きょうは、ツレがきのう提案した、クロノテラピーという方法論に従って、病棟の医師で、きょう化学療法を行う必要のある者はアネさん以下すべてが実践してみた。
「もし、成果が上がらないか、副作用が強く出るようなら、ぼくは医師として失格だから、病棟を去るよ。 懲戒でかまわない」
ツレはそう言い切った。
とは言っても、午後1時もしくは午前9時30分開始でしか抗癌剤の投与をしたことのないわたしたちにとっては、心配でたまらなくて、看護師と10分交代で、患者さんの容態を見に行っていた。
どうですか?
いつもと違う時間に、いつもと違う抗癌剤は
吐き戻しそうだとか、下痢をしそうだとか、しゃっくりが止まらないとか
「あん、うん、あー先生か。 なんか気持ちよくてうとうとしてた。すまないね、で、なんだっけ?」
吐き気とか、下痢をしそうだとか、しゃっくりが止まらないとかはないですか?
「あーこりゃ、ご心配をいただきまして。 何もないですわ。 ただ、気持ちよくてつい、うとうとしてしまって。 これも副作用なのかい?」
そういう副作用はないはずですけど
風邪薬でも、飲んだら眠たくなる体質の人もいますから、それと同じだと思います
「ふーん。 確かに風邪薬の説明書に、眠気をもよおすことがありますから、服用後の車両の運転はお控えください、って書いてあったな。 あれがこれか。 とにかく、今までは午後1時開始だったろう。 その時は眠気なんかなくて、もう少しで終わるかなと思って、点滴の容器に集中してた。 そうだねー、今ある副作用といえば、眠気と食い気だな。 腹が減ってしゃーないんだ。 もう少しで病院食だろう。 でもさ、あれだけじゃどこに入ったのかわからないんだよな。 あれかね、病院食の大盛りとか特盛ってやつは選択できないのかい。 今は、ラーメンでも丼物でも、ハンバーガーまでメガ盛りがあるそうじゃないか。 病院食だけじゃ腹が減って、夜中に目が覚めてちまう。 あーそうだ、夕食が済んだら一休みして、外出届をとって、イエローハットの横のラーメン屋に行って、大盛りチャーシューメンでも食べてくるかな」
おかしい。 この患者さんは副作用が強く出るタイプのはずだ。UTFという最も弱くて、国産で日本人と一番相性がいいはずの抗癌剤でも、投与中から吐いたり、終わった途端からものすごい下痢に悩まされて、病院食でさえ一口も口にできなかったはずだ。
患者さんが、またウトウトし始めたので、病室を後にした。
「失礼な男だ、まったく。 人が心配して頻繁に容態を見に行ってるのに、いびきをかいて爆睡してやがる。 呼んでも返事もしやがらん。 今までにこんなことはなかったんだ。くそー、バカにしやがって」
爆睡? 点滴の針が入った状態で爆睡・・・・・・なんと呑気な。
ありえないよ、普通はそんなこと。
「あーすみません。申し訳ございません。副作用がないかなと思って。 ゆっくりとおやすみください。 もう、聞きませんから」
チャラが病室から飛び出してきた。
「患者さんに、眠りを妨害したって、怒鳴られたっすよ。 今まではこんなことがなかったから。 あーびっくりした」
「怒鳴られるのはまだいい。 私は無視された。 爆睡しやがって」
「あーごめんなさい。きのう、ぼくが説明し忘れたんですね。 クロノテラピーを行うと大なり小なり眠気に襲われます。 普通は爆睡します。 うとうとは意志の力で爆睡を我慢してるんですよ。 ぼくの患者さんも爆睡してます。 元の担任。 奥さんが付き添ってなければ、顔に落書きをするとか、何かイタズラでもしてやりたい気分ですけどね。100点満点を取ったテストなのに、95点以上は同じレヴェルだからいいだろうって4点を何度引かれたか。 ジャイアンツ・バカはタイガース・ファンのぼくを目の敵にしてるんですよ。 勝負は球場でやれってのに、ったく」
とにかく、化学療法を行った患者さんは針を抜くまで爆睡していたという。
「かわいいですよね、寝顔って。 子供みたい」
点滴を落とす速度を管理するコンピューター付き点滴棒をスタッフステーションに戻しに来た紺野看護師はくすくす笑っていた。
ツレの相棒は、点滴棒のキャスター付きの脚に自分の足を引っ掛けて廊下で思い切りコケた。
「何かやらかさないと気がすまないのか」
ツレは走ってスタッフステーションから飛び出して、宇野看護師を起こしてやって、二人で仲良く点滴棒を運んできた。
「ケガはなかったか?、うん。 気をつけろよ。嫁入り前の大事な体だからな」
友情が芽生えてる。 すごい。
「クロノテラピーの効果は、患者さんを気持ちよくさせるってことはわかった。 邪見にされたのは腹が立つけどな。 あとは明日の検査だな」
アネさんは、患者さんが気持ちがいいから爆睡するんだろう、と付け足した。
「まず、投与中に吐き気や下痢やしゃっくりで大騒ぎすることがなくなっただけでも成功だと思うよ」
だよねえ。 でも看護師は仕事を奪われて、ちょっと寂しそうだったけど
「病院食を特盛にしてくれってしつこくてどうしようもなかったけど、そのあと、頼んだぞって言ってデカイあくびをしたら、もう爆睡。 患者さんにはそれだけやさしいということなんだろうけど、いびきまでかいて、いい気なもんだよ。 差し当って、この方法は素晴らしい。 でもひとつ言わせてもらえば、化学療法に関わった医師は、夕食の病院食を食べ損ねるってことだ。 ガンバさんがもう少し気の利く方なら配膳車から、ぼくの分を降ろしておいてくれるんだけどね」
「すまんな、気が利かなくて。 こっちは明日の化学療法で手一杯で、自分のを抜くだけが精一杯でね。抜くか抜かないかのうちにエレベーターに引っ込んでったんだ」
「お惣菜だな、また。 どうする、ドンキ? コープ? ダイイチ?」
チャラは点滴棒を片付けている奥さんに訊いた。
「この前はどこだっけ。 ああ、コープか。 だったらドンキ。 ダイイチはぼったくりだよ。 あんなに少ない量で、他のスーパーより200円も高い。 298円でもいいようなかまぼこと卵焼きと、3切れの漬物に茶碗半分のご飯。 それにサバのしっぽのほうが見事に薄く切って乗せられて、598円。 ドンキは握り寿司が1人前398円だし、4人前折を買っても1280円だから、無駄なお金は使わない」
しっかりしてる。
「あのう」
振り返ると、スタッフステーションの入口に、化学療法を受けた患者さんがぞろぞろと集まってる。
「外出届の用紙を。 これから外出したいんで」
「今は午後7時だから、これからイエローハットの隣のラーメン屋に行きたくて。 病院食なんかじゃ全然腹が持たんから。 今から行って、注文して、食べて、戻ってきても、午後8時30分くらいには戻れると思うから」
別の患者さんは言った。
「化学療法をしたすぐで大丈夫か。 戻したりしない?」
アネさんは訊いた。
「吐き戻すなら、病院食でやってるでしょう。 とにかく腹が持たないから。 おやつも食べたけど、あんなの何の足しにもならんし。大盛りくらいじゃないと腹が減って眠れないから」
「よし、わかった。 医師の付き添いがあるならば認める。 化学療法に関わった医師と看護師は病院食を逃したんだ。 だから、自分の夕食も兼ねて付き添う。どうだ、それで手を打たないか」
アネさんは外出届の用紙をさばいた。
「なんでもいいよ。医者がいてくれれば心強いから」
「じゃあ、書いて。カウンターでいいから」
患者さんは外出届を書いた。
担当医が受け取り、自分の認印を押す。
これで外出はOK。
患者さんとラーメンなんて、おもしろそう。
「ほー、1人前に白衣なんか着て。七五三か? それとも趣味はコスプレになったか」
ツレの元担任がからかう。
「何が。 防衛大の願書を破られなければ、今はブルーインパルスかイーグル・ドライバー(F-15Jイーグルのトップ・パイロットの名称)として空を飛んでたのに。 それができないから、こうやって白衣という制服を着てるんです。 制服が好きでね。空自のほうがきりっとして好きですが、白衣もなかなかですね。 マジック36は消えるでしょう。ジャイアンツは詰めが甘い。 タイガースは来年ですね。弁護士の大阪市長が道頓堀ダイブをした人間を、景観条例違反で告訴するって言うから。 来年はあの市長も国政に打って出るでしょうから、来年は思い切りダイブしますよ。 なかなか優勝できなくておかわいそうなんで、母もジャイアンツ・バカだし、供養の代わりに今年は引き下がります」
巡回検診でも必ずこういう口を聞くんだよね、ツレは。
いいコンビだ。
さあ、ラーメンに行こう!
余談ですが、本日午前9時30分スタートの、ツレとガンバの担当患者さんの、ガンバのリベンジ・チェス対戦。
リベンジ成功。1度対戦しただけで、相手の癖を全て見抜いてたらしい。 相手は呆然としてたって、ガンバが喜んでいた。
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昨年、イモトアヤコさんと、ウチの前院長のガイドで、前代未聞のキリマンジャロ縦走登山を行った(ベテランが失敗して、何百人もが死んでいるんですって。縦走登山というのは登山の中でも最高に難しいものらしいのですが、見事に頂上を極めた(予定時間より3時間ほど早くて、ツレは募金所を回りながら、テレビ局にあれこれ言い訳をしてたという。
そんな立木早絵ちゃんが、ツレのプロデュースで本を出しました。
もし、よかったら、キリマンジャロ縦走のことなど写真と文で構成されていて、読みやすく仕上がっていますので、御一読してみてください。
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