小学校受験は親の受験、

とよく言われますが、

受験を終えて、これは本当にそうだと思う。

 

アメリカの友人に、

日本でのお受験について話したら、

すごく面白がっていました。

子どもに筆記テストや面接や絵画などの課題を課すのって、意味ある?って。

たしかにそう。

 

アメリカでは、名門小学校に入学するのに必要なのは、

信頼できる関係者からの(親の)推薦状のみ、

だそうです。

子どもの能力は関係なし。

それこそ、100%、親の試験です。

 

この事実って、ある程度、学校側のホンネを語っていると思います。

学校としては、

幼稚園年長の時点での子どもの

ペーパーの点が多少低かったり、

面接で落ち着かなかったとしても、

たぶんそれは後々十分挽回可能な可能性が高い、

些細な問題で、

それよりも、

ある程度”ちゃんとした”親がいる子どもに

入学してほしい、

って思っているんじゃないかと思います。

 

”ちゃんとした”というのは、

学費が払える、とか、社会的な常識がある、とか、子の学習に気を配れる、とか、

要は、最低でも学校の運営に差し支えない、

プラスアルファ、できれば、

学校の評価を高めてくれることに貢献してくれそうな家庭

ってこと。

 

だから、親が

こういうことを学校側に上手にアピールできたら、

それはもう、半分合格したも同然、

だと思う。

これは面接中に痛感したこと。

 

子どもの筆記テストや、面接や、絵画などの課題も、

究極的には、

どれだけ親が子供にエネルギーを割けますか、ってことを

尋ねられている。

 

子どもにも得意不得意があるし、

全部満点じゃなくていい、

でも、そのいくつかで

「努力の痕跡」を学校側にうまく見せることが

親の役割なんじゃないかと思います。

 

そう思うと、

極端な話、子どもがボンクラでも、

親の力で

子どもにある程度ゲタを履かせられるのが、

小学校受験特有の大きな特徴だと思う。

 

うちの子どもは勉強が苦手だったけど、

「ちゃんとした家庭の子」という印象づけを

親がかなり必死に頑張った。

結果、総合評価としては、

まずまずだったんじゃないかと自惚れています。

 

中学、高校、大学と、大きくなるにつれて

親が子どもの受験を手伝える割合は下がってゆくけど、

小学校受験は、体感として、

親が半分くらい手伝える。

 

うちは共働きだし、

子どもが勉強ギライだったので、

時間も労力もそこそこしか受験にかけられなかったけど、

そんなに馬鹿正直に向き合わなくても、

上手に”みせる”ことができたら、勝ちだと思う。

 

よく、共働きは小学校受験に不利、というけれど、

確かに子どもにかけてあげられる時間が限られている分、

ペーパーは不利だと思う。

でも、

ペーパーは試験の一部でしかないし、

例えば親の作成する願書や、面接や、

試験前に親が授ける子どもの心構えなどは、

むしろ社会人としての経験が豊かな

仕事しているお母さんの方が、

有利な面もあるんじゃないか。

 

受験を親のパフォーマンスの場と割り切って、

上手に良き家庭をアピールする

 

案外こんなことが小学校受験の肝だったりして、

と思っています。

 

親が頑張って合格するなら、子どもに合格をプレゼントしたい。

親が手伝える試験のうちに、手伝いたい。