今夜は午後7時からの1時間に、スペインの奇祭「牛追い祭り」が開催される。
 出場することが義務付けられているわたしたち医師にとって、今朝からの過ごし方を調整して、万全の体制で祭りに供えなければならない。
 わたしと彼は体力をなるべく温存するために、病棟で過ごすことにした。
 なんたって、イギリスの「チーズころがし祭り」に次ぐ伝統的な祭りだ。
 狙うのはもちろん優勝。
 オリンピック風に言えば、いちばんきれいな色のメダルが欲しい。
 ウチの不思議ちゃんもライバルだから、なんとしてもメダルは譲れない。
 楽勝だよ。
 不思議ちゃんチームの相棒は宇野看護師だし、こっちは紺野看護師だから。
 ナベちゃんが日勤である時点で、わたしのチームの勝利は決まっているんだよ。
 実際、結果はわたしのチームが一番きれいな色のメダル。
 不思議ちゃんは予選落ち。
 
 きょうの不思議ちゃんは、午前10時から、特殊捜査二課第8班の依頼で、14歳の女の子のカウンセリングを行った。
 女の子は2名。
 臨床心理士は同時に2人のカウンセリングをすることができないから、もう1人を、元・警視庁のプロファイラーだった景子さんに任せた。
 8班班長が2人を連れてきた。
 わたしはカウンセリングが終わるまで、面会棟で班長と久々に世間話をしていた。
 どうして彼女たちのカウンセリングが必要なのか、それは個人情報に触れるため、カウンセラーにしか話すことができないと言う。
 わたしたち医師も、患者さんの情報を安易に他言しない。同じことだよ。
 1時間を少し過ぎた頃、なぜか少女も、カウンセリングをしていた不思議ちゃんも泣きながら、面会棟奥の第二告知室から出てきた。
 ときどきあるんだよね、カウンセラーが泣いていることが。
 クライアント(相談者)が憑依するんだと、不思議ちゃんは説明してくれた。
 霊が憑依するという恐山の潮来は憑依した振りをしているだけで、実際には憑依という現象は起こりえない、と自分で言ったんだよ。
 恐山の潮来に自分の親族の霊を呼び出して憑依してもらって、いろいろなことを訊いてみる。
 あらかじめ潮来に話してある情報に嘘を織り交ぜたり、秘密にしておいたこまごましたことを質問すると、はずれた答えが返って来る。
 つまり、与えられた情報をただ、霊の言葉として話すだけだという。
 実際に自分でも実験してみたというから、嘘ではないはずだ。
 その不思議ちゃんが、クライアントに憑依された?。
 どういうこと?
 スタッフ・ステーションの第1告知室でもう一人の少女のカウンセリングをしていた景子さんまで、泣きながらカウンセリングを終えて、面会棟に少女を連れてきた。
  もう1人の臨床心理士の美咲さんに訊くと、精神科や心療内科の医師は、クライアントと向かい合う存在で、臨床心理士はクライアントと常に同じ方向を向く存在。クライアントの心の海にダイビングするのが臨床心理士のカウンセリングだから、クライアントと同じ気持ちになって傷ついたりけがれたり、クライアントと心に同じ痛みをを抱え込んでしまう、という。
 「そうなのか。だから、彼女たちを市内のすべての精神科や心療内科へ連れて行っても、2度目からは行かなくなるんだ。わかった。精神科や心療内科は彼女たちにとっては敵なんだ」
 8班班長は言った。
 「心療内科や精神科ではどこも必ず同じ答えをするんだ」
 不思議ちゃんがため息をついた、
 「あなたは身も心もけがれていない、って。よく言えたものだよ、無責任な」
 「励まそうとしてくれたんじゃない」
 8班班長は答えた。
 「それがいちばんいけない行為なの。慰め励ますのは、この場合、傍観者的態度でしかない。彼女のことなんか何もわかっちゃいない。それが彼女の心の傷を深くしたんだ。ものすごく深い傷で、身も心もけがれてる。ぼくもなんとか耐えたけど、彼女たちをこんなにした大学生を殺してやりたい」
 「わたしもハンチョウと同じです。こんなに身も心もけがれていて、よく死を選ばなかったと思います。でももう大丈夫ですよ。わたしも同じようにけがれました。彼女が死を選ぼうとしたら、私の心にも彼女の決心が伝わりますから、止めることはできます」
 思い起こしたくないが、紺野看護師のフィアンセが、実は結婚詐欺と連続レイプ犯で、病院の勤務を終えて寮へと戻る宇野看護師を犯そうとしたことがあった。
 その時も美咲さんが宇野看護師のカウンセリングを担当したのだが、宇野看護師以上に美咲さんが泣いていた。
 だから、臨床心理士は1日に何軒ものカウンセリングができないんだ。
 1人のクライアントと同じ傷やけがれを背負い込むためにボロボロになる。
 次の面接予約は今週土曜の同じ時間。
 不思議ちゃんと、景子さんは紙に何かを書いたものを、8班班長に渡した。
 「レセプトは?相談料っていうか、その」
 「いらないよ。警察の予算では出ないだろう。彼女たちの個人負担は、これだけの傷とけがれの中にいる子に請求できないよ。同じ課の同僚の仕事を手伝っても手当ては出ない。それと同じこと。ぼくも事件には憤りを持ってるから捜査に参加したいけど、もう刑を待つだけなんだろう」
 「ありがとう。絶対に厳罰にしてやる。検事も女性だから、強気に出るよ。何よりも彼女たちの傷とけがれを理解してくれてありがとうね。それじゃあ、土曜日にまた」
 8班班長は2人の少女を連れて帰っていった。


 不思議ちゃんのもとに電話があった。
 不思議ちゃん先祖代々の菩提寺の、維持費を振り込んでほしいと言うことだった。
 プロテスタントが毎週教会に寄付をするのと同じことで、仏教のお寺には維持費と寄付がある。
 維持費は僧侶家族の生活の面倒を見るためのもので半年に一度ずつ。一度に数十万円。
 檀家さんにあらかじめ一軒につきいくらと、檀家の三役が決めて支払わせるもの。
 納骨堂があるうちは支払わないといけない。
 不思議ちゃんは明日の朝振り込むと答えた。
 今回は寄付がずれたのか。
 寄付は僧侶の袈裟だとか着物、その他お寺の施設の補修に当てられる。
 同時の時もあるんだよ。そうすると100万円を超える。
 プロテスタントと比べるとお金がかかるよね。
 教会の牧師さんって、中古車の、5万円とか、最低ランクの車に乗ってる。
 いつ、ギャグアニメみたいにバラバラになってもおかしくないような車。
 だけど僧侶って、国産の高級車か外車なんだよ。それも、1人で2台も3台も持っている。
 そして家族もそうなんだよね。
 仏教のお寺は税金が一切かからない。市民税も払わなくていい。
 だから、檀家さんの維持費と寄付を好き勝手に使い放題。
 そんなのに払わなくてもいい。と言いたいところだけど、納骨堂を守ってもらっているから仕方ない。
 振り込む約束をして終わりかと思ったら、不思議ちゃんが、
 「えっ!」
 と言って顔色がサーッと青ざめた。
 「もう、壊した後ですか?」
 何を?。
 「あーっ、そうなんですか。いえ、一言も聴いてません。わかりました。時間のある時に現地に行ってみます」
 電話を切った不思議ちゃんは、何かを見つめ、考えていた。
 どうしたの?
 「うん、えっあっ、あの、ウチの墓が取り壊されたって」
 うそっ?
 墓を守ってるのはサコちゃんでしょ
 何でサコちゃんの知らないうちに取り壊されたの?
 「うん。ウチの元親族らしい」
 この病院の事務にいた、佐藤の関係?
 「義父と義母」
 サコちゃんの進学に関して、教育長という立場を使って、高校に圧力をかけて片っ端から潰した人。
 自分の娘が、お金を積めば入学できる短大で、サコちゃんは授業料は要らないからウチの大学へ来てくれ、と言われる存在。
 自分の娘より優秀な大学に、授業料全額免除の推薦で合格だから、潰したくなるよね。世間は比べるから。
 お母さんが亡くなった時も、孫の進学が心配で、病院に5分もいないで、密葬もなにもかも出席しなかった
 看護師長に追い出されたんだっけ、孫の心配ばかりで、そっちへ行きたそうな口ぶりだったから
 「そう。ウチの墓は建ててから54年になるから、倒しても問題にはならないんだけど、ウチは亡くなって8年にならない新しい仏さんがあるから、倒さないほうがいいと、僧侶に言われてね。母親の13回忌のあとで、倒すかどうか決めようと言うことになっていたんだ」
 今から行ってみよう
 午後7時までに十分時間はあるから
 わたし、アネさんに理由を話してくるから
 青ざめてうつむいたままの不思議ちゃんを残して、わたしはスタッフステーションに駆け込んだ。
 ちょうど事務長が休日に出勤してきて、アネさんとなにやら話しているところだった。
 お話中ごめんなさい!
 「どうした、志村、ハンチョウの容態でも悪いか?」
 ある意味
 精神的ショックで
 これから、彼の先祖代々の墓へ行ってきたいんですけど
 「どうした、何かあったのか?」
 彼の守っていた墓が、彼に無許可で倒されたらしいんです
 なにか、以前、ここにいた佐藤の義父と義母が、彼に断りもなく倒したとか
 「ああ、ぼくの部下だった佐藤夫婦。口は三人前だけど仕事がまったくできないから辞めてもらった。この病棟の意向もあったし。あの連中ならやりそうなことだ」
 「孫を小学校から一貫教育の学校に入れる相談とかで、彼のお母さんが亡くなった時にちょうど面会に来て、孫のところへ行かなきゃならないと連発して、看護師長に出て行けと言われた。あー、相変わらずなのか。私も看護師長があんなにマジギレするようなタイプに見えなかったから驚いたよ」
 彼は建ててから54年も経つから、倒してもいいようなものだけど、まだ7回忌を終えて半年たったばかりのお母さんのお骨があるから、13回忌を終わったら考えると言ってました
 「そうだよ。50年経ったらお骨は土に返すということで、墓は倒すんだ。でも、直前に新しいお骨が入った場合、そのお骨の13回忌か21回忌まで倒せないんだ」
 事務長は言った。
 とにかく行って見てきます

 彼が守っていたお墓の逢ったところの四方に木の杭が打ち込まれていた。
 「誰か、新しい墓が建つんだな」
 彼はぽつりと言った。
 「しかも、ウチの敷地より一回り小さい。ということは杭の周囲はウチが借りていることになるわけだ。賃貸料は取られるな」
 町営の墓地だから、土地は町のもので、賃貸でお墓を建てる敷地を借りているわけで、たとえ狭くなっても、その土地を他の誰かが借りるまでは、永久に賃貸料金を支払わなければいけない。
 とはいっても、幅が30cmくらいしかない通路のようなものが四方を囲んでいるだけだよ。
 どうしてひとまわり小さいんだろう
 「恐らく淵にウチのお骨を埋めてるはずだ。だからだよ」
 その土地にはブルドーザーか何かの重機のキャタピラのあとがはっきりと残っていた。
 お骨を埋めた上を重機が通るって完全な蹂躙だよ。
 お骨をなんとも思ってない墓石屋。
 こんなことが許されるの?。
 ちょうど、そこへ坂道を小さなユンボが登ってきた。
 杭の中をいきなり彫り始めて、オペレーターはユンボを止めた。
 「ちょうどよかった。これ、墓石を倒した工事料なんだけど、明日にでも、振り込んでくれる、一括で」
 オペレーターは不思議ちゃんに請求書と書かれた封筒を渡した。
 何も聴かされないで勝手に倒されたのに、工事費用はこっち持ちなの?。
 そんなの支払わないよ。冗談じゃない。
 勝手に倒した本人が支払うべきでしょ。
 「杭の周囲にお骨を埋めてあるんですね」
 不思議ちゃんはオペレーターに訊いた。
 「横と後ろだけ。だから町の賃貸料は残るね」
 「こんなところにいても仕方ない、帰ろう」

 不思議ちゃんは、病棟に帰る頃には何もかも忘れたかのように元気だった。
 「明日以降、弁護士に相談してみるよ。明日は、倒した時の工事代金を一応は振り込む。弁護士の考え方によっては一度支払ったものを取り戻すことができるんだ。親戚の縁も完全に切ってるから、民事で訴えることも視野に入れていいと思う」
 彼の相談する弁護士といえば、「笑わない弁護士」さんか。テレビの法律バラエティーで右端に座ってる人。
 1人は国会議員に、もう1人は大阪市長になった。そのことをくだらないと一蹴した、あの人ね。
 どんな手段を使うか、だよ。
 洗いざらい話せばかなり強く出てくるだろう。
 だけど、相手は常識が通じない。
 かなり難しいことになるのだろうか。

 不思議ちゃんは泣き寝入りするだろうと思っていた。
 お墓を倒した工事代金は76万円。
 縁を切ったとはいえ、親族を訴えるとは。
 ハーバードの頭は、わたしたちとどこかの構造が違うんだろうね。
 とにかく、明日以降が楽しみだよ。

 今はピアノを弾いてる。
 いきものがかりの「ありがとう」。
 弁護士さんとの相談を控えて、余裕があるよね。
 でも、いい曲だ。
 次は「神様のカルテからメインテーマ」
 絶対にそうだよ。