とうとう2月に入り、

 

今月私は還暦を迎えます。

 

さまざまな困難や楽しみに

 

良い人生だったのか、悪い人生だったのか

 

悩み苦しみ、うつ状態からの脱却をはかり

 

目指すところは、万物、万人への感謝。

 

これは、自分自身が幸せな状態でなければ

 

完成しません。

 

 

無理にこじつけて幸せにしたとことで

 

自分をごまかすのではなく、正直な気持ち、

 

どうだったのか?

 

 

生死の境を経験して、不思議な夢を見て

 

”すべての事象に結びつくヒント"がその夢には

 

紐づいていました。

 

時代背景も高度成長期に生を受けたのも偶然であり

 

幸運だったと思います。

 

 

自身の生命の危機、大切なものを守れなかった精神的な苦痛。

 

信頼したものから裏切られた苦痛。

 

肉体的な苦痛、困難、金銭的な困難、それらの意味することは

 

いったいなんだったのだろうか?

 

 

相対して、さまざまな評価、能力、そして、自分の知らない世界

 

それは、大きな愛情に守られている。

 

感謝の気持ちが生まれる理由、それは、あらゆる苦悩を経験していても

 

還暦まで”生きている”ということから生まれています。

 

 

高度経済成長期は刺激にあふれて、さまざまな困難を凌駕する

好奇心をあおり、誰も頼ることが出来ない究極の孤独な状態でも

”心頭滅却すれば火もまた涼し”のごとく、苦難を忘れ夢中になれ

気が付けば、すべての夢だったことが実現して、それは本当に幸せだったのか

夢が幸せとは限らないという無限ループの苦悩の奈落に落ちて

過去も未来も、すべてはあの夢の通りであり、

究極は気持ちよく目が覚めるというところに向かっています。

 

極貧状態だった私は、マイホームがどうしても欲しかったのです。

 

アマチュア無線の趣味に始まり、みんな大きなアンテナをつけて

持ち家でしたが、おんぼろアパートで少年だった私は”ホイップアンテナ”

だけの運用でした。それでも、声変わりしていなかったので女性と間違われて

大人気で”パイルアップ”(無線用語でなかなかつながらない状態です)でした。

 

友達の家に行けば、大きなオープンリールのオーディオデッキがあり

楽器も豊富にあり、どうしてうちは貧乏なんだろう、と何時も思っていましたが

目新しいものに好奇心旺盛な私は、さまざまな再現をガラクタを集めて遊んでいたわけです。

秋葉原に行くにも電車賃すら惜しむほどの貧乏。

 

しかし、父親に蒸発されてヤングケアラーだった私に大学に進学できるほどの

経済力は無く、明日の飯にも困る状態だったので、喫茶店で”男の娘”として看板娘で

学校もバイトも、家事も子育ても、そして企業売込みをしながら

時代の潮流に乗れば高卒でも稼げると自信があって、事実大卒でも取得困難な資格を

独学で取得し、20代で大企業の大卒給与を上回る年収1千万越えを実現しています。

 

ギフデットだの、ヤングケアラーだの、トランスジェンダーだの当時はそんな言葉すらなく

ただただ”変わり者”としてずっと”寡黙で借りてきた猫状態”で”人生の片隅にしか生きられない”

”人ならば大学ぐらいいける”と人扱いですらありませんでした。

 

当然、苛められれば嫌ですし、見下されれば腹が立ちます。しかし、事実なので

私は自己の強化しか道はありませんでした。そういう人たちはきっと”表面しか見れない人”

として気の毒に思って、私を勇気付けてくれたのは”ブラックホールですら観測しようとする”

人の存在です。そう、そういう人にだけ、私が見つかれば私は生きていけて

実際に還暦まで生きてこられた。

 

当時、バブル崩壊前は”土地神話”というのがありました。

”借金をしてでも土地は買うべき””いざとなれば売ればよい”"人に貸せばよい”

”土地を担保にお金を借りることも出来る”

 

しかし、大手に勤めていても高卒では何年たっても頭金すら貯金ができない

計算でした。そこで”頭金を作るために” 投資マンションを購入したのです。

今では当たり前ですが、当時はまだ目新しい”家賃保障”が成されていて、

少ない持ち出しで資産形成が貯金より早く達成できるということでローンを

組んで購入したのです。

 

その他、地方の土地が大企業が誘致するということで、家を建てて売却して

利益を得るという”頭金を作るための”投資を行ったのです。

将来の資金作りに前向きで必死で積極的だったわけで

 

そう、そこから悪夢の"バブル崩壊”。売ってもローンの残債は清算できない。

維持するしかありませんでした。やがてマンションの過剰供給となり

賃貸保障も崩壊、業者は逃げてしまいました。

 

ところがどっこい、そのころ私は大企業からベンチャーへ給料は2倍に跳ね上がり

賃貸保証が無くても維持できるほどの収入となったのです。

やがて、結婚することとなり、資金は結婚費用で使ったため、新たに賃貸に住んで

いましたが、やがてベンチャーもバブル崩壊の波が押し寄せて

解散となったのですが

 

ところがどっこい、外資系から年収1千万超えのオファーがあり、

マンションローン、土地ローンがあっても、自宅(中古マンション)

ローンも通過するほどの収入となったので、自宅購入となりました。

その時、すでにローンの支払いだけで30万を超えていましたが、十分な

年収でした。

 

ところがどっこい、外資系は半導体産業の吸収合併にあい、

日本撤退となり、急遽国内で仕事を探さなければとなったのですが

引く手あまたの状態であったため、国内でも同じ年収を維持できる

”受託案件型”の仕事をこなし、複数件の派遣も掛け持ちで行い

国内でも年収は維持できました。

 

ところがどっこい、資産価値は上がることが無く、どんどん低下

10分の一まで下がりました。つまり、価値に対して10倍近い

ローンが残ることになったのです。

 

しばらくはそれで続けられたのですが、リーマンショック

東日本大震災の影響による部品供給不足によるプロジェクトの中止など

電気電子業界全体の案件は減少、やがて支払いが困難となり、

民事再生にいたりました。

 

ところがどっこい、派遣も受託もやめて大手国内企業から

年収1千万は無理だけど700万であれば専属で中途採用のオファーがあり

契約社員の形態で採用されました、それでも高待遇なのです。

 

それで安定するかと思えば、業界全体の衰退によって事業部解体となり

再び、職を探すことになったのですが、”ブラックホール”は観測され続けます。

中小企業ですが、部長待遇の好条件で採用、その時は10年前、50歳を超えて

採用されるという奇跡です。そして現在に至ります。

 

結局、すべてのローンは残ったまま、売れるタイミングなどはまったく

来ませんでした。投資マンションは民事再生の時に叩かれてローンはほとんど

下がらず、物件だけが競売で売却されましたが、地方土地は企業が誘致する

予定がリーマンショックなどの影響で頓挫し、”限界負動産”として

何の価値も生み出さない”固定資産税だけを払う財産”と化して今も残っています。

 

自宅と、その土地は財産として残ってますが、ローンは定年後の75歳まで続きます。

 

このままだと老後破産確定です。

しかし、会社の私に対する評価は非常に良いため、私がくたばらない限り

75歳まで働けそうですが、会社自体が無くなればそれもなくなります。

 

不動産のローンは数十年単位なのに対して、収入面の変動は数年単位で

行われます。

 

その波の不整合がどこかで破綻を引き起こすのですが、

私が減った分の収入は、妻が稼いでくれています。

自宅は何とか維持していますが、もともと中古なので修繕費が時々

リフォームとしてかかって来ます。

 

パートで私の1000万から700万位に下落した分300万を補わなければ

ならないのでそれは大変なことで

ダブルワークなので、顔も合わせない生活となっているんです。

 

マイホーム、だけど まるで独身生活。これもすべて自分のせい。

 

寝に帰宅するだけの家のために、どれだけお金をつぎ込めばいいのか?

 

妻には頭が上がらないので、すべての家事を私がこなしています。

 

そう、それもヤングケアラーだった私だから何とかなっている。

困難が人生を救っています。

 

これが夢見たマイホーム?

 

いや、ぜんぜん違う。そして老後も資産どころか

 

負の資産、。今、一番の鬱の要因はこれなんです。

 

あ、でも夢の通りだとすればこれで死ぬことは無く

気持ちよくなるはずだから、これも勉強なのか

 

奇跡は起こるのか?

 

もしかしたら、このことそのものが、奇跡なのかもしれない。

 

そう、今もなお、マイホームに住んでいる

ただ売れないだけ、というだけが奇跡なのかもしれない。

 

75歳でローンが終われば、ってそこまで生きている気がしないんですけど。

 

さあ、どうなるかわくわくします。

失われた30年だろうが、ブラックだろうが耐性は完成されてますわ。

 

やっぱり変わり者ですね、満身創痍ですけど。