きのうの夜食の時だった。
 舟木医師が、どうして医者になったんですか? と、ウチの彼に訊いた。
 「これだけの料理の腕を持っているなら、調理師とか、「健康まつり」で売った米粉のドーナッツみたいなお菓子や夜食のデザートって、素人では思いつかない発想だから、パティシェになるとか」
 「うーん、成り行きでね。 一番最初は、航空自衛隊に入隊したかったんだ。 防衛大学にね。 でも、この病棟に入院しているタラコ唇のジャイアンツ・バカが、生徒を戦場に送る担任がどこにいる、って、自衛官募集所からもらってきた貴重な願書をハンドシュレッダーに入れてしまって、そうめんにしやがった。 それで、ぼくが英語検定の2級と、国際連合主宰英語検定、俗に言う国連英検の2級という、大学さえ卒業すれば国連職員になれるグレイドの資格を持っていたから、無試験で国際関係学で有名な私立大学に、学費全免除、それに返納いらずの奨学金が10本ついた。 それで、あのジャイアンツ・バカが勝手に話を進めた」
 「東京国際大学ですよね。 両方の英語検定で、文部省認定のほうが2級以上であれば、面接と小論文だけで入学許可が降りるのは。 だけど、国際関係学部なら、国連英検2級を持っていたら、エスカレーターで国連Aクラス職員ですよね。 果ては大使ですよ」
 この男は資格取得マニアなの
 調理師やパティシェはもちろん、手話検定も3級で、ろう者と自由に会話できる
 だから、1日にERに搬送された子のお母さんから状況を全て手話で聴きだしたんだから
 「そうなんですか。 でも、どうして国際関係学部をキャンセルしたんですか。 やっぱり自衛隊への夢とか?」
 「ならいいんだけどな、本人は頭を切り替えて行く気になったんだ。 だけそ、この病院に事務の補助に臨時雇用していた、こいつの再従姉妹の父親が、自分の娘はバカで、金を積んで短大を出したのに、母子家庭であるハンチョウが、自分の娘よりもはるかグレードが上の学歴を持つことが許せなくてな。教育委員長という立場を利用して、ハンチョウの高校に圧力をかけて話をぶち壊した。 今、この病棟に入院している元の担任と教頭が校長に対して猛抗議をしたんだけど、校長は圧力に屈した。 それで進路を閉ざされたんだよ。進学はダメ、就職活動にも遅すぎる」
 アネさんは言った。
 「そんな時に、小樽の北星女子学園高校のドイツ語の教師をしていた母親の従姉妹が、定年前に突然退職して、大学時代の友人がアメリカ人の審美歯科医と結婚していて、ニューヨークにいるから、おいでって誘ってね。 最初は旅行のつもりだったんだけど、すっかり気に入ってしまったらしくて、その友人の家の3階を借りて住み着いてしまった。 そこで胸の痛みを訴えて病院に行ったら肺癌だった。 従姉妹には小樽で会計士事務所を経営しているお兄さんがいて、50人の従業員がいるから、ニューヨークで妹に付き添うこともできないし、ぼくがプータローなのを知って白羽の矢を立てた。 渡航費も生活費も一切私が出す。 妹が電話でホラしか言わないから、スパイして状況を定期的に国際電話と手紙で知らせて欲しいっていうことになってね。 お兄さんは妹に、ぼくがジャズとミュージカルが好きで、ニューヨークにいるお前を羨ましがってるって、国際電話でけしかけたんだ。 当時はインターネットは軍事専用で、一般には解放されてないからエアメールと国際電話しかなくて、早速、ニューヨークから、母親の従姉妹が国際電話をくれた。 ペイパ
ーバックを、ぼくがこんなのを読みたいんだけど、日本じゃ高くて、なんて言うと、直ぐに送ってくるし、ジャズの新譜やオリジナル・ブロードキャスト・レコーディングのミュージカルのアナログレコードとかも送ってくれる。 あの頃はCDプレイヤーはあったけど一般人が買えるような値段じゃなかった。 80年代後半になって価格が下がったんだ。 だからアナログ。 それで、ニューヨークに来いって。 あんたみたいな不思議な頭の持ち主は日本じゃ誰も受け入れない。 毎晩本場の生のジャズが聴けるしブロードウェイに行けば、ミュージカルもいつでも観ることができる。 私が渡航費を送ってやるし、生活の面倒も見てやる、親友だもんね。なんて言わせた。 お兄さんが、ぼくと順子さんって言うんだけど、が昔から親族の中で一番気が合う関係だと知っていてマッチメイクしたんだ」
 「それで、ニューヨークに」
 「ケネディ空港まで迎えに来てくれていて、突然、サックスは持ってきたか、って訊くわけ。 いえって答えたら、あんたねー、ジャズをやる人間が楽器を持たずにニューヨークに来てどーすんのって。 私がプレゼントするよ、って、審美歯科医の知り合いの楽器商を呼びつけて、ソプラノとアルトとテナーを僕に選ばせた。 すべてがヴィンテージで、日本で買えば百万円を超えるようなもので、おまけにマウスピースも、機械じゃなく職人が手で彫り込んだ年代物を即金でポーンと買ってくれた。 ぼくは審美歯科医の家の4Fに住みついた。 2日後、 きょうは私私用があってつきあえないから、アルトでいいから楽器を抱えて、このメモのとおりに行動して。 それが、ジャズの専門学校の入学オーディションでね、学費はいらない特待生で合格。 ところがいざ入ったらスパルタでね。毎週脱落するクラスメイトがいるんだ。 学校が、”あなたは才能がないから、これ以上ここにいても時間とお金の無駄遣いでしょう、辞めて新しい道を考えなさい。 ジャズではやっていけませんよ”ってはっきりと講師が本人に、クラスメイトの前で言うんだ。 次はぼくだなと思いながら通ってたら二年が終わろうという時に、あるジャズのバンドのオーディションを受けないかと、講師に言われて、落ちても経験にはなると思ってOKしたら、バンドリーダーとマネージャーが学校に来てね。 彼らの前で、自分の得意な曲を思うように、アドリブも入れて吹くことになって、ぼくは「ジプシー」というバラードを吹いたんだ。 吹き終わったら、バンドリーダーが握手を求めてきた。 握手をしてるとマネージャーが契約書を差し出して、サインしてくれ、ペンは持ってるか、ってことになって、そこからプロだよ。 学校は2年で飛び級卒業ということにするって言われてね。 そうなると、移住券が必要になる。 留学生のアルバイトなら学生ビザでいいんだけど、本格的な収入が派生する場合、アメリカでは外国人に移住権を取得しないと働くことができない。 幸い、そのバンドで手続きをしてくれたけど、移住権の副作用があって、男性は軍隊に入ること、女性は福祉施設などでのボランティア。 移住権を取得して軍隊に入ってすぐ、湾岸戦争が起きてイラクへ派兵された。 それが終わると、イラクでの働きが認められて、部隊を異動になった。 米陸軍の秘密部隊、第360特殊航空作戦連隊。 いわゆる究極のレインジャー部隊。 ぼくが職員駐車場に行くのに階段がめんどくさいから、ここの窓から飛び降りるのはその時に学んだんだ。 40mをホバリングするヘリからパラシュートなしで飛び降りるのが360のやり方だったから。 そして2002年にデルタフォース、ネイビーシールズというアメリカの最高の特殊部隊がお手上げで引き上げた後、クリントン大統領の決断で、ぼくら360、相性はSOARが初めて実戦に投入された。 ソマリアの治安の9割は回復したけど、アイディード将軍という、国連の救援物資を強奪して自分の仲間に配給して、一般人を飢餓で殺戮していた独裁者を探し出すことはできなかった。 ただ、つかんだことは米軍商工クラスの中に、アイディードとつながっているものがいた、という事実のみ。 その後はまたイラクだよ。 核を持っているという偽情報に踊らされた。CIAがつかんだガセじゃなかったんだ。 ホワイトハウスがでっち上げたの。 ブッシュが石油会社を経営していて、イラクの地下の豊富なオイルの採掘権を無償で奪いたかった。 それにはサダム・フセインが邪魔になるから殺してしまえって発想。 それでも最後までがんばったよ。 農家の地下室でフセインを見つけ出したのも、ネイビーシールズとSOARの数名の混成部隊。 今度は北だろうなんてジョークが飛び交っている時に、ぼくはFBIからスカウトされた。 ジャズの学校は夜だから、昼間はコロンビア大学の社会心理学科に通っていた。 純子さんが法学部の聴講生だったから。 コロンビア大学で、臨床心理士のライセンスを取得していたからね。 配属先は行動科学科。 いわゆる未解決の連続殺人などをプロファイリングなどの科学的な方法で捜査しなおす部署。 行動科学家の中にTVでやってる、CSIがあった。 FBI時代の細かい話は、ここに後輩がいるから後でじっくりと教えてもらうといい。 元・警視庁CPSの景子くんがFBIで1年間プロファイリングの研修を受けていたから。 それからはFBI捜査官とジャズバンドを渡り歩いていた。
 純子さんは医師の手が空いてようやくオペ。 日本じゃオペは厚労省指針でⅠーⅠからⅡーⅠまでしか認められたないけど、アメリカは抗癌剤よりオペなんだ。 抗癌剤なんか効かないものに時間を裂くな、それより摘出してしまえ! っていう考え方で、ⅤーⅢでもオペをするんだ。 こういう方法でやったら抗癌剤は効くんじゃないかを考えることさえ時間の無駄だと言われてる。 で、順子さんはオペをしては再発して、またオペをしては再発して、とうとう助からなかった。
 それで御遺体をお兄さんに渡すために帰国した。
 ぼくもこのまま日本に留まろうと思っていたんだけど、所属していた事務所のエージェント、営業の人っていうのかな、がバンバン仕事を入れてるわけ。
 これはキャンセルすると裁判沙汰になって莫大な違約金を取られるなと思って。 なんで契約期間中に順子さんは亡くなっちゃうんだろうなーと思って、またニューヨークに戻って、FBIは本部に出勤しなくても、ネットでつながっていればいい状態だったから、音楽で収入があることだし、一番気のあった順子さんを殺した癌に対して、異常に憎む気持ちが高ぶってね。 考えてみれば、ぼくは生まれて間もなくから、股関節脱臼から始まって、慢性副鼻腔炎、小児喘息、いじめが原因の気管支喘息で死ぬ2秒前まで行って」
 1度死んでるんだから
 夢にイエス・キリストが出てきて、おまえは私の使いだ
 やってもらわなければならないことがたくさんある
 今、死ぬことは許されない。
 私が生き返らせるから、私の使いとして働いてもらわなければならない
 ゆっくりと体をベッドから起こしなさい
 そうして生きていることを確認しなさい
 いつか、時が来たら、おまえは私を自然と求めてくるだろう
 その時まで、私がお前を守ろう
 さあ、新しい自分を大切にしなさい
 って言ったんだから
 すぐそこに呼吸器で有名な総合病院があるでしょう
 TSUTAYAの手前でローソンの斜め向かいの
 「佐野病院ですか?」
 そう
 アネさんにその話をしたら、病院ではひた隠しにするんだって
 それで、ウチの看護師長が向こうの呼吸器内科の看護師長と、看護師の横のつながりを使って、訊いてみたら、1982年2月6日に、死亡宣告後に生き返った気管支喘息の患者さんがいて、病院内が大騒ぎになったことがある、って
 どうして日付まで覚えているかといえば、、前日の夜にホテルニュージャパンで大火災があって、翌日午前中には、心身症の機長の操縦するJAL機が羽田沖でいきなり逆噴射をして墜落したという大きな事故が続いた時だから、なんだって
 「それは隠したいですよ。 ありえない話ですから、今だったらマスコミに知れるといいネタになるし、DVDで『世にも不思議な物語』とか、コンビニで新書が売られてるじゃないですか、「病院の怖い話」とか」」
 「それが躁うつ病を引き起こして、拘禁病棟に入れられて。 症状が落ち着いて自宅での薬物療法を始めた頃に、胎盤埋没療法って、喘息の両方があるよね」
 「へその緒をフリーズドライしたものを砕いて左の胸に埋め込むんでしたっけ、半年おきに」
 「それをしている病院がこの街にあって、そこで治療をするようになったら、ほとんど喘息は治った。 でも慢性副鼻腔炎は一生治る病気じゃないし、躁うつ病も治らない。 本当に病院と縁の切れたことがないんだ。 医師や看護師たちに迷惑ばかりかけてきた。 そんな時に日本に戻った時に観たニュースで、医師不足で地域の病院がどんどん閉院していく。 がんセンターも閉所になってるところがある。 偉大附属病院では医者あまりなのに、なぜ地域の病院に派遣しないのだろう、みたいな特集があって、ニューヨークに戻っても毎晩夢に出るんだ。 もしかしたらイエスの使いとは、ぼくが医師としてイエスの代理で病人を癒すことなのかもしれない、と思って、医者になろう、今まで助けてくれた人たちの恩に報いようと思って、ぼくはこうだとなったらもう動いている性格だから、もう大学選び。 コロンビア大には医科大はないから、どこか別の州でと思ってネットで検索したら、ハーバード大学医学部っていうのが出てきた。 ハーバードって名前は知っていたし、難関だってことも知っていた。 入学条件をみたらTOFEL820点以上って書いてあったし、ぼくのスコアは920の満点。 難関っていうことはそれだけいろんなことを勉強できるんじゃないか、と思って出願して入学。 人気のあったのが総合診療科で、日本でも聴いたことがなかったから、面白いのかなと思って、教養学部の中で飛び級して、専攻したんだ。大学院を卒業して、ニューヨークの病院で研修医として過ごして、そのままそこの病院に就職した。 
 半年経って、実家へ国際電話をしたら、母が、胸痛ですぐ近くの呼吸器と循環器の病院に行ったら、肋骨にヒビが入ってるんだろうって言われて、自然にくっつくまでシップと痛み止めを服用してるけど全く効かないって。 痛み止めの名前を訊いたらイブプロフェンだって。 おい、それは主に熱を下げる薬だろうと思って、ここの病院に早く行けって言って、度々、行ってきたかを確かめたら、近いからあの病院に通ってる、って。 だめだ、こりゃ。 
 ぼくが帰って、無理やり引っ張ってくるしかないだろうと思って、帰国して、志村先生と知り合いだったから、理由を話したら、紹介状がなくても診察を受けられるように準備しておくからすぐ来て、って言ってくれて、本人はもう列車やバスを乗り継げるだけの体力がないからタクシーで乗り付けた。 胸の痛みが肋骨のヒビならなんでこんなに体力が消耗してるんだろう。体力の消耗と胸の痛みを結ぶキーワードはひとつ、末期肺癌。 X線にはっきりと腫瘍が映った。4・2cmだよ。 その日のうちに即入院」
 「近所の病院ってレントゲンがないんですか、ひょっとして」
 「レントゲンどころか何もないんだよ、これが。 行ってみて腰を抜かすところだった。 表向きには全道一の透析施設完備なんて書いてあるけどそんなものなんてなにもない。あるのは医師のデスクと、受付・会計のパソコンだけ。 それも家庭用のノートブック。 市内でも有名なんだよ。医療法人で隣町にもその隣町にも分院があるけど全部同じ。 法人の勤務医と元締めの院長は医師会を追放されてる。 いわば、裏金で厚労省に潰されるのをストップしてる状態だ」
 元・院長。
 彼の作った470gのマンゴープリンを突っついてはプルプルさせて喜んでいる。
 「今は耳鼻咽喉科とか皮膚科にまでX線は導入されてますよ」
 「ないところにはないんでしょう」
 「裏金があるのなら設備投資くらいできるんですけどね」
 事務長。
 マンゴープリンを突っついて喜んでいる。
 「完璧な手遅れで処置のしようがないことは知っていたから、治験体にしようと考えて、担当医の志村さんと綿密に打ち合わせをして、新薬を使ったり、ゲフィニチブを服用させて、副作用を見極めたり、これからの肺癌医学にとって必要になるデータをとにかく収集した。
 8月23日に入院して、12月2日午後3時1分に亡くなった。 涙は全く出なかった。 ミュージカルや映画を観ると涙が止まらない質なのにね」
 「たったひとりの肉親を亡くしたんですよね。 なのに、なぜ?」
 それは私も聴いてない
 たまたまなんて通用しないよ
 「わかった。 要するに口には出さないのに、本人は相当苦しんでたんだよ。 どうしてそれが言えるかと言えば、せん妄なんだ。 夜中に目覚めて、父さんのところへ行きたい、母さんのところへ行きたい。 弟や妹たちのところへ行きたいって毎日つぶやくんだよ。 妹は10歳で、弟は1人は11歳で、もうひとりの弟は胆嚢癌で56歳で亡くなってるんだ。 胆嚢癌は、別名をサイレントキャンサー、沈黙の癌と言われていて、症状が表出するともう最も末期で治療してもムダだ。 いつもはケンカばかりしてたけど、一番頼りにしてたんだろう。 会いたいのなら会わせてやればいいんじゃないかと思ってね。 亡くなったことによってやっと会いたい人に会えるんだから、ハッピーなことじゃないかと思ってね」
 「ひどかったよな。 何かと圧力をかける教育長夫婦が病院に寄った時には亡くなっていた。 それにその義理の息子はウチの事務員だ。 まともな人間なら御遺骨になるまでつきそうんじゃないか。 それが、孫の私立の中学校の面接試験の練習があるから、それが、あるのにに変わって、付き添いたくないし葬儀も出たくない。 義理の息子は退社時間に線香の一本んもあげずに帰ってしまう。 夫婦は同じ言葉を繰り返す。 医長と院長が咎めようとしたら、看護師長が「お帰りください。 葬儀は病棟で立派に出します」。 すごかったなー、あんなにキレるとは思わなかった。 「帰れっ!」だもんな。 そうしたら連中は言った。 「こんな境遇の親戚がいると、孫の足を引っ張ることになりますから縁を切ります」。だから言ってやった。 「彼にしてもあんたたちみたいな非常識人が親戚だと、このあと苦労するよ。 縁を切るのがお互いのためだ、とにかく帰りなさい。って言ってやった。 教育長ともなればものすごい退職金に恩給が当たるし、年金もある。 カミさんは元・看護師で、患者さんに対する態度が悪くて、病院を追われて、山奥の研修センターの保健婦として赴任させた。 ところが文部省の施設だから国家公務員だ。 こっちも退職金に恩給プラス年金で2億近い財産を手に入れた。 おそらく、ハンチョウの生活の面倒も見なければならないと思い込んで、それを回避するためにあんな行動に出たんだろう」

 「母の遺骨を墓と納骨堂に納めて、ほっとしたら躁うつの症状が出て、慌てて病院へ行った。 母の具合が悪くなった時に生活保護を申請して受理されていたから、治療費は無料。 むしろひどくなる前に、自分勝手に病名を想像して市販薬を買わないで、病院に行ってください、っていうのが生活保護だからありがたく病院にかかってる。 慢性副鼻腔炎で耳鼻科、皮膚科で不全型ベーチェット病。 おまけに一昨年は10月に大腸癌、12月に末期胃癌でいを全摘出。 やっと一息ついたと思ったら、胸痛で、これは肺癌だろうと思って、ここに駆け込んだ。 ぼくもこれで天に召されるな、イエスの使いはできなかった、と思ったら、胃腸が強引にオペで腫瘍を摘出した。 途端に、総合診療科医師のライセンスと臨床心理士のライセンスを持ってるよな、って院長や事務長まで病室に訪ねてきて、もし、回復したらこの病棟に勤務してくれるなら、保険外治療費をタダにするから。 事務長は、癌は再発予防で抗癌剤を5年投与しなければならないんですよ。 それらは保険内治療が3割で、大半が保険対象外になります。 一番安価な例として計算してみたら、月の負担が約18万円弱なんですね。 クレジットカード払いもありますが、失礼な話、生活保護受給者はクレジットカードを持つことができない。 つまり、現金払いになります。 この病棟に勤務すると、それらが無料なんですから、これ以上のお得なことはないと思います。 それでOKしたんだ」


 「イエスの使いですね。 いつからキリスト教徒に?」
 2010年に、彼のマンションにキリスト教を名乗った2人のアメリカ人が訪ねてきて、彼は何の抵抗もなく受け入れて入信したの
 正確に言えば、聖書の一部を勝手に書き直して、これが本物の聖書だとする、モルモン教というカルトなんだけど、彼自身は中学生から何百回も聖書を読んでいて、だんだんボロが見え出したし、ついていけなくなって、どこか真のプロテスタント教会を探すっていうから、ウチの家族はプロテスタントで正式なプロテスタント教会だけど、来てみる、って日曜に連れて行ったら、ものすごく強い力を感じた、って
 ここにはイエスがいる
 頭の中でわたしはここだ、と叫んでる
 ここに入信したい、って
 モルモン教は内容証明郵便で退会して、求道者として入信して、早かったよ
 7月には洗礼式だから
 牧師さんが驚いてた
 「わたしよりプロテスタントとしての戒律や、聖書について詳しい方ですね」
 イエスの使いですから、って言ったら、 えっ?って
 一度死んだ時のことを話したら、
 「全国的にいくつか同じような話はあります。そうですか。 イエスの使いというと、神の使いであるイエスの使い。 公共工事で言うところの孫請けですね。 このような方を当教会にお迎えできて光栄です」
 それから熱心に通ってる
 櫻井さんもそうだし、紺野看護師に佐橋ファミリーもね
 
 元・院長と事務長はまだ、マンゴープリンに夢中。 食べずにぷるぷるさせて喜んでる。
 はっきり言ってガキだね。
 「いやー、大きいですよね、大阪王将のから見るとスカイツリーみたいだ」
 事務長は感激してる。
 「遊んでないで味わえ!」
 アネさんのジャブ。
 「いやー、9月のお彼岸に、大阪王将で事務長と会って、一緒に食事をしたんだけど、マンゴープリンをデザートに頼んだんだ。 ショーウィンドウにはこの半分くらいのが飾ってあったんだけど、いざ運ばれてきたら、すげえ小さいんだよ。 スーパーで売ってる3個パックより小さいくらいしかなくて、ムカついてさ。すぐそばのホームセンターでコンクリートブロックを買って店の窓という窓に投げつけてやろうかって話したんだ。 ぼったくりだからさ」
 元・院長の言うことはわかるけど、やったら犯罪です。
 「隣のみよしののジャンボカレーに大盛り餃子を合わせると美味しいですよ。 餃子は普通が6個で9個に増えるだけです。 ただ、ジャンボカレーはまるまる二人前ですから、規定だとライスが240gですか。茶碗一杯が約90gですから、それと比較すると二人前は超えてますね」
 「240gのライス・・・・・・」
 「私もチャレンジした。 完食は出来たけど、呼吸が苦しくて死ぬかと思った。 あれで500円に大盛り餃子が300円だから、得なのはわかるが胃には相当来るな」
 「それで800円か。 逢坂王将は大盛り餃子が460円、ふわとろ天津丼490円、エビチリソース590円でデザートにマンゴープリン390円。 それくらい食べないと量が少なくておやつに小腹を満たす程度で、そのままラーメン屋に行きたくなる。 今度はみよしのだな。 24時間営業だから暇な時間にいつでも行ける」
 やっぱり北海道人にはみよしのかな。
 院長が一口食べた。
 「味が思い切り濃い!」
 「普通はマンゴープリンって、マンゴージュースを使うんですよ。 だからマンゴー果汁100%じゃなくて、10%か20%なんですが、これはマンゴーを革だけ剥いてミキサーにかけて作ってるんで、濃くなるんですが、苦味も多少は残ってしまうんですよね」
 「みかんだってそのまま食べたら苦味があったりするから、そんなのは気にならないよ。 だけど470gとはな」
 市販のプリンの一番大きなサイズが、小樽名物で470gなんで、それに合わせたみたいですよ 
 夕張には470gの夕張メロンゼリーもあるし、富良野でもメロンゼリーの470gを名物にしてます

 きのうは船木医師のムチャぶりで、ウチのかれの素性が明らかになったが、もうひとり、彼以上に素性のわからない人物がいる。
 アネさんだ。
 わかっているのは、赤十字病院から転院してきたということだけ。
 きょうの夜食で素性が明らかになったけど、それは明日のブログで。