日々、報道される被災地の過酷な状況に

 

心を痛めています。何か出来ることはないのかと。

 

一方で、過酷な状況の中、支援する人や現地で活躍する人を見ると

 

世の中は悪いやつは少数で、

 

”報道される悪い人”のイメージが植え付けられて

 

同様の見方をしてしまう、偏見も世の中に生じてしまいます。

 

バイク乗る人が暴走族に見えるように、一部の”悪い人たち”が

 

他の仲間を偏見にさらします。

 

喫煙者も、マナーが悪い人のためにすべての喫煙者が偏見にさらされます。

 

 

私の一生は、”一般常識の偏見"との戦いでもありました。

体が小さく、喘息の発作持ち、高校生の時には”女性になりきった”トランスジェンダー”

だったため、付いたあだ名も散々なものでした。

また”母子家庭”という状況で、”ヤングケアラー”でもあったため、それだけで

仲間になれないことも(もっとも私は孤独を好んでいたので、ぜんぜん熱くなかったのです)

あり、私自身は気にしていないのに、今から観察すると相当差別的な扱いだったように見えます。

 

一般常識は私に戦いを挑みましたが、私は”人を怨むことは一切しなかった”なぜなら

もともと”生命体すべてが”かわいいと感じてしまう、その心が真にあったため

”その一般常識とやらに挑戦し続けました”その結果、

還暦を向かえ、ようやく常識的なおっさんになれたことは大変幸せを感じるのです。

すべての一般常識を打ち破って手に入れた”普通の人”なんです。

 

若いときはバブルの真っ只中でした。結婚するには800万円ほど貯金が必要とか

高学歴、高収入、高身長、いわゆる3高といわれる常識があり、私は結婚をあきらめていたんです。

しかし、家族を持ちたい、私こそは親父のように家族を裏切らない、しかしそんな一般常識では

私はあるか足元にも及ばず、常に惨めでした。

 

まず、明日の飯にも困るような貧乏、貯金などは出来ないばかりか、家には借金がある。

その返済のため、母親は働きづめ、体も壊し、幼い弟の面倒は私が見るしかありませんでした。

しかし、この世に生を受けなかった心の中の妹の知恵で、すべての家事、子育てが難なく出来たのです。不思議ですよね、科学で説明できないのですが、教えられたわけでもなく、心の中の妹との会話で出来てしまうのです。

 

必要な能力は”女性”の能力でした、気が付くと体が華奢で、長髪、おとなしくか細い声で

声変わりも遅かったため、女性そのもので、見た目も”ボーイッシュな少女”のようでしたので

勘違いされて、バイト先では何度と無くおっさんから告白されましたが、断りましたww。

女子との話も同年代の女子ではわからない”子育て”の知識、ミルクやおしめ交換など

また”かわいい”という共通の気持ちで人気がありました。

 

そこで、男子からは苛めの対象となりましたが、”かわいすぎたww”のである程度で

自分自身がしていることが男として惨めになったのか、一線を越えることをしませんでした。

時々、”最近の若いもんはちゃらちゃらしやがって”という”偏見”のおっさんに叱られましたが、

当時は”ヤングケアラー”なんて状況は理解されず、一般常識の偏見でしか判断されませんでした。

 

ちゃらちゃらしてるんじゃなく、子育てしながらバイトして、真面目に欠席せずに通学し、

子供の面倒を見ながら将来のため自分自身で開発して企業に売り込んでいる”というのが

私の実態だったにもかかわらず、見た目だけで判断されました。

 

まあ、見てろよ、でも、うわべしか見れない程度の人間はこっちから関わらないから

”当たり障りの無い対応”で大人な対応、”にこっつ”と愛想を振りまけばアイドル差ながらの

外見だったので、”でれでれ”するんで、逆にそれが武器と判り、ますます女っぽくなったのです。

喫茶店のママがいたづらに私に化粧するもんだから、学校でも不良っぽく見られました。

しかし、成績は何時も良かったので、学級委員にもなり、”人気者”でもあったのです。

 

しかし、社会人になるにはやっぱり”男らしく”しなければならないと思い、

弟が就学できるようになったころ、頭を坊主にして”体を鍛えるため”最も

厳しいスポーツクラブ、応援団などまさに見た目を変えて精神まで変えたのです。

トランスジェンダーは中学後半から高校生の時だけで社会人ではどんどんいかつく

なっていきます。

 

社会人のたしなみ、酒、タバコ、24時間戦うこと、それがバブルの時の一般常識でした。

喘息もちの私はタバコなどもってのほか、しかし洗礼を受けざる得なかったのです。

おかげで酒もタバコも強くなって、正面から戦って制覇したのです。その時の一般常識、

さあ、今ではどうですかね。

 

それからも偏見との戦いは続きます。大企業には”学歴、学閥偏重”の暗黙の了解があり

いくら訓練校のトップであっても及ばないものでした。飲み会ではマウントの取り合いで

私はばかばかしくなって何時も借りてきた猫のようだったのですが、

ある時、思ったのです。この人たちは何のために大学に行ったのだろうか?と。

見栄を張るためなのか?でも、会議での発言も私は抑制されてしまうけど自由に出来るし

私ならもっと違う提案が出来る、と何時も思っていました。

 

飲み会の時に、私はどこの大学で、どこの学部かを聞かれたのですが

高卒であることを表現すると、笑いが起こり、”人ならば大学ぐらいいけるだろ”

という言葉に私は火が付き、この人たちでも取れない資格にチャレンジしたのです。

 

つまり、”人として見られていなかった”のですね。

そんな大企業で私はたいした活躍も発言も出来ない、ならば改善提案で

毎年表彰を受けよう、と決心して毎年表彰を受け、試験にも合格、

そうこうしている間に、ベンチャーから2倍の給料で引き抜き採用となったわけです。

申し訳ないが、すでにあなたたちの給料を超えた、と思いました。

 

そもそも、私は見栄を張るために大企業にいった訳ではなく

”一般常識と体力”を付けるために行ったのに誰もそのこと引きが付いていませんでしたね。

私は”ださくて惨めでなければならない”のです。

でも、さらに私は”もともとが大学に行く必要も無く社会でやっていける”と知っていましたから

大企業を去って、ベンチャーに行きました。

 

周囲はかなり反対されましたが、私は自分自身を知っていました。

ああ、うざい、なんでみんな大企業に目をむけるんだろか?

しかし、私は現場からは”泣かれるほど”退職時には惜しまれました。

なぜかといえば、改善提案は”現場の人たちが底上げでやる気が出る”ように

仕向けたからです。生産効率を上げるには”現場の人たちのモラル”ではないでしょうかね。

 

そう、今の日本、どうですか?

上層部ばかりが潤い、守られ、末端の私たちは仕事のモラルありますか?

 

仕事のモラル、それは工具ひとつ、部品ひとつ、作業ひとつ、どれが見下されても

ならないのです。全員に敬意を払ってやりやすく、末端の人の作業が”楽に出来る”

ことが必要なのです。相当、感謝されました。

 

それは今だに続いています。

 

バブル当時、”借金をしてでも不動産は手に入れるべき”という”神話がありました”

私は疑問に思ってました、やがて下落するだろう、と。

これは当たって欲しくなかったのですが、私のほうが正解でしたね。

不動産を持たないなんて常識はずれだ、とまで揶揄されました。

見事にその常識も粉砕されましたね。

 

結果、私は”偏見によるうつの状態を”むしろすべて武器にしてきたことで

還暦まで”最先端技術”を駆け抜けたことになります。

 

うつ状態は”やる気が出なくなる”のですが、”こんちくしょう”という

気持ちが今から観測すれば

 

”若かったな~”と感じます

 

今は穏やかになって、こん畜生どころか、

 

”ブラックホールが観測できる事実”

のように”私を観測できる人にだけ私のことが伝わればよろしい”

そう、今生きているのは、そういう私を見てくれる人のおかげで

感謝なんです。

 

そう、こんなブログを見ているあなたにも感謝なんです。

 

私が非常識なのではなく、

この世界の常識がいつもおかしいことを

小学生のころから疑問に感じているのです。

 

あの夢のおかげですね。

 

あ、いまでもおかしいことだらけっすねww

 

特に言わないけど。

 

 

でも、ほとんどの人は良い人であることも知っています。

だから私が生きているんです。

 

感謝ですね。