明日はまたオペです。
多発性癌といって、全身の臓器や骨・静脈・動脈・血管にまで腫瘍がほぼ同時にできる、現在の医学でも解明されてない癌の1つです。
通常はプラセボと呼ばれる偽の薬(何の効果もない、生理食塩水なんですけど)を、患者さんには抗癌剤だと言って投与して、亡くなるのを待つんです。
でも、4F病棟は違うの。
オペで腫瘍をすべて摘出して、正面玄関でおめでとうを言って別れるんです。
もちろん執刀は彼。
彼の肩書きである「総合診療科」というのは、あらゆる疾病と戦うんだけど、特に多発性癌とスキルスという主に胃にできる癌のスペシャリストなんです。
原発性癌と戦えるのは4F病棟で彼だけだから。
ところがいつもならオペの前の夜はやたら明るいし機嫌がいいんですよ、オペが好きだから。手当てがもらえるからじゃなくて、オペをするのが好きなんですよ。
人を切り刻むのが好きって、嫌な性格でしょう。
でも、今夜に限って、落ち込んでるんです。
不安でどうしようもないんだって。
まあ、わからないでもないですが。
多発性癌の場合、オペの前にあらかじめ、CTやMRI、骨シンチグラフィーで、原発腫瘍(いくら癌でも一斉に全身に雑草みたいに腫瘍ができるわけじゃなくて、一番先にできて全身に腫瘍を広げてコントロールするリーダー的腫瘍があるんです。全身を民主政権に例えると、野田親方。で、官房長官だとか、外務大臣だとか、防衛のまったくわからない防衛大臣だとかに養分を与えて腫瘍を大きくして求心力を集めて政権を固めようとする悪代官なんです)を見つけるんですが、今回はみんな同じ大きさでどれが原発かわからない。
彼も頭の中の知識を総動員して探したんですが、これかもしれないまでしかつかめなかったんです。
これかもしれないし、違うかもしれない。
オペはまず、その原発を摘出してから、他の腫瘍を摘出するため、原発がわからないと完全な手探りになるんですよ。
さすがのアネさんも、
「オペを止めてプラセボでいくか」
って言うくらいで。
でも彼は、オペをするって言い切りました。
この病棟の患者さんすべて、オペで腫瘍を摘出して、正面玄関でおめでとうと言って別れたい、っていうのが目標だから、ここで取り下げられない、って。
だから、こいつかもしれない、って腫瘍から摘出していくんだそうです。
だけど不安。
躁うつ病の付録になる社会性全般不安と社会性脅迫症があるから、不安モードに入るととことん落ちるんですよね。
本人の意思と関係ないって美咲さんに聴いてたから、かわいそうで。
社会性脅迫症って、酷くなると、おまえが殺したとか、おまえのせいだ、と見ず知らずの人から家族にいたるまで、自分を攻め立てる幻覚をみることがあるんだそうです。
彼は薬を飲んでるからそこまでいかないか、といえば、酷くなると薬は何の意味もない、飲んでから二時間で効果がなくなるから。でも副作用が出るから朝・夕食後にしか飲んではいけない。
また、美咲さんのお世話になろうかな。
スタッフ・ステーションを覗くと、ウチの翔子と笑いながら話してる。
美咲さん、ちょっといい?
「何ですか?」
ウチの彼が、明日のオペのことでかなり不安な状態で鬱気味なんだけど
「何かものすごいオペみたいですね。医長がストップをかけたのに、ハンチョウは強行するとか。催眠誘導を今と、明日のオペの1時間前くらいに行いましょうか。多分それでオペを成功させることができると思いますよ」
お願いできる
「そのための臨床心理士ですから。オペを受ける患者さんの方もつい先ほど催眠誘導に入れたんですよ。後は明日、オペの搬送の前にもう一度。夜中に幻覚を見たりする可能性があるので、私、ここに泊まりますから。看護師さんたちと話が合うから、寮の部屋より楽しめるし。ハンチョウを連れてきてください」
臨床心理士が臨床心理士のクライアントになるとは恥ずかしいけど
「そんなことはないですよ。景子を催眠誘導に入れたりすることもあるんです。臨床心理士は、流行の小説みたいなスーパーマンじゃないんです。普通の人間です」
流行の小説・・・・・・あー、彼の好きな『千里眼』シリーズ。航空自衛隊のエースパイロットの経歴を持つ女性心理士の岬美由紀が国家的陰謀や地球的陰謀と正面から戦うやつ。水野美紀さん主演で映画化されたし、ギャル系心理士一之瀬恵理香の『蒼い瞳とニュアージュ』はTVドラマで深田恭子さんが演じた。 男性心理士の嵯峨卓也の『カウンセラー』シリーズは第一作『催眠』がSMAPの稲垣吾郎さん主演で映画化、そして天才女性マジシャン里見沙希の『マジシャン』。
すべてが一人の臨床心理士兼作家で彼の友人の手になる作品で、それぞれのシリーズの主人公がそろい踏みで悪と戦うなんていうのもあったっけ。彼に借りて読んだけど、SFみたいなのがあったり、サスペンスがあったり、とにかくエンターティメント性がすごくてハマるんですよ。既刊はすべて彼から借りて読みました。確かに『千里眼』の岬美由紀は人間とは思えないむちゃな活躍の連続だったけど、やっぱりあれは作り物なんですね。
今、連れてきてもいい?
「告知室でやりましょう。私も、ハンチョウにはオペを成功してほしいし。やっぱり自分のチームのリーダーの成功ってチーム全体にやる気を起こさせるものですからね」
わかった、今連れてくる
オペを成功させるためには、恥ずかしいのなんのとは言ってられませんよ。
とにかくオペの各部所につくメンバーは、”成功”という言葉でひとつになるんですからね。
嫌だと言ったらフライパンで殴りつけても連れ出してやる。