きょうの彼は朝食のときからものすごく落ち込んでいた。
 1本の電話が入った後から急に遠くを見つめてはため息を繰り替えしていた。

 兄貴と慕っていた人がきのうの夜中、時間的にはきょうになって息を引き取ったのだ。
 わたしにとっては「ホタテマン」の安岡力也さん。
 数年前から、治療法の確立されてない難病で療養生活を続けていたという。
 彼はハーバード時代の恩師や友人にメールで連絡を取り、自分でもたくさんの医学書と取っ組み合い、なんとか治療法を探そうと努力を続けていた。
 それに突然、終止符が打たれたのだ。

 何もできない自分と葛藤があったのだと思う。
 
 勤務中はどうだったかを、彼のチームの看護師たちに訊いてみた。
 いつもと何ら変わりはなかった。
 わたしはそれだけでも安心した。
 新人の安積涼子看護師は言った。
 いつもより巡回診察は丁寧だったし、1人1人に優しい言葉をかけていた。
 いつもは患者さんに状態を告げて、一言付け加えるだけなのに
 患者さんの仕事のことや趣味を熱心に訊いていた。
 なかなか観察力が鋭い。
 ただ、患者さんの部屋を出るたびに、ため息をついていた。
 ハンチョウは、躁鬱病を持っていることを正直に話してくれて、ぼくがおかしくなったら君たちに迷惑をかけるから、自分の判断で動いてほしい、と言ってくれた。
 わたしは躁鬱の症状が酷くなりだしたんだと思っていた。季節の変わり目だから。
 躁鬱や鬱って、季節の変わり目が重くなるんだ。なるほど。看護師に教えられるなんて、医者失格だね。
 正確に言うと、ナベちゃんが付け加えた。
 鬱は季節と関係はないんですが躁鬱は季節が変わる頃になると、噪転といって世の中のすべてがハッピーにみえて、買い物症候群とか、不眠不休で1ヶ月でも過ごすことができます。
 その場合は本人は何かから開放されたかのごとく楽になります。ですが、鬱転すると自殺したいという強迫観念にとらわれて、実際に行動に移す場合があるので、目を離すと危険です。
 でも、きょうのハンチョウは躁鬱ではないですね、とても慕っていた人が亡くなったのかも知れません。
 アネさんは言った。
 「安岡力也さんじゃないか? 芸能ニュースでやってたぞ。ハンチョウがよく口にしてた病名だ。書庫でその病気に関する医学書を夜中に読んでいたから」
 夜中に部屋を抜け出してたの?。 やだーわたし隣に寄り添って寝ていて全然気づかなかった。

 そうか、じゃあ朝の電話は、力也さんの周辺と言えば「ホタテマン」が出ていた「TAKECHANMAN」で世界の北野さん?。

 なんとか元気づけないとね。
 「志村。ハンチョウが落ち込んでいる理由が安岡さんだったとして、ハンチョウはわたしがあの世へ行くときも落ち来んでくれるだろうか」
 アネさんと呼んだのは彼ですよ
 藤田医長じゃ固いし、彼はアネさんを心から慕ってます
 よく食事をしながら、Wiiフィットネスでいい得点を出してた
 すごい体力だよね
 とか、KINECTでもすごいよ
 さすが全共闘だけのことはある、なんて話してるから、多分死なせてくれないでしょう
 サイボーグにでもするでしょうね
 あの頭なら多分サイボーグ手術なんて訳ないから
 「慕われるってことは、それだけの魅力があるってことだ。わたしにそれだけのm力を感じてくれるならありがたい」

 さて、どうやって彼を元気づけるか。
 きょうは4月9日か。
 あー、これでいける。

 居室に戻って夕食の時にさりげなく言った。
 きょうからでしょ
 1週間で音楽を書き上げたドラマ
 サコちゃんの双子の片割れの
 「あー9日か。ハンチョウ以外はキャスト一新。ハンチョウが本庁の特捜一係に転勤になるから」
 じゃあタイトルが変わるんだ
 「ハンチョウ5ー警視庁安積班ー」
 須田くんの塚ちゃんも黒谷友香さんも、自分の班を持つように上から命令が出ているにもかかわらずハンチョウの下を去りたくなくて安積班に居残り続ける雨宮さんもいないの。ちよっと寂しい。あれ、特捜一係ってサコちゃんの方面本部では特捜一課と呼ばれているところなの?
 「うん。モデルはね。でもドラマ上、いつも誘拐と篭城じゃ面白くないから、扱う事件の範囲はものすごく広がってる。刑事部長直属だから、刑事部長が持ち込む事件はどんなものでも扱うんだ」
 それは特捜二課と同じでしょう
 「だね。あつ、時間だ。テレビ入れて」

 ハンチョウが異動になって、荷物を抱えて本庁のロビーで迷って、掃除のおばさんに怪しい奴扱いされて、馬乗りになられて、周囲の刑事たちを、おばあさんが、逮捕しろと呼び集めて取り押さえられて、IDを提示してやっと分かってもらえるシーン。
 馬乗りをおばさん目線でカメラが追うから、彼の双子の顔がアップ。
 思わず、彼が笑った。それも声を上げて。
 班の刑事たちは若返って、ほとんどあまり知られていない俳優さんたちだけど、刑事部長が黄門様。里見浩太朗さん。もう黄門様は打ち切りになったから、現代劇にスライドしたんだね。
 午後8時42分になったら刑事部長が現場にやってきて、印籠を見せて事件を解決するのかな?
 「それ、いい。おもしろい。今度、ドラマを制作しているドリマックスって会社に意見を提出するよ」
 元のサコちゃんに戻ってくれたのはうれしいけど、意見として印籠で事件を解決するのを制作会社にていしゅつするのはやめて。
 わたし、このドラマの善良なファンだから。ふざけたことは言わない。
 でも不思議だよね。
 双子の片割れは方面本部長直属の特捜二課で実際にハンチョウをしてるし、もう一方は刑事部長直属の特捜一係でハンチョウをしてるし。
 警視庁の刑事部長と警察庁の方面本部長って同じ役割だからね。
 双子で同じ立場だなんて。

 結婚式で来賓のほうが新郎の片割れを見て、笑いをこらえて挨拶を続けようとして、ついに爆発して、言った。
 「こっちを見るな!挨拶ができないじゃないか。お願いだから席を外してちょうだい。笑うために来たんじゃないから」
 双子って大変だね。

 何より、彼が元気を取り戻してくれてよかった。

 力也さんみたいな豪快な人は、自分が天に召されて、残った人々が気を落としてることを喜ばないと思う。
 むしろ派手に騒いでくれって言うと思うよ、サコちゃん。

 ところで、朝の電話は世界の北野さん?
 「え、あー内田裕也さん。しぶがき隊の本木くんの義理のお父さんの。ロッケンロールの、シエケナベイビ、ナウ」
 そうだよ、力也さんって内田裕也さん一派なんだよね。北野さんと「ホタテマン」の関係じゃないんだ。
 「力也が亡くなったんで、知らせておきます、ヨロシク、ってだけ言って切れた」
 やっぱり、忌引きのお知らせでも、ヨロシクは言ってるんだ。
 内田裕也さんって71歳なんだけど、嘘みたいだよね。
 あんなカッコいい71歳はいないよ。
 ロッケンロール、セケナベイビ、ナウ、ヨロシクだからね。
 それに希木希林さんと別居夫婦だけど、お互いにマスコミに言うことをつなげると漫才になるんだよ。片方がボケると片方が突っ込む。いいなーあんな夫婦。