きょう、月曜のオペの患者さんの検査が行われた。
 検査の結果によって、オペが成功だったか、あるいは失敗だったかが決まる。
 今回のオペに対して、彼は口は出したが手は出してない。
 口を出したとは言っても、ただ一言、メスを寝かせる角度についてだけ。
 わたしがピンチになっても、素知らぬふりを決め込む。
 獅子は子どもを千仭の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てるというけど、医師も、経験の少ないひよっこ医師を千仭の谷に突き落として、這い上がるのをだまって見てるんだろう。
 何せ、アメリカはどんな内臓疾患に対しても、第一選択がオペだからね。 症例の数では彼にはかなわない。
 とにかくひとつずつ症例を得て、腕を上げていくしかない。 いつまでも彼を追い越すことはできないのだから。

 検査の結果を携えた臨床検査技師が階段をあがってきた。
 「志村先生、これ。 あまり忙しくなかったので全部結果が出ましたから、後はお願いします」
 受け取った封筒はわずかな重みなのかもしれないけど、わたしにとってはバーベル以上の重さがある。
 わたしはまずX線とCT、そしてMRIをライトボックスに貼りだした。
 目を見開いて舐めるように1枚1枚を見ていく。
 「おっ、検査の結果がもう出たのか。 臨床検査室の連中は私の担当患者さんの検査結果だけいつも遅いよな。 恨まれてるんだ、きっと」
 アネさんも舐めるように写真を見ている。
 「あっ、取り残し!」
 えーっ、どこ?
 「いや、ごめん。 これは胆嚢だった。 しかし、CTってよく見ると、生ハムかベーコンみたいだな。 ビールが飲みたくなる」
 どうでしょう?
 わたしとしてはきれいに剥離できてると思いますが
 「ものすごくきれいな写真だよ。 大成功じゃないか。 奴は手を出したのか?」
 わたしがピンチになってもまったくの無視ですよ
 口は一言だけ、メスをもっと寝かせたほうがいい、って。 後は私の言ったことしかしませんでした
 「よく言えば、あえて千仭の谷に突き落としたんだ。 それも志村の技術を認めているからできたことだと思うよ。 本当に志村も成長したな。 みんな彼のおかげだぞ。 それを忘れるな」
 感謝したくても、本人が巡回に出たまま戻らないんだから。
 
 「ガンバー、とうとうリベンジを果たしてやったぞ! あれっ、ガンバは?」
 夏休み中でしょ
 「あーそうでした。 メモを書いてデスクに貼っておくか。 相手の癖も弱点も見つけたし、これからの参考になるだろう」
 オペの後の検査結果が出来てきたんだけど
 「なに、そのライトボックスの写真じゃないでしょ。 それは健康な人の体験検査のじゃないの、この前の健康まつりの」
 きのうのオペだって
 近くにきて名前を見てよ
 「メモを書いたら、行ってみる」
 こっちが先っ!
 「はい。ったく、フライパンで殴られた日には・・・・・・」
 「完全に敷かれてるな。 まあ、奥さんが強いほうが夫婦はうまくいくっていうけどな」
 アネさんはくすっと笑った。
 「どれ・・・・・・うー、綺麗じゃないの。 健康な人みたいだけど、名前は確かにあの患者さんだ。 だけどCTって、生ハムかベーコン、いや、ボローニャソーセージみたいに見えるな。 ボローニャソーセージが食べたいけど、ダイイチにもドンキにもコープでも売ってない。 イオンかー。 おさかなソーセージの次に好きだね、ボローニャは」
 どうして2人ともハムだのソーセージだのいうわけ?。
 完全にわたしを馬鹿にしてるっ!
 「してないぞ、志村。 あのなー、綺麗な写真だからハムやソーセージを連想するの。 オペの前の写真を見て、そんなことを言ったか?。 あの写真からは間違ってもハムやソーセージなんか連想できない。 つまり褒め言葉を例えで言ったんだ。 だけど、最近はボローニャは見かけないな。 どうしたんだろう」
 また話がソーセージになってる。
 前院長が、彼とアネさんがものすごく似てると言ってきかなかったけど、言われてみればものすごく似てる。
 さて、前回の検査と今回の検査結果を患者さんに見てもらおう。
 黒木看護師に患者さんを呼んできてもらって、スタッフステーションの第一告知室で説明をした。
 最後まで言い出せなかった言葉を、深呼吸の後で言った。
 余命宣告をしたけど、あれはチャラにしてくれる?
 「ちーす、なんすか?」
 チャラがなんで顔を出すの?。
 ごめん、チャラには関係ないんだ
 「チャラって聴こえたんで」
 この病棟は言葉を選ばないとやっていけないな。
 余命宣告を3ヶ月ってしたけど、腫瘍を全部摘出したから、なかったことにしてもらえませんか?
 「オペを選択肢に入れてなかった時の宣告ですから、別にいいですよ」
 後は、再発のための予防的治療になるから
 若いんだから、人生を思い切り楽しんでね
 本当にうらやましいよ
 その若さが
 「先生だって、若いじゃないですか」
 だって、アラフォーだよ
 でも、結婚したおかげでいろんな世界が広がったけどね
 テニスにプラスティックモデルに、TVゲーム
 それにグルメ
 外の世界は楽しいよ
 1日でも早く飛び出せるように、わたしも頑張るから
 あなたも頑張って
 「ありがとうございます。 あのう、麻酔から覚めてから、ラーメンが頭から離れないんです。 こんなに食べたいと思ったことはないんですけど」
 オペを終えた人に多いんだよね
 ラーメンとか焼肉、カツ丼が食べたいって人
 外出届を書いてくれたら、わたし印鑑を押すから、お母さんと食べてきたら
 コープを通り越して行くと梅光軒っていう看板が見えるから
 ウチの超グルメ男が、35年以上通い続けている店の支店だから、味は保証するよ
 彼の担当患者さんで、オペを受けて、今は予防的治療に通ってきている、マツダオートの営業所長さんが、紹介したら気に入って、市内の本店や支店に通いつめてるの
 麻酔から目覚めた時の一言目が「美味いラーメンが食べたい」でね
 珍しいことじゃなくて、よくあることだから

 彼女とお母さんをラーメン店に送り出して、電子カルテの記入をした。 彼女の検査結果の数値を打ち込んだのだ。
 彼はといえば、回転イスに嫌われて、何度座ろうとしても逃げられ、とうとう手すりと両手首をタオルで結んでいた、がしかしイスと対面した形で結んでいたため、左右が逆で座れない状態で、つまづいていた。
 Mr.ビーン的大ボケはきょうも健在だ。