今の病院に来て1週間が過ぎた。
 外来と病棟を行き来する生活にも少しだけ慣れた気がする。
 なにせ医師になってから、外来というものを経験したのは初めてだったから、右も左もわからないままのスタートで、患者さんからたくさんのことを教えていただいた気がする。
 初めて外来を担当する日の朝、彼が優しく言ってくれた言葉が忘れられない。
 「緊張することもないし、かまえることもない。 いつものきみでそのまま行くんだ。 患者さんがすべて教えてくれるから」
 たしかにその通りだった。
 彼の言葉は、彼がニューヨークで勤務した病院の院長が、初めて外来に出る彼にかけた言葉の受け売りだったという。
 外来でたまたま肺ガンの50代後半の女性患者さんを見つけ、入院から通院に切り替えて温熱療法を受けることになった患者さんの空きベッドに収容することになったが、担当医のわたしにも、担当看護師の佐橋看護師にも一言も口を利かなくなってしまった。
 すべての検査の結果から、わたしは余命宣告をした。 その瞬間から無視されるようになってしまった。
 なんとか話し合える関係に修復しようとしたが、まったくだめだった。
 医師と看護師にはもはや打つ手がない。
 あきらめと悲しい気持ちがない交ぜになり、ため息ばかりが続く中で、わたしに声をかけてくれたのが、臨床心理士の景子さんだった。
 「そうとう重たいものを抱え込んでますね。 患者さんとうまくいかないのかな」
 言葉にビクッとなったのを、彼女に見透かされていた。
 「新患さん、口をきいてくれないんでしょう。 多分、余命宣告に問題の根源があると思います。 受け入れたくないんですよ、自分の運命を。 志村先生、ここから先は臨床心理士の分野です。 私にまかせてください」
 ありがとう
 ごめんね、あなたにまで迷惑をかけて
 「何を言ってるんですか。 臨床心理士の分野ですよ。 ここで出ないとここに存在する意味がないじゃないですか。 私もこの病棟の仲間だと思ってたのに、ちょっと傷ついたな」
 ごめんね
 そんなつもりじゃなかったんだけど
 「とにかく、任せてくれますね。 病室へ行ってきます!」
 元気よくスタッフステーションを飛び出していった景子さんだったが、1時間後、肩を落としてスタッフステーションに戻ってきた。
 いきなり電話を取り上げると、ものすごい速さでダイヤルを押した。
 「起こした? 景子だけど、あなたの力が必要なの。 担当医とも担当看護師とも口をきかなくなった新患さんがいて、私もいろいろと試みたけどお手上げで・・・・・・御願い」
 景子さんは私に向き直り、いきなり頭を下げた。
 「申し訳ありませんでした。 偉そうなことを言って。 でも、美咲がなんとかしてくれますから。 わたしはどうも犯罪者の心理を見抜くしかできないようで、お力になれなくて」
 いいの
 「美咲はいきますよ」
 そこへノーメイクの美咲さんがやってきた。
 「病室はどこ?」
 「07。 奥のベッド」
 景子さんが言うのを最後まで聞かないまま、美咲さんは飛んでいった。
 1時間後、美咲さんも肩を落としてスタッフステーションに戻ってきた。
 「すみませんでした。 考えうるあらゆる方法でアプローチしたんですが、まったくなしのつぶてで。 いけると思ったんですけど」
 いいの
 わたし、何か考えてみる
 最初のアプローチさえうまくいけばなんとかなる
 「ハロー、レィディース、しけた顔してどうしたの?」
 「したの?」
 彼と櫻井医師が外来を終えて戻ってきた。
 あまりの明るさに、ちょっとムカついた。
 「志村先生と佐橋さん、新患さんに完全無視をくらって」
 景子さんは言った。
 「なにか気に触ることを言ったの?」
 余命宣告をしただけ
 「その時に臨床心理士は立ち会った?」
 外来でだったから・・・・・・。
 「だめじゃないか。 余命宣告のときは外来でも病棟でも必ず臨床心理士を立ち会わせる。 規則じゃないか。 それで、2人が行って解決してくれたと」
 「申し訳ありません、ハンチョウ。 どんな手にもまったく反応がなくて」
 「だめだったか。 相当手ごわそうだね。 よし、最終兵器の出番か。 9回裏二死満塁で逆転ホームランといきますか」
 「ハンチョウ、ファイト!」
 櫻井医師が声をかける。
 「田淵さんのホームランは日本で一番きれいなんだ。 ものすごくきれいなアーチで飛んでいくんだよね。 タイガーズファンははっきり覚えてるから。 一発打ってきます」
 彼は走ってスタッフステーションを飛び出していった、が、すぐ、戻ってきた。
 「どこの病室?」
 だめだ、こりゃ。
 「07の奥のベッドです」
 景子さんは教えた。
 「そう。 みんな暇だよね」
 「おーどーした若者諸君」
 アネさんが外来から戻ってきた。
 「今年のインフルエンザは意地が悪いな。 ワクチンが効かないんだよ、まったく」
 「アネさん、スタッフステーションを御願いします」
 「うん。 ところでどうした?」
 「患者さんの口を割ってきます、みんなで」
 「あのさー、言いたいことはわかるよ。 でも、口を割るって言うのは犯罪者だけだぞ」
 「でした。 でも志村の新患が余命宣告をした途端からむっつりを決め込んで」
 「まあ、誰だって慟哭だよな。 あなたの余命は3ヶ月です、なんて。 私だったら医師を滅多打ちにして他の病院を回るからな。 なにか秘策があるんだろ。 行ってこい!」
 「はいっ」
 急いで私室に戻り、持ち出してきたのはスケッチブックとマーカーペン数本。
 彼は勢いよく病室の扉をノックして中に入った。
 「臨床心理士です。 総合診療科の医師もやってますが」
 患者さんは彼に背を向けた。
 「やってもらいたいことがあってきました。 この画用紙とペンでね」
 患者さんはため息をつき、渋々画用紙とペンを受け取った。
 「みんなも」
 わたしたちにも画用紙とペンを渡す。
 「人という字を一筆書きしてください」
 患者さんはいぶかしげな顔をして、人と書く。
 「ごめんなさい。 それは行書ですよね。 楷書で書いてほしいんですが。 手を煩わせて申し訳ありません。 みんなも書いてみて」
 書けないんだよね。
 金八先生の授業だよ。
 オチも知ってる。
 「どうですか、書けました?」
 「書けるわけないじゃない」
 口をきいた!。
 「行書では書けるけど、楷書では書けないんですよね。 同じ字なのになぜでしょう?」
 「そんなこと、わかるわけないじゃない」
 二言目。
 「行書っていうのは省略文字なんですよ。 続け字とも言いますが。 楷書こそ正式な文字なんです。 じゃあなぜ、行書で書けるのに楷書では書けないのかといえば、人という文字はほら、右側の一本があなたです。 左の短い一本はあなたを支えている医師と看護師なんです。あなたがどんなによしかかっても、医師と看護師は全力であなたを支えてくれます。 どんなときも必ず。 だからあなたは苦しみを全部吐き出してください。 それでも医師と看護師はあなたの思うように支え続けてくれます。 人は1人では生きていけません、絶対に。 いいですか。 知らず知らずのうちに誰かに支えられているんです。 余命宣告は忘れてください。 ぼくが必ずあなたを助けます。 言いましたよね、総合診療科の医師だって。 総合診療科っていうと何でも屋に聞こえますが、実はガンの専門教育を受けてるんです。呼吸器外科なんかより何千倍もガンには詳しいんですよ。 ぼくは誓います。 あなたを100%元気にすると。 ガンを消してしまいます。 そのために担当の呼吸器外科医からつぶさにあなたの情報を聞き込みます。 彼女はぼくの妻なんですよ。 だから、勤務時間外は同じ時間を過ごしてます。 誰にもいえないことでも聞くことができますから、あなたの最新情報を聞いて、処置について話し合います、とことん。 でも最後はぼくの指示が通ります。 ガンの専門医ですから。 だから、あなたは担当医と看護師に何でも話してください。 そうしないとあなたを助けることができない。 まず、明日、あなたに驚くべきことが起こります」
 「そうですよね。先生と看護師さんがいるから私はたとえ3ヶ月でも生きながらえることができるんですよね」
 素直になった!。
 「3ヶ月生きればいいんですか? ぼくはあなたの寿命をまっとうさせると決めてるんですよ。 余命宣告ほどあいまいなものはないんです。 そんなものは一切信じないで、寿命を全うできますから。 ぼくはやるといったらやりますよ。 じゃないと専門医は勤まらない。 今までガンと闘って負けたことがないんですよ。 ぼくにまかせてください」
 「御願いしますね、志村先生。 それと佐橋さん。 志村先生の旦那さん。 なるほど、人という字が一筆で書けないわけがわかりました」
 「彼も人なり、我も人なり、っていうじゃないですか。支えあっていきましょうよ。 恥ずかしいことなんか何もないですよ。 お互いに本音でぶつかりあいましょう」
 臨床心理士2人がこじ開けられなかった口をすんなりと、金八先生の授業をまねて開かせてしまった。
 

 彼は『もてもてナイティーナイン』とかいうバラエティーを真剣に観ていた。
 彼の崇拝するコメディアン、萩本欽一さんと手塚治虫先生の伝説を明らかにする内容だ。
 「ぼくの夢は医者の枠をはみ出した医者なんだ。 欽ちゃんはテレビの枠をはみ出したんだよね。 あんな医者になりたい」
 たしかにテレビの中には欽ちゃんはいない。 途中でいきなり走り出してきて一言相方の坂上二郎さんとギャグをかまして、走り出てしまう。 と思えば、逆側から走り出してきていきなり二郎さんに蹴り。 二郎さんの受身がきれいなこと。 萩本さんってテレビの常識をすべて変えてしまったんだ。
 漫画を変えた漫画家が手塚先生。 カット割りに日本初の少女マンガ『リボンの騎士』。 あまりに早熟な才能を持ち、製作したアニメをTV局に買ってもらおうと制作費の半額で売ってしまったり、東京ディズニーランドのアトラクションを見たくて、編集者に嘘をついて、アトラクションを見に行き、ついTV局のインタビューを受けてしまって編集者にばれたとか。 人気が落ちてきて連載がなくなった先生に少年チャンピオンの編集長が「死に水をとらせてください」と5回分で終わる連載漫画を描かせた。 それがなんと『ブラックジャック』。 人気が再燃して連載は8年続いた。 今でも医師になるきっかけは『ブラックジャック』だという医師は多い。
 「『ブラックジャック』を読まなかったら、ぼくは医師にならなかったかも。 でも、この番組は掘り下げが浅すぎるね。 日本に高速道路ができたのはオリンピックのためで、1964年。 でも先生は1949年の『メトロポリス』で、今よりも複雑なインターチェンジを描いてる。 それに、スタンリー・キューブリック監督が、手塚漫画の大ファンで、『2001年宇宙の旅』の美術デザインに手塚さんをと依頼したんだ。 でも、先生は当時15本の連載を持っていて参加することができなかった。 あの作品に手塚先生が加わったら、ただでさえ驚異の映像が驚異を超えた映像になっていた。 今でもあの作品を超えるSF映画はない」
 まあ、手塚先生を語らせたらうんちくが爆発するからね。

 櫻井医師と舟木医師が私室にやってきた。
 「あの、ニックネーム、決めました」
 櫻井医師は言った。
 スタッフから公募して、自分が気に入ったものを選ぶ方式を取ったのだ。
 「私はチャック。 チェリーって、おそらく意味を知らないで桜からとったんでしょうけど、チェリーって、童貞って意味なんですよ。 ハンチョウは知ってるでしょう」
 「チェリーボーイって、スラングがあるよね」
 「そう。 私もヴァージンですよ、敬虔なプロテスタントですから。 でも、チェリーは男の子のことですから。 私は女性ですよ。 チャックもね、おしゃべりだからってことなんでしょうけど、チェリーよりましですから。 『チャック』って海外ドラマがあるんですけど、ある日頭脳明晰になって、スパイとしてスカウトされて一流エージェントになる、っていうドラマがおもしろくて好きなんで、そっちから来たと思ってチャックで」
 「私はミスK。 Kは慶応大学医学部のK。 それでいいです。 かっこいいですよね、なんか」
 舟木医師は本当に櫻井医師のプロデュースで変わったね。
 「かっこいいですよね、なんか」なんていうコじゃなかったのに。
 根暗な感じでねー。
 『ブラックジャック』じゃないけど、ミスKってやり手の医師っぽい。
 実際にやり手なんだからぴったりだと思うよ。

 最後に一言。
 windowsXPのサポートがあと一年で終了だって?。
 新しいOSをどんどん出して、古いものはサポートを容赦なく打ち切って新しいOSを買わそうという作戦だな。
 パソコンから買い換えないとOSのスペックが大きく変わるからどうしようもない。
 いくらかかると思ってるの?。
 windows8なんて、タブレット用のOSをパソコンに詰め込んだから、使いにくくてたまらない。
 「すぐにわかるwindows8」なんて実用書を買ってみたけど、全然わからないwindows8だよ。

 マイクロソフトとビル・ゲイツのバカぁー!