ピアノの先生はわたしに嘘をつき続けた。
 指は立ててピアノを弾きなさい。
 寝かせるのは正しくありません。
 あなたはもっと指を立てなさい。
 正しい音が出ないでしょ。

 寝かせても出たよ。
 それも、優しくてとても気持ちのいい音が。
 一度寝かせて弾く癖がつくと、二度と立てて弾くことができなくなります。
 だって、1曲の中で立てたり寝かせたりできたよ。
 
 ウラジミール・アシュケナージというクラシック・ピアノの巨匠がいて、来日公演のチケットが5万8千円もするのにすぐに完売になる。
 彼は、ユンボの爪みたいに鍵盤に指を突き立てる。
 だから、ドビュッシーなんかを弾く場合、例えば「月の光」なんていう曲は、トーンが硬い。
 もっと、優しい曲だと思うんだけど。
 彼の場合は、間のとり方でゆったりと聴かせて、いかにも優しく見せかけてるんだ。
 恐らく、立てて弾きなさい、寝かせてはいけませんという教育を受けたんだろうけど、タッチを変えたらトーンが変わるってことを未だに知らないんだろうか。
 だとしたら不幸だね。
 わたしもきのうはそうだった。
 そうだと信じていた。
 だけど、日付が変わる頃に、ピアノの先生に教えられたことが嘘だったことを、実技で知った。
 きのう、わたしはグランブルー・ドリームス・オーケストラの夏のコンサートのリハーサルで、ピアノの音色が硬いと、タクトを振っていたウチの彼に何度もだめ出しをされ、最後には、フライパンで殴り殺そうかと思うほど、彼を憎んだ。
 病棟の自室に戻ってから、どんな音が欲しいのか、その音を出すためにはどうすべきかを彼に問いただした。
 彼もお母さんからピアノのスパルタ教育を受けているから、立てて弾くことを強制されていると思っていたから。
 彼は1曲のエチュードを取り出した。
 幸い、特別室は完全防音で、真夜中にトランペットやサックスを吹いても外には漏れない。
 キーボードは、ピアノよりも鍵盤が軽い。
 軽いということは、ピアノと違ってバネで戻すから、鍵盤の戻りが早いということ。
 ピアノはシーソーの原理で、鍵盤の先の、弦を叩くハンマーが重たいから指を離すとハンマーが自然に落ちて鍵盤が戻る仕組み。
 でも、彼のキーボードは、ピアノの鍵盤と同じ重さに調節できるもので、そうしてあった。
 「いいかい、指を見ていて」
 彼はキーボードを弾き出した。
 最初は指を垂直に立てて鍵盤を叩いた。
 出てきたのは硬いトーン。
 「次だよ」
 と言うと同時に指を寝かせた。
 リハーサル中に言った、指紋の真ん中の一番膨らんでいるところで鍵盤を叩いた。
 出てきたのはやわらかくて、やさしくて、子守唄のようなトーンだった。
 また、指を立てる。
 トーンが硬くなる。
 指を寝せるとまたやわらかくて、やさしいトーンになる。
 「ピアノにはトーンとタッチの二種類の組み合わせがあるんだよ。クラシックではタッチを否定して、トーンだけを教える。ぼくもずっと指を建てて弾けと言われてきた。指を寝かせると頭を叩かれた。でも、ジャズ・ピアノを聴いているうちにどうやったらこんな柔らかくて優しい音になるのか不思議だった。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」なんだけど、いろいろ調べて、ビル・エヴァンス・トリオのVHSを手に入れたんだ。あまりいい画質じゃないけど、よく見てみると、指を寝かせて弾いてるんだ。そのあとにキース・ジャレットというピアニストを聴いたら。トーンがクラシックより硬い。これもVHSを見てみると鍵盤に指を突き刺しているように、極端に指を立てているんだ。ビル・エヴァンスは指を寝せているから、音量も少ない。キース・ジャレットは思い切り指を立てているから、ものすごい大音量だけど、雑音みたいに聴こえたんだよね。確かに指を立てればp~ffの表現の幅は出るよ。でも時としてそれは雑音にしか聴こえない場合もある。ぼくと同じようにやってみて。ゆっくりでいいから」
 それからわたしは、彼が後ろで指を立てて、寝かせて、と言うままにエチュードを弾いた。
 最初はぎこちなかったけど、30分も経たないで、完全に使い分けができるようになった。
 「じゃあ、仕上げね」
 彼はわたしの前にドビュッシーの「月の光」の譜面を置いた。
 「まず、指を立てて弾いてみて」
 指を立てると、硬くて、曲の意図をぶち壊すような音になった。
 「指を寝かせて弾くとどうなるかな?」
 33小節目から指を寝かせてみると、途端にやわらかくて、優しく包むような音色になる。
 そうだよ、ドビュッシーは月の光にやわらかく優しく包むようなものを感じていたはずだ。
 これが完成形の「月の光」だよ。
 弾いていてこんなに気持ちがよくなったのは初めて。
 「今のを、そのまま生かして欲しいんだ。あの曲に」
 「PLAY FOR YOU」。
 あなたのために祈ります。
 そうか、祈りの曲なんだ。
 「ソプラノ・サックスのソリストに1枚の写真を見せた。この写真を見た感想を音で聴かせて欲しいって。この写真だ」
 女の子と男の子、そう、4歳くらいの2人が向き合って、おままごとみたいな遊びをやっている写真だ。
 モノクロだからよくわからないけど、多分、欧米人だと思う。
 とても無邪気に笑いながら遊んでいる。
 「彼らの成長でも、幸せでもいい。それを祈る感じの音が欲しい」
 写真を見ていると、心があったかくなって、ほほえましいようになってくる。
 「ぼくは何も感じないんだ。子供が嫌いだから」
 だろうね。
 よし、写真を心のハードディスクに記憶して、リハーサルに望もう。

 というわけで、きょうはダメだしは1度もありませんでした。
 1人の講師に教わるということがどれだけ怖いことかもわかった。
 ある種の洗脳でしょ。
 臨床心理学では洗脳というのは、その人の常識や価値観を徹底的に否定して、脳が混乱している時に、新たな価値観を与えてやることで、それが正しいと思い込ませることだと定義づけるみたいだけど、オウム真理教がその手を利用して、麻原彰晃の狂信的信者を作り出し、数々の事件を起こしていったという。とにかく1つの価値観を正しいこととして植えつけるという意味において、麻原彰晃とピアノの先生はイコールとなる。
 学校と違って、ピアノ教室は雑草みたいにどこにでもあるから、選ぶということができる。彼みたいな教え方をすると生徒も伸びるよね。
 本当にきょうのリハーサルは楽しかった。
 ピアノってこんなに面白いものだと34年つきあって初めて知った。
 記念すべき日だった。

 それから、安積看護師。
 きょうからリハーサルに参加してるよ。
 正式入団した。
 教会から戻って、職員駐車場で、どんな服装で行けばいいのかと訊くから、普段着でいいんじゃない、と答えた。
 ただ、パーカッションの女の子はスカートは履かない。
 楽器から楽器へと曲の中で移動する場合があるから、コケたら見えるからだと思う。
 アンドロイドは折り目の効いた、洗濯糊でぱりぱりのスラックスで、宝塚の男役みたいな感じかなと思いきや、デニムの短パンにノースリーブのTシャツだったけどね。
 きのうの夜、彼が看護師長とアネさんをほろ酔いにさせて、OKをとりつけた。
 土曜日なら別に問題はない。
 第一、患者さんは全員一時退院で病棟は空で、勤務の看護師は休憩室で、ジュースを飲みながらお菓子を食べ、TVを観て笑ってるだけだから、有意義な時間を過ごすのもいいと思うというのが、看護師長の考え。
 アネさんは先輩が安積看護師をウチのオーケストラで借りたいと電話して来てくれた。リハーサル中は私が責任を持って預かるし、決して引き抜くようなまねはしないと言ってくれたから、私はそれだけでうれしい。だから、入団させてもらえ。仕事に関係なくても、技を持つことは大切だ。私にはそれがないから、TVゲームをやってる。技があればいろんな楽しみがあるのに、酒を飲んで酔うこととTVゲームだけっていうのも寂しいもんだ。技があるならそれを生かせ。P・F・ドラッカーもそう言ってる。
 なんて言って。
 彼の十八番であるドラッカーを引用されて、ちょっとムカついたみたいだけどね。

 彼はピアノの講師と、パティシェに向いてるね、医師よりも。
 1時間の間に一時退院の患者さんが大挙して帰ってきて、目を回しているし。
 臨床心理士にはもっとも向いていないかもしれない。
 臨床心理士は聴き上手だし、彼は教え上手だから。
 シェフもいいかもしれない。
 今夜の夜食は「鮭のポテト衣揚げ」。
 おかずだけど、主食並みのヴォリュームがあるとか。
 医師としては、人の患者さんを勝手に片っ端からオペしてしまうからね。
 担当医の意味がなくなるんだよ。
 頼ってる医師たちも悪いけど、わたしも含めて。
 すみませんでした。