この世の中、一番困ったことは何ですか?
 そう訊かれたら、ふたつ返事でわたしは答える。
 地上デジタル放送だと。
 水滴がアンテナに付着すればすべてのチャンネルが映らない。
 それはいい。 どっちにしても、あまりTVは観ないから。
 だけど、場所が場所なのだ。
 入院患者さんの唯一の楽しみはTV。
 それが映らないとスタッフステーションが文句で埋まる。
 おまけに病室のTVはプリペイドカード式で、電源のON・OFFに対して作用するから、映らなくても、カードをTVの横のスロットに差し込めばプリカの金額は容赦なく減っていく。 中にはその金額を返せとまで言う患者さんもいる。
 そんな時、TVの保守を行うのがサコちゃん。
 マイナス20℃になろうが30℃になろうが、屋上のボイラー室の屋根に昇ってアンテナから雪や水滴を丁寧に取り除く。
 お湯で絞ったタオルで拭くのは簡単だ。 だけど、よけいな水滴をつけることになる。
 彼が取る方法はひとつ。
 両手に2本のドライヤーを持ち、氷を溶かし、水滴が一滴も残らないようになるまでアンテナ1本1本にドライヤーを当て続け、アンテナが乾いた状態になるまで作業を続ける。TVを観たいのに映らない、と文句を言ってくる患者さんも少なくない。 ヘッドフォンでしか音を聴くことができないから、周りに迷惑はかからない。 それがまずいのかもしれない。
 最初のうちは睡眠薬を渡して、強制的に眠らせていたが、睡眠薬に耐性がつき、効かなくなる。 そうするとまたTVの出番。
 スタッフステーションで患者さんに文句を言われた看護師は、すぐ、わたしたちの私室に来る。
 そうすると、愛し合っている最中でも、眠っている最中でも彼は屋上に昇っていく。
 作業を終えて部屋に戻ってくる頃には、気分はすっかりさめている。
 医師は眠っていても、呼び出されたら反射的に目覚めるものなのだ。
 真夜中の屋上は寒いなんてものじゃない。 立っているだけで全身が凍りつく。
 それでも彼は懐中電灯を片手に作業を続ける。

 そもそもどうして地上波をでじたるほうそうにしなければならなかったのか?
 携帯電話の電波帯を開放するため。 携帯があまりに普及してしまったために、周波数帯が一杯になり、携帯が繋がらなくなるのを防ぐため。
 いかにもありそうな理由だけれど、彼はバッサリと切って捨てる。
 「アナログTVの周波数帯と携帯の周波数はまったく違うから、アナログTVの電波のおかげで携帯に支障が出ることなんかない。 本音はなんだと思う? 家電メーカーの景気浮揚策だよ。 第一、周波数が同じなら、いきなり携帯にTVが映ったりするでしょ」
 うん。 納得。
 そりゃあ、スマホでワンセグ放送を観ることができるアプリもあるみたいだけど、メールをしている最中にいきなりTV番組が映ったら怖いよね。
 とにかく、わたしたちは、国の本音に見事に踊らされたってわけ。 数十万円払わせられた。 そのうちのいくらかは政治家と総務省の官僚のお小遣いに消えたんだ。
 
 アナログ放送用アンテナには寒冷地用があったけど、デジタル放送用アンテナには寒冷地用はない。
 寒冷地用があれば、彼は四六時中屋上に昇ることはないんだよ。
 いつめまいが襲うかわからないのに。

 
 きょうの午後7時30分に、やっと耳鼻科の予約が履行された。
 医師はサコちゃんにペンを突きつけ、先端に目を集中させる。
 そしてペンをくるくる回して、サコちゃんの目を回してみる。
 通常な人なら、ペン先を瞳で追うことができるけど、めまい症を持つ人は何度も目をつぶってしまう。
 回るペン先を追うことでめまいが襲うのだ。
 「まったく改善してませんわ。 道庁と厚労省の言うとおりにジェネリックを使ってたらこのざまだ。 だいたい、この病気の原因だっていろんなことを言う医師がいるけど、すべてを試してみても症状はまったく改善されない。 きょうは薬を変えます。 厚生新薬でいきますよ。 使うために開発してるんでしょう。 だったら使う人間を表彰すべきでしょう。 問題は調剤薬局に在庫があるか、ですね」
 医師はすぐにデスクの上の電話で調剤薬局へ電話。
 「在庫はばっちりです。 在庫のあるものを使わないと期限切れで廃棄するだけですからね。 もったいない」
 どこか飄々としていて相変わらず楽しい。
 同じ病院に勤務していたアネさんがよく言う。
 「彼はふざけたことを言って患者さんを笑わせるけど、腕は超一流だよ。 道内でも三本の指に入る耳鼻科医だ。 まあ、ハンチョウとは相性もいいだろう。 私はハンチョウを見てると彼を思い出すんだよ」

 結果を病棟に戻って即、アネさんに報告。
 「いいこと言うなぁー。 新薬は使うために開発するんだろう。 使わないのに研究を重ねるバカがどこにいる。 さすがだな」
 デスクの電話を取ると、耳鼻科に電話。
 「あんた、いいこと言うねー。 私もそう思ってるよ。 厚生新薬をどんどん使うよ・・・・・・うん?・・・・・・ああ、外来が一杯だよ、未だに。 ウチは末期肺癌専門病棟だからさ、細心の注意を払ってるんだけど、今のところは感染はナシ・・・・・・へー、下痢と高熱と肺炎。 うちの病棟にはどれも命取りだな・・・・・・気をつけるよ・・・・・・タミフルが効かないの?。 治療のしようがないね。 高熱は体力を消耗させるからな。 肺炎なんて起こしたら輸血でも助からない患者さんばっかりだからね。 とにかくありがとう。 ねえ、中根くんと、今戻ってきた患者って似てないか・・・・・・病棟でやってるんだよ、中根君と同じこと。 だから同じ者のよしみでこれからもよろしくね。 今夜は何時上がりになりそう? 10時? それまで夕食も抜きで?・・・・・・よく続くよね。赤十字にいたら半日で上がれるのに・・・・・・それでも辞めてよかったって? 中根くんらしいな。 私も見習おう・・・・・・彼はウチのエースだから。 彼がいないと患者さんは全員あの世行きだよ。 だからよろしくお願いします。 中根くんだけが頼りだから。 私なんかめまいが耳鼻科だってことも知らなかったんだから、恥ずかしいけど。 これからもよろしく・・・・・・ありがとう。 すぐ隣にいながらなかなか留守にできなくて。 私はなんで病棟勤務を選んだんだろう。 じゃあ、10時まで頼ってきた患者さんを助けてやってね。 きょうはありがとう」

 彼はエースか。
 そうだよ。 異論はない。
 子宮も卵巣もない、女性もどきを1人前の女性として抱いてくれるんだから。
 
 あっ、またやった、下ネタ。
 あーん、きのうで辞めようと決めていたのに・・・・・・。
 こういうとき、理数系は弱いよね。
 国語表現の幅が狭いから。
 
 彼がわたしを10愛してくれたとする。
 わたしは彼を100愛しても足りない。
 千も万も愛するからね。
 サコちゃん。