その時点で積極的に
参加している古参メンバーだ
MDAAが大きな混乱になる中
誰もそれを解消しようとしなかった
解消どころか
放言により私自身ができなくなった
ことの代行さえほぼ断られた
解消しようと動いてくれたのは
超遠方に住む2人だけ
1人はMDAAに一度も参加してなく
1人は臨時開催時に一度だけ
参加した人物だ
これを解消しようとした努力は
孤独な闘いだった
孤独な闘いを続ける当事者に
『私達はもう独りじゃない!』という
宣言を元に
当事者を「仲間」と称し
一緒に寄り添いながら
回復を目指すことを主としていた
MDAAだが
実態は何も行動に移せない
助けるべき「仲間」を
ほったらかし
自分の保身のみを
第一優先にする
メンヘラの集まりに過ぎない
何かあれば
見ざる・言わざる・聞かざるで
知らんぷりを
決め込む人の集まりだ
果たしてそんな場所や環境で
回復を目指せるのか?
残念なことに
そんな態度では社会に出て
信頼を得られず
まともな社会生活はできない
だから
向精神薬のことを
誰に話しても信じて貰えないんだ
と合点が行った
そして
それがMDAAで回復を目指す
限界でもある
ならば
一部の本当に回復を目指す
少数の当事者以外からは
一定の距離を取り
一般社会の中で
回復を目指そう
そう決意するのは
自明のこと
それが断薬2年前後のこと


