今朝午前6時を少しだけ回って、サーバーシステムのメンテナンスは終わった。
 アネさんは川口さんと「はやぶさ」プロジェクトでカメラチームのリーダーを努めた坂上さん、そして4人のエンジニアをどこかホテルで休んでもらおうとして、川口さんに言われた。
 「気を使わないでください。そんなことに甘えたことが会社に知れたら、2年先の定年がきょうになりますから」
 それではと、まだ気の利いた飲食店も開いてはいないし、申し訳ないんですが、病院食を朝食にしてくださいということになると、川口さんは、
 「そうしてください。ぼくはなぜか病気で入院ということと40数年縁がなくて、最近の病院食にとても興味があります。JAXAの食堂メニューの改善に役立つかもしれないので、ごちそうになれるならお願いします」
 いざ、病院食を目の前にして驚いてた。
 「今の病院食ってこんなにおいしそうなメニューなんですか。JAXAの定食メニューなんか問題にならない。これは文部科学省にかけあってJAXAの食堂メニューの改善をしないと、完全に負けてますよ。やはり、午前4時に給食部の方々が出勤して作っているんですか?」
 彼が答えた。
 「今はほとんどの病院が給食サービスに頼ってるんです。病院の中での調理は食中毒などの危険があって、病院が責任を問われるので、外食産業に任せてしまうんです。ちなみにこの病院はシダックスです」
 「確かに病院のリスクを考えると外注がいいですね。シダックスといえば最大クラスですからね。でもおかしいな。JAXAもシダックスですが、こんなメニューじゃない」
 坂上さんが言った。
 「文部科学省がシダックスに費用を抑えるように圧力でもかけてるんでしょう。とにかく税金だから費用を削れとしか言わない連中ですからね」
 「そんなとこだろうね」
 面会棟で9人で囲む朝食で、彼は2枚のDVDを川口さんに渡した。
 「川口さん、これを渡すことによって、また、川口さんの下で使ってください。これはイオンエンジンの新しいバイパス回路の設計図です。今度は前回よりわずかに軽くて機能は自由度をはるかに向上させてあります。マイクロマシンの技術を徹底的に取り入れました。大田区の町工場で形になります。ですが、できれば使わずに帰還させたい」
 「また助けてくれるのかい。前回は本当に君に救われた。あのとき、君のバイパス回路がなかったら「はやぶさ」は帰還できなかった。「のぞみ」と同じ末路をたどっていた。的川対外室長がどうやって口説いたのか知らないけど、また君が加わってくれることで、ミッションは成功したと言ってもいい「はやぶさ2」は絶対ミッションを成功させて、帰還させるよ。ありがとう」
 「それはぼくの台詞です。川口さんがかわいがってくれていろんなおもちゃをくれたからこそ、マイクロマシンに行き着いたんですから。ただ、あの大晦日のことは今でもはっきりと覚えてますよ」
 彼が3歳になった年の大晦日にカラーテレビが大流行して、彼のおじいさんは家電店の会長で、お父さんが販売と技術部門を一人でこなしていた。
 当時は「紅白歌合戦」を観ないと年を越せないという時代で、視聴率も90%を超えていた。ただ「紅白」を観るだけじゃなくてカラー放送で観たい。それで、彼の実家の家電店ではカラーテレビが水みたいに次から次へ売れて、お父さん一人での取り付けでは間に合わなくなった。買った人々の条件は「紅白が始まる、大晦日の午後9時の5分前までに取り付けを終えてくれ。それなら現金でアンテナ工事料金も含めてその場で支払うから領収書を持ってきてくれ」
 でも、お父さん一人では条件が無理で、NECの営業所は資料がつや炭に入った所長以下すべての社員に号令をかけて、彼の実家に乗り込んできて大晦日に屋根の上で、吹雪の中をアンテナを取り付けるチームと、テレビを据え付け、映るようにするチームに分けて作業を進めた。途中でテレビの在庫が切れて、全道の営業所の在庫をすべて集めるという行為に出て、営業所長以下三役が1人ずつトラックに乗って、在庫をかえの実家に向けて輸送しているトラックと途中でランデブーしては積み替えて戻るを繰り返していた。
 川口さんは当時、入社1年目の新人で、工学博士号を持ちながら、営業をしていた。
 工学博士号に目をつけた営業所長は、川口さんをアンテナ取り付けチームに入れた。
 ところが、風邪気味で微熱があったらしかった。
 大晦日の午後8時53分。すべての作業は、条件通りに終了。
 そこで、彼のおばあさんが大晦日の「年取り」料理を営業所のメンバーに振る舞っっていた、その食事の最中に青い顔をしていた川口さんが倒れて、彼のおばあさんは即、体温を測り、41℃の熱を認めると、救急車で町立病院へ搬送した。それで助かった。そのことを川口さんは今でも覚えていて、彼の一家を命の恩人だと言う。そのときのメンバーが今、コンピューター専門メーカーNECになって、みんなが会社の上層部についているから、パソコンの新しいモデルが出たら、彼に無料で贈ってくれる。モニターとして意見が欲しいって。だから、自宅にはNECのパソコンとモニターだ数十台ある。
 でも彼のメインマシンはMac。WinではDELL。でもNECも使ってるけどね。

 朝食が済むと、エンジニアたちは、川口さんを筆頭に病院を後にして、本社へと戻っていった。


 きょうは彼の耳鼻科の予約診療日。午後5時50分という、受付の閉まる10分前が予約時間だった。耳鼻科とウチの病院は歩いて3分の距離。
 すぐに診察。
 最初は喉に後鼻漏といって痰や鼻汁が喉に垂れて溜まっているかを把握するために口を大きく開けさせて、ライトを当てて喉を覗くんだけど、覗いた途端に、
 「うわっ」
 といって医師が飛び退いた。
 「こんなのってアリかー」
 医師はつぶやきながら、自分で内視カメラを持ってきた。
 そして彼の口から喉に挿入した。
 わたしだったら鼻から挿入するけど、耳鼻科は違うやり方があるかもしれない。
 「モニターを見てください。喉一面を白いナマコのようなものがおおっているでしょう。これ、この小さな穴でなんとか呼吸をしてるんですよ。鼻汁と痰が喉に詰まった状態なんです。今も新しいのが垂れてますから、このままだと明日か明後日に窒息して死にますよ。ぼくも、これだけ酷いのはしばらくぶりで見ました。患部の写真が欲しいので1枚撮影していいですか」
 彼が頷くと、医師は写真を撮って、患部の写真を集めたファイルに、彼の写真を加えた。
 そして、その詰まったものを取り除くために、バキュームで吸い上げ出した。
 「粘つきが酷くてなかなかてごわいです」
 バキュームの吸引力をMAXにあげてしばらく、いきなり音がやんだ。
 医師は一言。
 「あれ、壊れた。でも大丈夫です。リリーフのハンディーのがあるから」
 医師は取り出してくると、またバキューム開始。
 それも、しばらくして壊れた。
 「大丈夫です。今度のは馬力が違うから」
 3代目は彼の喉からすべての鼻汁と痰を取り去って普通の人の喉と同じ状態にした。
 そして吸入。
 「今までの薬に強力な痰と鼻汁を排出する薬を加えます。それと言い忘れたけど、これからずっと予約を午後5時50分にします。
 藤田さんの話では勤務は一応午後6時までということで、10分だけ早退してもらって来てもらうということで」
 藤田さん、か。そういえば赤十字病院時代、アネさんとこの医師は同僚だったんだ。
 藤田さんってすごく新鮮な響きだよ。
 アネさんって本名は藤田さんだったんだよ。
 1年前まではね。
 でも名前が変わったんだ、彼の結婚式での感極まった一声で。
 「アネさんと呼ばせてくれよ。ぼくは死ぬまでアネさんを話さないぞ」

 
 しかし、彼って2月から今までずっとついてない。
 運に見放されたのか、イエスの使いとして必要とされなくなったのか。
 いや、それはない。使いとしてイエスの命令の途中dから。
 2度もスリに遇って、皮膚科は失明確率90%。
 そして、きょうの耳鼻科では窒息死寸前。

 それでも、病棟の患者さんを第一に考えるんだから。
 まったくどういう人なんだろう、彼って。