あの日から18年が過ぎました。
彼と出会った日からも18年になります。
阪神・淡路大震災。
わたしがまる1日間、徒歩で神戸の街にたどり着いたからこそ、今日があるんですね。
まさか、彼の隣でこうしてブログを書くことになるとは、あの日は思いもしなかった。
3ヶ月間で、もう二度と会うことはないとあきらめていたのに、なぜか再会し、また別れて、再会。
「運命」という言葉は、それまでのわたしにとって呪わしい単語でしかなかった。
育った環境がそうさせたんです。
でも、今では大好きな単語となりました。
神戸の方々にとっては、最悪の想い出であるあの日が、わたしにとっては最高の想い出だなんて、なんと皮肉な。
被災された方々には失礼な話ですよね。
彼の友人の神戸出身の読売テレビ株式会社の女性アナウンサーも、あの日がきっかけで生涯を共にする人と出会いました。
あの日がきっかけで、生まれたカップルも少なくはないそうですが、わたしは、被災者の方々に対して、ただただ、申し訳ない気持ちで一杯です。
できるなら、もっと違う出会い方をしたかった。
ですが、あの日がなければ出会うことはなかったというのも事実なんですよね。
今朝はあの日が始まった時刻より前に起床して、2人で同時刻に祈りをささげました。
そうすることしかできないことがとても歯がゆくてなりません。
街は驚異的に復興し、報道も目を向けることもなくなっていきましたが、わたしたちはあの日を絶対に忘れません。
かといって、何ができるのかもわからなくなっています。
わたしたちボランティアがそっと背中に触れただけなのに、被災者の方々は我先に立ち上がってボランティアとともに動き、いつの間にかボランティア登録をしている方たちが出てきて、ボランティアとしての活動履歴が長い彼をも、混乱させる場面もありました。
今でも時々、そのことを笑い話にしています。
同じ現場で働いていて、休憩中に「どこから来られたんですか?」と訊いたわたしに返ってきた言葉は「神戸の長田区です」。
ここは長田区ですよね、と訊いたわたしに「そうですよ」と平然と答えた方には笑顔がありました。
これは関西の笑いというものだと思いながらも、被災された方じゃないんですか? と訊くと、「まあ、そんなんですわ。 私は家も家族も亡くしてますよ。 だから、皆さんと一緒にいると楽しいんですよ。 1人になるとどうしても悪いほうに物事を考えるから、ボランティアをさせてもらってます。 自分の街は自分で片しないとね。 三歳児じゃないんですから」とゲラゲラ笑っていた方。
そうなんですよね。 どんな環境にあっても自分を守ることができるのは自分なんですよね。
インフラはすべて復興し、あの日は悪い夢の中でのできごとだったのかもしれないと思うこともあります。
でも、まぎれもなくあの日はあったんです。
街が一瞬にして消えたんです。
マジックでも超魔術でもない、自然の力の気まぐれで、街は消えたんです。
街を元通りにしたのは国じゃないんです。
被災された御本人たちなんですよ。
その意味では、とても珍しいケースといえるでしょうね。
「自分の1m周囲を片するとね、おお、私にもやれるやんと思ってね。 なんだか私1人で神戸を全部片することができんとちゃうかー思いますねん。 そう思ったら、片するのが楽しくて楽しくて、もうやめられません」
前向きを超えてましたね。
これが関西のパワーかと思いました。
確かにパワーなんですよ。
だって、もう二度と小説は書かないと決めていた彼に書く力を与えたんですから。
それも原稿用紙二千枚を超える超大作。
彼の作品の中では、最も長いものですよ。
それをわずか二週間という短期間で書き上げたんですから、彼だけの力じゃなくて、明らかに被災者の方のパワーが憑依したんだと思います。
彼に言わせると、それが関西人なんだよと言います。
「甲子園に行くとわかるんだよ。 タイガース戦にね。 だって、どこからかリリーフを告げる大きな声が聞こえたなと思ってバックスクリーンを見ても、リリーフは表示されてない。おかしいなと思ったら、同じ声がまた聴こえるんだ。 なんか後ろのほうから聴こえたなと思って振り返ったら、メガホンを持ったいい歳のおじさんが顔を真っ赤にして叫んでるんだ。 尊敬したよ。 監督よりもタイガースを知り尽くしてるんだから。 関西人とタイガースは一心同体なんだ。 タイガースが苦しむと関西人も苦しくなって、仕事もできなくなるし、タイガースが快進撃をすると、関西人も1人で10人分の仕事を平気でこなすんだから。 ああいう人たちがいてくれるからこそ、タイガースは存在するんだ。 あんな人がいなくなったらチームはとっくになくなってる。 ぼくとしては感謝の一言しかない」
彼の処女小説を、神戸オールロケで映画化した『She's Rain』が、復興の最中の神戸で、レンタルビデオランキング1位を続けたんです。
あの日が来る前の神戸の街があますところなく焼き付けられていたからという理由なんだそうですが、映画化に際して、まったく乗り気ではなかった彼が、映画化されてよかったというようになったんですよ。
自分を曲げることのない彼が、神戸人パワーに屈服させられてしまったんですね。
街は数え切れないボランティアの人々と、地元の被災者の方々の力で、あの日がウソだったかのように美しくなり、あの日を忘れさせたかのように活気にあふれています。
でも、被災者の方々の心についた傷は、どんなに街が栄えていっても、永遠に消えることはありません。
心の傷の救済は誰にもできないと思います。
1995・1・17
ボランティアとして、同じ場所で、同じ痛みを分け合ったと思い込んでいた3ヶ月間。
わたしたちはほんとうに被災された方と同じ痛みを分け合うことができたのでしょうか?。
時間ができ次第、必ずもう一度神戸に行きます。
もし、あの時のどんくさい医大生を覚えていてくれる方がいたら、迷わず声をかけてください。
あの頃より、ちょっと成長したんですよ、わたしは。
ひとかけらのパンを、涙とともにかじったことのない人間とは、詩を語りたくはない
古代ギリシア人の言葉だそうですが、わたしにとってあなたたちは、充分に詩を語り合える人たちですよ。
また、神戸で会いましょうね。
彼と出会った日からも18年になります。
阪神・淡路大震災。
わたしがまる1日間、徒歩で神戸の街にたどり着いたからこそ、今日があるんですね。
まさか、彼の隣でこうしてブログを書くことになるとは、あの日は思いもしなかった。
3ヶ月間で、もう二度と会うことはないとあきらめていたのに、なぜか再会し、また別れて、再会。
「運命」という言葉は、それまでのわたしにとって呪わしい単語でしかなかった。
育った環境がそうさせたんです。
でも、今では大好きな単語となりました。
神戸の方々にとっては、最悪の想い出であるあの日が、わたしにとっては最高の想い出だなんて、なんと皮肉な。
被災された方々には失礼な話ですよね。
彼の友人の神戸出身の読売テレビ株式会社の女性アナウンサーも、あの日がきっかけで生涯を共にする人と出会いました。
あの日がきっかけで、生まれたカップルも少なくはないそうですが、わたしは、被災者の方々に対して、ただただ、申し訳ない気持ちで一杯です。
できるなら、もっと違う出会い方をしたかった。
ですが、あの日がなければ出会うことはなかったというのも事実なんですよね。
今朝はあの日が始まった時刻より前に起床して、2人で同時刻に祈りをささげました。
そうすることしかできないことがとても歯がゆくてなりません。
街は驚異的に復興し、報道も目を向けることもなくなっていきましたが、わたしたちはあの日を絶対に忘れません。
かといって、何ができるのかもわからなくなっています。
わたしたちボランティアがそっと背中に触れただけなのに、被災者の方々は我先に立ち上がってボランティアとともに動き、いつの間にかボランティア登録をしている方たちが出てきて、ボランティアとしての活動履歴が長い彼をも、混乱させる場面もありました。
今でも時々、そのことを笑い話にしています。
同じ現場で働いていて、休憩中に「どこから来られたんですか?」と訊いたわたしに返ってきた言葉は「神戸の長田区です」。
ここは長田区ですよね、と訊いたわたしに「そうですよ」と平然と答えた方には笑顔がありました。
これは関西の笑いというものだと思いながらも、被災された方じゃないんですか? と訊くと、「まあ、そんなんですわ。 私は家も家族も亡くしてますよ。 だから、皆さんと一緒にいると楽しいんですよ。 1人になるとどうしても悪いほうに物事を考えるから、ボランティアをさせてもらってます。 自分の街は自分で片しないとね。 三歳児じゃないんですから」とゲラゲラ笑っていた方。
そうなんですよね。 どんな環境にあっても自分を守ることができるのは自分なんですよね。
インフラはすべて復興し、あの日は悪い夢の中でのできごとだったのかもしれないと思うこともあります。
でも、まぎれもなくあの日はあったんです。
街が一瞬にして消えたんです。
マジックでも超魔術でもない、自然の力の気まぐれで、街は消えたんです。
街を元通りにしたのは国じゃないんです。
被災された御本人たちなんですよ。
その意味では、とても珍しいケースといえるでしょうね。
「自分の1m周囲を片するとね、おお、私にもやれるやんと思ってね。 なんだか私1人で神戸を全部片することができんとちゃうかー思いますねん。 そう思ったら、片するのが楽しくて楽しくて、もうやめられません」
前向きを超えてましたね。
これが関西のパワーかと思いました。
確かにパワーなんですよ。
だって、もう二度と小説は書かないと決めていた彼に書く力を与えたんですから。
それも原稿用紙二千枚を超える超大作。
彼の作品の中では、最も長いものですよ。
それをわずか二週間という短期間で書き上げたんですから、彼だけの力じゃなくて、明らかに被災者の方のパワーが憑依したんだと思います。
彼に言わせると、それが関西人なんだよと言います。
「甲子園に行くとわかるんだよ。 タイガース戦にね。 だって、どこからかリリーフを告げる大きな声が聞こえたなと思ってバックスクリーンを見ても、リリーフは表示されてない。おかしいなと思ったら、同じ声がまた聴こえるんだ。 なんか後ろのほうから聴こえたなと思って振り返ったら、メガホンを持ったいい歳のおじさんが顔を真っ赤にして叫んでるんだ。 尊敬したよ。 監督よりもタイガースを知り尽くしてるんだから。 関西人とタイガースは一心同体なんだ。 タイガースが苦しむと関西人も苦しくなって、仕事もできなくなるし、タイガースが快進撃をすると、関西人も1人で10人分の仕事を平気でこなすんだから。 ああいう人たちがいてくれるからこそ、タイガースは存在するんだ。 あんな人がいなくなったらチームはとっくになくなってる。 ぼくとしては感謝の一言しかない」
彼の処女小説を、神戸オールロケで映画化した『She's Rain』が、復興の最中の神戸で、レンタルビデオランキング1位を続けたんです。
あの日が来る前の神戸の街があますところなく焼き付けられていたからという理由なんだそうですが、映画化に際して、まったく乗り気ではなかった彼が、映画化されてよかったというようになったんですよ。
自分を曲げることのない彼が、神戸人パワーに屈服させられてしまったんですね。
街は数え切れないボランティアの人々と、地元の被災者の方々の力で、あの日がウソだったかのように美しくなり、あの日を忘れさせたかのように活気にあふれています。
でも、被災者の方々の心についた傷は、どんなに街が栄えていっても、永遠に消えることはありません。
心の傷の救済は誰にもできないと思います。
1995・1・17
ボランティアとして、同じ場所で、同じ痛みを分け合ったと思い込んでいた3ヶ月間。
わたしたちはほんとうに被災された方と同じ痛みを分け合うことができたのでしょうか?。
時間ができ次第、必ずもう一度神戸に行きます。
もし、あの時のどんくさい医大生を覚えていてくれる方がいたら、迷わず声をかけてください。
あの頃より、ちょっと成長したんですよ、わたしは。
ひとかけらのパンを、涙とともにかじったことのない人間とは、詩を語りたくはない
古代ギリシア人の言葉だそうですが、わたしにとってあなたたちは、充分に詩を語り合える人たちですよ。
また、神戸で会いましょうね。