きょうはさんざんな日だった。
燃え尽きた感じがするよ。
まず、彼はきょうの午後12時に精神科の予約診察が入っていたんだけど、夏型肺炎で緊急入院した患者さんの最後のレントゲンがあがるのを待っていたために、30分の遅刻。
受付は開いているけれど、医師が休憩に入ってしまっていて、午後2時に予約時間を変更させられた。
アネさんには連絡を取って、全てを話してOKをとったんだけど、問題は昼食。
ラーメン店は午後12時30分でオーダーストップをかけて、閉店。夜の仕込をして、午後5時から再び開店するからどこもダメ。
仕方がないから、デパ地下おにぎりを買って、駐車場の車の中でゆっくりと食べた。
飲み物を買おうとした時に、トクホのコーラ、と大きなPOPを貼り付けられた一角があって、そのトクホのコーラの成分表示を読んでみた。
脂肪分解効果とか、いかにもって感じのキャッチコピーがボトルに書かれてるけど、医学的にはあまり効果は期待できないように思った。
トクホであろうがコーラは所詮コーラだ。普通のコーラと同じ成分が入っている。
骨肉種の原因となる成分も、麻薬成分もこれまでのコーラと同じ。
最初から買うつもりはなかったんだけどね。
たとえトクホであっても、コーラはプロテスタントの律法に触れる。
いきつくところはスポーツドリンクだよ。
レジに並ぶと、目の前で60代の男性が、ものすごい剣幕で店員さんにいちゃもんをつけていた。
早口で、何を言ってるのかよくはわからないんだけど、やくざみたいな言葉遣いで、正直わたしは恐ろしかった。
彼は耳元でささやいた。
「売り場のところまで離れていてくれる?傘を持っているから、攻撃してくると思う。万が一眼に当たったらとんでもないことになるから」
わたしは彼に従い、売り場まで離れた。
彼はその男性に近づいて、いきなり言った。
「言いがかりは問題だよ。店員さんに非はないよね。買い物の代金をチャラにしたいんだ。そうなると詐欺だね」
男性は彼を睨みつけると、言った。
「黙らんかどアホが、対応がなっとらんから教え込んでるんやないけ、引っ込んでろ、このどアホが」
「図星だったみたいだね。黙ることができない仕事なんだ。こういうお仕事」
彼は警官としてのIDを提示した。
「漢字は読める?北海道警察旭川方面本部生活安全課。あなたのような、代金チャラが目当てのクレーマーを捕まえる仕事です」
「サツなんか怖くないぞ、ワレ、ワッパはめれるんやったら、やってみい、ボケ、カス!」
「じゃあ、はめるよ。ぼくはきょうは非番だから、ワッパは持ってない。でも、本部に連絡したら、詐欺罪で刑務所だよ。詐欺には執行猶予はないから」
彼は男性を休憩スペースのベンチへと引きずっていき、傘を取り上げた。
電話を耳に当てて、5分も経たないうちに制服警官が4人やってきた。
彼は傘を1人の警官に渡し、男性は両脇を抱えられて連行された。
警官に対しても悪態をついて暴れたため、公衆の目前で手錠がかけられた。
1人残った警官は、店員さんに事情を聴いていた。
彼とわたしはレジを済ませてマイバッグに品物を入れていると、事情を聞いていた警官が彼のところへやってきた。
「完全な詐欺ですよ。よくある、店長を呼んで謝罪させて、現金をふんだくって、なおさらに買い物の代金を踏み倒す典型的な手口です。刑事罰に相当ですね」
あとはよろしく、と言い残し、彼とわたしはデパ地下を出た。
診察は早かった。
きょうは特に指摘されることもない。
次回の予約日を言い渡されただけ。
処方箋薬局も調剤が早く済み、病棟へ戻った。
すぐに白衣に着替えて、スタッフステーションで、夏型肺炎の患者さんのこれからの治療についての打ち合わせ。オブザーバーとして櫻井医師にも加わってもらった。
レントゲンは健康な人のものとなんら変わらないほどになっていた。
でも、ここで退院ですよ、とは行かない。
失った体力を元通りに回復するまでは、毎日、リンゲルを投与する。
それと平行して、生活環境改善についても話し合わなければならない。
生活改善に関しては、ソーシャルワーカーさんにも加わってもらうことで一致。
午後4時からは、彼を初めとする各病棟の臨床心理士が集まって、合同カンファレンス。
看護師は病棟単位で、木曜日の午後4時から開かれて、こちらは、必ず2名の医師の出席が義務付けられている。
症例検討会とでもいおうか、毎回、不作為に選んだ症例についての処置や、現在のケアの改善点に関して意見をぶっつけあう。
普段は医師に対して反抗できない看護師も、このときは何を言っても許される。もちろん治療法などのケアについてだけどね。
臨床心理士の場合は医師の参加義務はない。
それでも、わたしにとっては興味深くて、一度でいいから見学してみたかった。
「これからカンファレンスだけど、見学してみる?」
わたしの心を見抜いたかのように、彼は言った。
アネさんの許可が降りたら、ね
アネさんは二つ返事でOK。
「これからの医師は、身体的側面からだけではなく、患者さんの心の問題にもかかわることがあるから、臨床心理学も少しくらいは憶えておいて損はないと思うけどな」
わたしは4F病棟の面会棟で行われる臨床心理士のカンファレンスを見学することにした。
ところが、彼らの話はまったく理解できない。
外国語の授業の方が簡単だ。
ここはどこ?。
ひょっとして別の次元か、太陽系外宇宙のどこかの星?
教えて、ここはどこなの?
開けてよ。ドアを開けてもとの世界に帰して。
この病院に勤務するすべての臨床心理士のリーダーは彼で、症例検討会とはまったく違うものだった。
臨床心理学を使った行為において、臨床心理士協会で改善された部分が主な話題で、クライアント(医師でいう患者さん)に対する、何かのことが議題。
「ロールシャッハテストの最新統計を見ると、適用率がかなり下がってるんだけど、このテストについては、先週、単独で行って総合的に判断するのはどうだろうか、ってことだったよね。複数のテストを組み合わせて判断すると言うのはどうだろう。例えば頻繁にテストを行う必要のあるクライアントの場合を見ると、WTSCの点数が高いから、ロールシャッハ+WTSCを行って最終的な判断を下す。時々しかテストを必要としないクライアントだとバウムテストが点数が高いから、ロールシャッハ+バウムにするとか。とにかくロールシャッハみたいな、眼球の動きや瞳孔の収縮だけで、本当にすべてがわかるのか、という疑問を持ちながら、ロールシャッハに頼ってきたけど、実験的でもいいから、アプローチを変えてみるというのはどうだろう。それでまともなデータが上がらなければ、ロールシャッハテストに絞ってみてもいいんじゃないかな」
彼の言葉にはすべての臨床心理士が賛同して、カンファレンスは終了した。
臨床心理士たちが席を立とうとする瞬間に彼は言った。
「初めてのクライアントのことだけど、チーム・フォーミュレーションにどのくらい時間をかけていますか?重点項目として、チーム・フォーミュレーションには徹底的に時間を割いてください。テストを急ぐ必要はありませんから」
フォーミュレーション?。
フォーミュラーワンなら知ってるけど。
分冊百科の世界の偉人伝シリーズに、アイルトン・セナが入ったんだよ。
最高にうれしい。
わたしがなんとなく理解できたのは、ロールシャッハテストだけ。
眼球の動きと瞳孔の収縮から、相手の考えていることや心理状態を当てること。
彼が巡回診察や患者さんと会話をする時に、相手の眼から自分の目を決してそらさないで話して、患者さんの考えていることを見抜いて、ケアを考えてる方法のことだというだけをかろうじて理解できたけど、WTSCだのバウムはまったくわからない。それにチーム・フォーミュレーション。
オウムは知ってるけどバウムはね。
わからないことを素直に質問することは、わたしは恥ずかしくはない。
進学塾だって、理解できないところについては積極的に質問しないと、最終的に負け組になるでしょ。入試に落ちて。
だから、慣れてるんだよ。
バウムとWTSCについて、彼は丁寧に説明してくれたけど、いまいち飲み込めない部分があって、一旦頭を整理してからまた質問する。今の状態は、どこがわからないのかわからないレベルだからね。
でも、チーム・フォーミュレーションは完璧に理解できた。
医師に置き換えると、初診時の問診にあたることだって。
医師も、初診のときはとにかく問診に時間を割くようにアネさんから言い渡されてる。
怠ると、見つけなければいけない症状を見逃して、あとで患者さんの生命にかかわることもあるからね。
医師が問診して、身体的所見を臨床心理士に渡すと、彼らは、もう一度問診をできるだけ時間を割いて、詳しく行ってから、初めてテストと呼ばれる、バウムやWTSC、ロールシャッハなどを行って、患者さんのメンタルな部分を引き出して、医師に戻すと同時に、カウンセリングを行うということ。
今までのわたしが考えていたのは、最初からカウンセリングを行ってメンタル部分のサポートをするのが臨床心理士の役目だってこと。
カンファレンスに参加してみてよかったと思ったね。
臨床心理士と医師との連係プレイがうまくいけば、癌や難病などの治癒率があがるんじゃないかな。
臨床心理士を信用しない医師は多い、というかほとんどの医師が彼らをバカにしてる。でも、それじゃあ、医学は進歩しない。
とにかく貪欲に受け入れるように、頭を切り替えないと、これからの医療に進歩はない。
医師は薬剤やオペなどで患者さんの健康を取り戻す。
臨床心理士はメンタルな面からのアプローチで、患者さんの健康を取り戻す。
二つが交わった時に、ものすごい治癒力が生まれると思う。
わたしは臨床心理士の意見を全面的に受け入れようと思ったし、もっと医師と意見交換する場があってもいいと思った。
アネさんには正直に感想を話した。
「志村の言う通りだ。臨床心理士はマジシャンではないし、ハンドパワーを持っているわけでもない。精神医学という医学のひとつの分野に属する、医師でもあるんだよ。ただ、日本では精神医学という分野はマイナーで、まだまだ遅れてるから、わたしたちのような医師にとってはマジックに見えたり、いい加減なことに映るだけだ。本当に医師と臨床心理士がうまく連携すれば、世の中から原因不明の病気は消えるはずだ。すべての病気が消えるとまずいけどな。志村みたいな年齢なら、スーパーやコンビニのレジ打ちのバイトでもあるだろうけど、私の年齢になったらな、スーパーでも裏方はよく募集してるよ。でも、鮮魚とか野菜だよ。包丁もろくに使えない奴は絶対に雇ってくれないからな。わたしたちは原因がつかめなければ安易に心因性という言葉を使う。その心因性に切り込んで、原因と探り当てるのが臨床心理士だ。この病院でももっと数が欲しいんだよ。私の考えているのは、医師とペアにできる、つまり医師と同じ人数なんだ。まあ、医師も少ないから増やしたいと思ってるし、同数の臨床心理士も欲しい。ところが、圧倒的に数が少ないんだよ。ライセンスを取得するために医師以上の縛りがあるからさ。卒業する大学まで指定されてるんだよ。医師はどこの大学でも医学部を出ればライセンスは取得できるけどな。この大学でなければ受験さえできないんだ。だから、とりあえずは現状の範囲内でなんとかしてもらうしかないから、我慢してくれよ。病棟勤務ってだけで、看護師さえ集まらないんだ。クリニックではあまってるんだけど、病棟と言ったら、くもの子を散らすように逃げるんだから」
わかるよ。
人間、誰だって楽したいよ。
若い子ならなおさら、自分の時間が欲しいし遊びたい。
わたしだって本音はそうだけど、患者さんのことを考えると、自分のわがままを通すことはできなくなる。
彼が同じ病棟に勤務するようになってからは、そんなに苦じゃなくなったけどね。
彼がボケると、疲れが消えるから。
怪我のないようにボケてほしいね。
患者さんは元気に一時退院に出かけていった。
患者さんがあんなに元気よくなったのも、彼がきてからだから。
彼は市長に連絡をして、夏型肺炎について詳しく説明した。
そして、週明けから、家ダニ駆除の助成を可能なら全額にしたいと言う返答があった。
そして、TVのニュースを観ながら、ぽつりと言った。
「今、一番TVに出ているのは、”ワイルドだろ”のスギちゃんだというけど、スギちゃんよりもっとTVに出てるのは野田首相と小沢一郎さんと、オウム問題に取り組んでいる紀藤正樹弁護士だ。でも、スギちゃんと一緒にすぐに消えて、一発屋の仲間入りをするだろう」
野田首相には一発屋になってほしい。
「身を切る(官僚と国会議員の定数を是正して、給与を下げる)改革」を行ったうえで消費税をあげる議論をする、と言いながら、「身は切らない改革」で消費税をあげることに決めてしまった。それなら、「ゲッツ!」しかネタがなくて一発屋になった、彼の友人のほうがいい。一発でも当たった芸はあるから。
野田首相のやることは全て外れてる。
「大阪の橋本市長の、生活保護現物支給はすぐにでも実行して欲しい。米も魚も野菜も、あらゆる食品がが高いから、現金で保護費をもらってもなかなか買えないしね。米が上がったら、小麦まで連鎖的に上がって、パンまで高くなってる。早くやってもらわないとまっとうな受給者は餓死するぞ。ギャンブルや酒に保護費を使う不正受給者もなくなるし、付け加えさせてもらえれば、20代で職がないという理由で保護を受けてる人たちは、申請を却下して、ハローワークの職業訓練にまわして欲しい。講習に出ただけで、ライセンスと講習期間中は給与が当たる。保護費よりはるかに高いんだから。ぼくも保護を受けながら、職業訓練に参加したら、1日目の午後に、派遣社員の求人を出しにきた精神科医と出くわして、つまみ出された。あれだけ仕事を辞めて、躁鬱病を治すことに専念してくれと頼んだのに聞き入れてもらえないのか、って。ケースワーカーに連絡されて、ワーカーさんにも同じ説教をされるしまいったよ。でも職業訓練の賃金は魅力だったな。なんであそこで精神科医とぶつかったんだろう」
それはサコちゃんが悪いよ、全面的に
「どうして?生活保護の最低限の原則であるすみやかな就労を守ったんだよ」
医師の言うことを無視したでしょ
生活保護の原則には、すみやかに病気を治すこともあるんだよ
「なんで知ってるの?」
廃止した時に書類を整理していたら生活保護法の冊子が出てきたから、読ませてもらったんだよ
医師として生活保護を申請してもらう患者さんにぶつかった時のために
「でも、就労は」
身体を治す方が先
「就労して治療費を稼いでから治療という」
もう、やめ!
要するにね、鶏が先か玉子が先かでしょう
サコちゃんは、癌をいくつも克服したから、就労できたんでしょ
それでいいじゃない
「まだ病気はたくさん抱えてるけどね」
それは、前院長とアネさんが早まりすぎたんだと思う
でも、1人前に働いてるでしょ
臨床心理士もだから2人前か
「なるほど、そうか」
ところで、きょう、夕食は食べたっけ?
「配膳カートが来た時は、スタッフステーションで、一時退院届けに印鑑を押してた。憶えているのは気がついたらカートがなかったのと、アネさんが私の病院食を返せって怒りまくってたことだけだけど」
食べてないんだよ
だから金曜って嫌い
夜食が何なのか知らないけど、、このまま待った方がいい?
「きのうのJAXA定食よりも、腹持ちは悪いよ」
きのうは、彼が「はやぶさ」プロジェクトでJAXA相模原キャンパスにいた時に食べていた定食をそのまま再現した夜食だった。
カロリー計算とかはまったくされていなくて、とにかく安い食材を組み合わせただけの定食で。
文科省はJAXA職員のための管理栄養士を配置する費用さえケチったという。
宇宙飛行士候補生として相模原で訓練を受けている人たちも同じメニューだったというから、NASAが基礎から訓練した宇宙飛行士に勝てるはずはない。
きょうの夜食は?
「韓国料理」
KARAのスン・ヨンさんに教わったんだ
「別に変な関係じゃないって。韓国の芸能界って、男性スキャンダルに関しては日本より厳しく管理されてるから。KARAだって最初は5人だったんだよ。1人が男性スキャンダルをすっぱ抜かれて新聞の一面で叩かれて、首を飛ばされた。その記事の隅っこに小さく大統領の南北会談の記事が載ったんだから。確かにスン・ヨンに教わったけど、ぼくなりに日本風にアレンジしたの。とにかくそれ以上は・・・・・・わかった、チヂミだよ」
そうなんだ、いいじゃない
チヂミって何?
さきいかとか、塩味ピーナッツとか、帆立の干物
あれは珍味か。
まあ、目の前に出てくればわかるでしょう。
「夕食は食べておいた方がいいと思う」
じゃあ、昼食はお惣菜だったから、ラーメンでも食べてくる?
彼は頷いた。
でも何だろう、チヂミって。
プロテスタントは辛いものを食べてはいけないからね。
彼のほうが律法についてはうるさいのに。
韓国料理ってみんな辛いと思うんだけどね。
GO For it!(当たって砕けろ)ってやつですか。
正直に打ち明けると、医師って患者さんに対して食生活の改善を激しく言いつけるけど、本人は食生活が乱れまくりだからね。
食生活の改善を言われたら、先生はどうなんですか、って言ってみるといいよ。
顔を真っ赤にしてしどろもどろになるから。
それじゃ、夕食に行ってきます。
燃え尽きた感じがするよ。
まず、彼はきょうの午後12時に精神科の予約診察が入っていたんだけど、夏型肺炎で緊急入院した患者さんの最後のレントゲンがあがるのを待っていたために、30分の遅刻。
受付は開いているけれど、医師が休憩に入ってしまっていて、午後2時に予約時間を変更させられた。
アネさんには連絡を取って、全てを話してOKをとったんだけど、問題は昼食。
ラーメン店は午後12時30分でオーダーストップをかけて、閉店。夜の仕込をして、午後5時から再び開店するからどこもダメ。
仕方がないから、デパ地下おにぎりを買って、駐車場の車の中でゆっくりと食べた。
飲み物を買おうとした時に、トクホのコーラ、と大きなPOPを貼り付けられた一角があって、そのトクホのコーラの成分表示を読んでみた。
脂肪分解効果とか、いかにもって感じのキャッチコピーがボトルに書かれてるけど、医学的にはあまり効果は期待できないように思った。
トクホであろうがコーラは所詮コーラだ。普通のコーラと同じ成分が入っている。
骨肉種の原因となる成分も、麻薬成分もこれまでのコーラと同じ。
最初から買うつもりはなかったんだけどね。
たとえトクホであっても、コーラはプロテスタントの律法に触れる。
いきつくところはスポーツドリンクだよ。
レジに並ぶと、目の前で60代の男性が、ものすごい剣幕で店員さんにいちゃもんをつけていた。
早口で、何を言ってるのかよくはわからないんだけど、やくざみたいな言葉遣いで、正直わたしは恐ろしかった。
彼は耳元でささやいた。
「売り場のところまで離れていてくれる?傘を持っているから、攻撃してくると思う。万が一眼に当たったらとんでもないことになるから」
わたしは彼に従い、売り場まで離れた。
彼はその男性に近づいて、いきなり言った。
「言いがかりは問題だよ。店員さんに非はないよね。買い物の代金をチャラにしたいんだ。そうなると詐欺だね」
男性は彼を睨みつけると、言った。
「黙らんかどアホが、対応がなっとらんから教え込んでるんやないけ、引っ込んでろ、このどアホが」
「図星だったみたいだね。黙ることができない仕事なんだ。こういうお仕事」
彼は警官としてのIDを提示した。
「漢字は読める?北海道警察旭川方面本部生活安全課。あなたのような、代金チャラが目当てのクレーマーを捕まえる仕事です」
「サツなんか怖くないぞ、ワレ、ワッパはめれるんやったら、やってみい、ボケ、カス!」
「じゃあ、はめるよ。ぼくはきょうは非番だから、ワッパは持ってない。でも、本部に連絡したら、詐欺罪で刑務所だよ。詐欺には執行猶予はないから」
彼は男性を休憩スペースのベンチへと引きずっていき、傘を取り上げた。
電話を耳に当てて、5分も経たないうちに制服警官が4人やってきた。
彼は傘を1人の警官に渡し、男性は両脇を抱えられて連行された。
警官に対しても悪態をついて暴れたため、公衆の目前で手錠がかけられた。
1人残った警官は、店員さんに事情を聴いていた。
彼とわたしはレジを済ませてマイバッグに品物を入れていると、事情を聞いていた警官が彼のところへやってきた。
「完全な詐欺ですよ。よくある、店長を呼んで謝罪させて、現金をふんだくって、なおさらに買い物の代金を踏み倒す典型的な手口です。刑事罰に相当ですね」
あとはよろしく、と言い残し、彼とわたしはデパ地下を出た。
診察は早かった。
きょうは特に指摘されることもない。
次回の予約日を言い渡されただけ。
処方箋薬局も調剤が早く済み、病棟へ戻った。
すぐに白衣に着替えて、スタッフステーションで、夏型肺炎の患者さんのこれからの治療についての打ち合わせ。オブザーバーとして櫻井医師にも加わってもらった。
レントゲンは健康な人のものとなんら変わらないほどになっていた。
でも、ここで退院ですよ、とは行かない。
失った体力を元通りに回復するまでは、毎日、リンゲルを投与する。
それと平行して、生活環境改善についても話し合わなければならない。
生活改善に関しては、ソーシャルワーカーさんにも加わってもらうことで一致。
午後4時からは、彼を初めとする各病棟の臨床心理士が集まって、合同カンファレンス。
看護師は病棟単位で、木曜日の午後4時から開かれて、こちらは、必ず2名の医師の出席が義務付けられている。
症例検討会とでもいおうか、毎回、不作為に選んだ症例についての処置や、現在のケアの改善点に関して意見をぶっつけあう。
普段は医師に対して反抗できない看護師も、このときは何を言っても許される。もちろん治療法などのケアについてだけどね。
臨床心理士の場合は医師の参加義務はない。
それでも、わたしにとっては興味深くて、一度でいいから見学してみたかった。
「これからカンファレンスだけど、見学してみる?」
わたしの心を見抜いたかのように、彼は言った。
アネさんの許可が降りたら、ね
アネさんは二つ返事でOK。
「これからの医師は、身体的側面からだけではなく、患者さんの心の問題にもかかわることがあるから、臨床心理学も少しくらいは憶えておいて損はないと思うけどな」
わたしは4F病棟の面会棟で行われる臨床心理士のカンファレンスを見学することにした。
ところが、彼らの話はまったく理解できない。
外国語の授業の方が簡単だ。
ここはどこ?。
ひょっとして別の次元か、太陽系外宇宙のどこかの星?
教えて、ここはどこなの?
開けてよ。ドアを開けてもとの世界に帰して。
この病院に勤務するすべての臨床心理士のリーダーは彼で、症例検討会とはまったく違うものだった。
臨床心理学を使った行為において、臨床心理士協会で改善された部分が主な話題で、クライアント(医師でいう患者さん)に対する、何かのことが議題。
「ロールシャッハテストの最新統計を見ると、適用率がかなり下がってるんだけど、このテストについては、先週、単独で行って総合的に判断するのはどうだろうか、ってことだったよね。複数のテストを組み合わせて判断すると言うのはどうだろう。例えば頻繁にテストを行う必要のあるクライアントの場合を見ると、WTSCの点数が高いから、ロールシャッハ+WTSCを行って最終的な判断を下す。時々しかテストを必要としないクライアントだとバウムテストが点数が高いから、ロールシャッハ+バウムにするとか。とにかくロールシャッハみたいな、眼球の動きや瞳孔の収縮だけで、本当にすべてがわかるのか、という疑問を持ちながら、ロールシャッハに頼ってきたけど、実験的でもいいから、アプローチを変えてみるというのはどうだろう。それでまともなデータが上がらなければ、ロールシャッハテストに絞ってみてもいいんじゃないかな」
彼の言葉にはすべての臨床心理士が賛同して、カンファレンスは終了した。
臨床心理士たちが席を立とうとする瞬間に彼は言った。
「初めてのクライアントのことだけど、チーム・フォーミュレーションにどのくらい時間をかけていますか?重点項目として、チーム・フォーミュレーションには徹底的に時間を割いてください。テストを急ぐ必要はありませんから」
フォーミュレーション?。
フォーミュラーワンなら知ってるけど。
分冊百科の世界の偉人伝シリーズに、アイルトン・セナが入ったんだよ。
最高にうれしい。
わたしがなんとなく理解できたのは、ロールシャッハテストだけ。
眼球の動きと瞳孔の収縮から、相手の考えていることや心理状態を当てること。
彼が巡回診察や患者さんと会話をする時に、相手の眼から自分の目を決してそらさないで話して、患者さんの考えていることを見抜いて、ケアを考えてる方法のことだというだけをかろうじて理解できたけど、WTSCだのバウムはまったくわからない。それにチーム・フォーミュレーション。
オウムは知ってるけどバウムはね。
わからないことを素直に質問することは、わたしは恥ずかしくはない。
進学塾だって、理解できないところについては積極的に質問しないと、最終的に負け組になるでしょ。入試に落ちて。
だから、慣れてるんだよ。
バウムとWTSCについて、彼は丁寧に説明してくれたけど、いまいち飲み込めない部分があって、一旦頭を整理してからまた質問する。今の状態は、どこがわからないのかわからないレベルだからね。
でも、チーム・フォーミュレーションは完璧に理解できた。
医師に置き換えると、初診時の問診にあたることだって。
医師も、初診のときはとにかく問診に時間を割くようにアネさんから言い渡されてる。
怠ると、見つけなければいけない症状を見逃して、あとで患者さんの生命にかかわることもあるからね。
医師が問診して、身体的所見を臨床心理士に渡すと、彼らは、もう一度問診をできるだけ時間を割いて、詳しく行ってから、初めてテストと呼ばれる、バウムやWTSC、ロールシャッハなどを行って、患者さんのメンタルな部分を引き出して、医師に戻すと同時に、カウンセリングを行うということ。
今までのわたしが考えていたのは、最初からカウンセリングを行ってメンタル部分のサポートをするのが臨床心理士の役目だってこと。
カンファレンスに参加してみてよかったと思ったね。
臨床心理士と医師との連係プレイがうまくいけば、癌や難病などの治癒率があがるんじゃないかな。
臨床心理士を信用しない医師は多い、というかほとんどの医師が彼らをバカにしてる。でも、それじゃあ、医学は進歩しない。
とにかく貪欲に受け入れるように、頭を切り替えないと、これからの医療に進歩はない。
医師は薬剤やオペなどで患者さんの健康を取り戻す。
臨床心理士はメンタルな面からのアプローチで、患者さんの健康を取り戻す。
二つが交わった時に、ものすごい治癒力が生まれると思う。
わたしは臨床心理士の意見を全面的に受け入れようと思ったし、もっと医師と意見交換する場があってもいいと思った。
アネさんには正直に感想を話した。
「志村の言う通りだ。臨床心理士はマジシャンではないし、ハンドパワーを持っているわけでもない。精神医学という医学のひとつの分野に属する、医師でもあるんだよ。ただ、日本では精神医学という分野はマイナーで、まだまだ遅れてるから、わたしたちのような医師にとってはマジックに見えたり、いい加減なことに映るだけだ。本当に医師と臨床心理士がうまく連携すれば、世の中から原因不明の病気は消えるはずだ。すべての病気が消えるとまずいけどな。志村みたいな年齢なら、スーパーやコンビニのレジ打ちのバイトでもあるだろうけど、私の年齢になったらな、スーパーでも裏方はよく募集してるよ。でも、鮮魚とか野菜だよ。包丁もろくに使えない奴は絶対に雇ってくれないからな。わたしたちは原因がつかめなければ安易に心因性という言葉を使う。その心因性に切り込んで、原因と探り当てるのが臨床心理士だ。この病院でももっと数が欲しいんだよ。私の考えているのは、医師とペアにできる、つまり医師と同じ人数なんだ。まあ、医師も少ないから増やしたいと思ってるし、同数の臨床心理士も欲しい。ところが、圧倒的に数が少ないんだよ。ライセンスを取得するために医師以上の縛りがあるからさ。卒業する大学まで指定されてるんだよ。医師はどこの大学でも医学部を出ればライセンスは取得できるけどな。この大学でなければ受験さえできないんだ。だから、とりあえずは現状の範囲内でなんとかしてもらうしかないから、我慢してくれよ。病棟勤務ってだけで、看護師さえ集まらないんだ。クリニックではあまってるんだけど、病棟と言ったら、くもの子を散らすように逃げるんだから」
わかるよ。
人間、誰だって楽したいよ。
若い子ならなおさら、自分の時間が欲しいし遊びたい。
わたしだって本音はそうだけど、患者さんのことを考えると、自分のわがままを通すことはできなくなる。
彼が同じ病棟に勤務するようになってからは、そんなに苦じゃなくなったけどね。
彼がボケると、疲れが消えるから。
怪我のないようにボケてほしいね。
患者さんは元気に一時退院に出かけていった。
患者さんがあんなに元気よくなったのも、彼がきてからだから。
彼は市長に連絡をして、夏型肺炎について詳しく説明した。
そして、週明けから、家ダニ駆除の助成を可能なら全額にしたいと言う返答があった。
そして、TVのニュースを観ながら、ぽつりと言った。
「今、一番TVに出ているのは、”ワイルドだろ”のスギちゃんだというけど、スギちゃんよりもっとTVに出てるのは野田首相と小沢一郎さんと、オウム問題に取り組んでいる紀藤正樹弁護士だ。でも、スギちゃんと一緒にすぐに消えて、一発屋の仲間入りをするだろう」
野田首相には一発屋になってほしい。
「身を切る(官僚と国会議員の定数を是正して、給与を下げる)改革」を行ったうえで消費税をあげる議論をする、と言いながら、「身は切らない改革」で消費税をあげることに決めてしまった。それなら、「ゲッツ!」しかネタがなくて一発屋になった、彼の友人のほうがいい。一発でも当たった芸はあるから。
野田首相のやることは全て外れてる。
「大阪の橋本市長の、生活保護現物支給はすぐにでも実行して欲しい。米も魚も野菜も、あらゆる食品がが高いから、現金で保護費をもらってもなかなか買えないしね。米が上がったら、小麦まで連鎖的に上がって、パンまで高くなってる。早くやってもらわないとまっとうな受給者は餓死するぞ。ギャンブルや酒に保護費を使う不正受給者もなくなるし、付け加えさせてもらえれば、20代で職がないという理由で保護を受けてる人たちは、申請を却下して、ハローワークの職業訓練にまわして欲しい。講習に出ただけで、ライセンスと講習期間中は給与が当たる。保護費よりはるかに高いんだから。ぼくも保護を受けながら、職業訓練に参加したら、1日目の午後に、派遣社員の求人を出しにきた精神科医と出くわして、つまみ出された。あれだけ仕事を辞めて、躁鬱病を治すことに専念してくれと頼んだのに聞き入れてもらえないのか、って。ケースワーカーに連絡されて、ワーカーさんにも同じ説教をされるしまいったよ。でも職業訓練の賃金は魅力だったな。なんであそこで精神科医とぶつかったんだろう」
それはサコちゃんが悪いよ、全面的に
「どうして?生活保護の最低限の原則であるすみやかな就労を守ったんだよ」
医師の言うことを無視したでしょ
生活保護の原則には、すみやかに病気を治すこともあるんだよ
「なんで知ってるの?」
廃止した時に書類を整理していたら生活保護法の冊子が出てきたから、読ませてもらったんだよ
医師として生活保護を申請してもらう患者さんにぶつかった時のために
「でも、就労は」
身体を治す方が先
「就労して治療費を稼いでから治療という」
もう、やめ!
要するにね、鶏が先か玉子が先かでしょう
サコちゃんは、癌をいくつも克服したから、就労できたんでしょ
それでいいじゃない
「まだ病気はたくさん抱えてるけどね」
それは、前院長とアネさんが早まりすぎたんだと思う
でも、1人前に働いてるでしょ
臨床心理士もだから2人前か
「なるほど、そうか」
ところで、きょう、夕食は食べたっけ?
「配膳カートが来た時は、スタッフステーションで、一時退院届けに印鑑を押してた。憶えているのは気がついたらカートがなかったのと、アネさんが私の病院食を返せって怒りまくってたことだけだけど」
食べてないんだよ
だから金曜って嫌い
夜食が何なのか知らないけど、、このまま待った方がいい?
「きのうのJAXA定食よりも、腹持ちは悪いよ」
きのうは、彼が「はやぶさ」プロジェクトでJAXA相模原キャンパスにいた時に食べていた定食をそのまま再現した夜食だった。
カロリー計算とかはまったくされていなくて、とにかく安い食材を組み合わせただけの定食で。
文科省はJAXA職員のための管理栄養士を配置する費用さえケチったという。
宇宙飛行士候補生として相模原で訓練を受けている人たちも同じメニューだったというから、NASAが基礎から訓練した宇宙飛行士に勝てるはずはない。
きょうの夜食は?
「韓国料理」
KARAのスン・ヨンさんに教わったんだ
「別に変な関係じゃないって。韓国の芸能界って、男性スキャンダルに関しては日本より厳しく管理されてるから。KARAだって最初は5人だったんだよ。1人が男性スキャンダルをすっぱ抜かれて新聞の一面で叩かれて、首を飛ばされた。その記事の隅っこに小さく大統領の南北会談の記事が載ったんだから。確かにスン・ヨンに教わったけど、ぼくなりに日本風にアレンジしたの。とにかくそれ以上は・・・・・・わかった、チヂミだよ」
そうなんだ、いいじゃない
チヂミって何?
さきいかとか、塩味ピーナッツとか、帆立の干物
あれは珍味か。
まあ、目の前に出てくればわかるでしょう。
「夕食は食べておいた方がいいと思う」
じゃあ、昼食はお惣菜だったから、ラーメンでも食べてくる?
彼は頷いた。
でも何だろう、チヂミって。
プロテスタントは辛いものを食べてはいけないからね。
彼のほうが律法についてはうるさいのに。
韓国料理ってみんな辛いと思うんだけどね。
GO For it!(当たって砕けろ)ってやつですか。
正直に打ち明けると、医師って患者さんに対して食生活の改善を激しく言いつけるけど、本人は食生活が乱れまくりだからね。
食生活の改善を言われたら、先生はどうなんですか、って言ってみるといいよ。
顔を真っ赤にしてしどろもどろになるから。
それじゃ、夕食に行ってきます。