最高の例会でしたよ。

 グランブルードリームス・オーケストラに来てもらって、患者さんたちは目を細めて喜んでくれて。病院だから「癒し」をテーマに静かなバロックだけのプログラムがいいんじゃないかって、オーケストラ側では言ってくれたけど、こっちの狙いは、患者さんが元気になって、余命を数えて1日を終えるようなことが病棟から消えてほしいというのが本音だから、いつもと同じようにやってもらって、曲間のコントや、患者さんたちの中に飛び込んで踊ったり、にぎやかにやってもらった。

 オーケストラのメンバーが隣に来るとおがんじゃう患者さんもいるしね。

 グランブルーは自分でものすごくつらい日々を経験しているから、他人の痛みがわかるんだろうね。

 自然にウチの患者さんと接触してくれるんだよね。


 だけど、1人だけ金八先生になったのがいてねー。

 命についての演説を始めたの。

 こんなふうに。


 ぼくはMUSE-Cプロジェクト、世間で言う「はやぶさプロジェクト」の一員で、イオンエンジン開発・推進部門にいました。

 最初はアメリカと相模原のJAXA(文部科学省宇宙科学研究所)をネットで結んでの参加で、2007年の6月に医師免許を取得できて、半年間、ニューヨークの病院で働いて日本へ戻りました。

 その直後に、イオンエンジン・チームのCI(主任研究員。世間的な言葉だとチーフとかリーダー)と対外協力室(広報部)の的川東大教授から続けて連絡があり、はやぶさのエンジンが死んでコントロールができなくなるのも時間の問題だ。頼むから、今から一番早い飛行機で相模原まできてくれ、ということで、慌てて飛んでいきました。

 早速、対策会議でした。

 イオン・エンジンというのは、キセノン・ガスを噴射して、それを中和器で帯電させて推進するクリーン・エネルギーなんです。

 それがすべて停止してしまった。

 周囲に姿勢制御用の細かいエンジンも数基とりつけてあるからそれをと言ったら、それもすべて死んでる。

 最後の手段としてキセノン・ガスをそのまま噴射させる、なんて危険な意見も出ました。

 それをするとせっかく人類史上初のサンプル・リターンといって、小惑星イトカワの砂を、サンプリング・ホーンという一本足の着陸脚兼大砲の砲身で、着陸したら砲身が伸びて、大砲の砲丸をイトカワの表面に発射して、舞い上がった砂や欠片を吸い上げて、採取してはやぶさ本体の中のカプセルに収めたものが、はやぶさもろとも燃え尽きる危険性が大で、反対がかなり出て消えました。

 じゃあどうするのって時に、川口マネージャーが、「できるかどうか、エンジン・チームに訊きたい。ぼくは元はと言えばテレビを売っていた人間です。だから、はやぶさの前に打ち上げた火星探査機「のぞみ」で火星周回軌道に入れないようなものを作ってしまった。

 だから、専門家に訊きたい。

 ぼくが考えたのは、中和器が生きていても、エンジンが完全に死んでるBエンジンと中和器が完全に死んでいても、エンジンは人の鼻息程度生きてるAエンジンをつなぎ合わせることはできませんか?。(イオン・エンジンって絶好調でも人の鼻息程度の噴射力しかないんだけどね)」

 エンジン・チームのCIがぼくをちらっと見てから、川口さんに言いました。

 「理論的にはすばらしいです、でも、そのためにはバイパス回路が必要です」

 「バイパス回路?ですか・・・・・・搭載はしてない?」

 CIは頷きました。

 「はやぶさも失敗ですね。ぼくは責任を取ってNECを退社します。

 みなさん、今まで睡眠時間をほとんど取らずにぼくについてきてくれてありがとうございます」

 川口さんが言うや否や、CIがいきなり、

 「あー、そうだ、忘れてたー。バイパス回路を搭載したんだったー!。

 マイクロマシンの回路で、これなら軽いから500kgを超えたのはエンジン・チームが悪いって言われないだろうってことで川口さんが、生まれた頃から知っているという彼にアメリカから航空便の封筒に入れて送ってもらったんだ」

 ぼくに向かって、試してみて、とCIは言いました。

 パソコンからコマンドを送って15分間の長い沈黙の後、モニターに起動の文字が。

 そんなわけで、それから川口さんまで、プロジェクト全員が「はやぶさ君」って機械を擬人化して呼んでました。

 このことで、ぼくは命を学びました。

 大切じゃない命なんてない。

 たとえそれが探査機という、人が作った命であっても、すべて大切なんです。

 自分なんて死んだほうがいいと、リストカットを繰り返したり、余命を数えることだけで1日を過ごす。そんなことをするのはバカ以外の何者でもない。

 はやぶさ君は何度も死にそうになりながらでもがんばって地球にものすごく大切なカプセルを届けて生涯を終えたんです。彼は地球と太陽の2倍の距離である60億キロを、そのカプセルの中身を採取するためだけに飛んで、最後に地球の姿をカメラに収めて、亡くなりました。

 そのカプセルの中身こそ命そのもので、太陽系といってぼくらの地球があるところの始まりと、最初の命の謎が詰まっているんです。

 だから、みんなもはやぶさ君を見習ってほしい。

 ぼくは医者として命の最前線に立ってますが、はやぶさ君と関わることができたおかげで、命を愛でるということを教わりました。

 もう一度言います。

 大切じゃない命なんてない!

 余命を数えるくらいなら、退院までの日を数えてください。

 ぼくが必ず退院させますから。


 演説を終えて、最後の曲は、竹内結子さん主演の映画『はやぶさ』エンド・テーマ「たいせつな光」

 イントロだけ指揮をして彼は歌っちゃいました。

 Fumikaさんという女性ヴォーカリストが歌ったんですが、彼のキーで楽に歌えるんです。

  

 最高の例会でした。演説がなければ。

 でも、西田敏行さん主演の映画『はやぶさ』のラストで竹内結子さんが「はやぶさプロジェクトで得たことを論文にして提出して、学位と博士号を取得して、講演会をするシーンの台詞が引用されてたりして、彼なりに命の尊さについてリストカットを繰り返したり、余命を数えて、まだ死ねないなんてバカなことを言う患者さんに届けたかったんでしょう。

 気持ちはわかるけど、ノリノリのときにあの演説はね、雰囲気壊すから。


 患者さんたちは病室に戻っても例会の話題でもちきり。

 でも、夕食後に・・・・・・。

 彼が担当医をしている患者さんの1人が大量の血を吐いて。

 それが一度じゃなく何度も。

 肺癌の歳末期に出る症状なんだけど、治療法がないんだよ。

 ただ口から喉までチューブを入れて喉にたまった血を吸引するだけ。

 窒息死を避けるだけしかできない。

 医師として一番つらいんだよね、患者さんの苦しむ姿を見せられるのは。

 ところが彼はとんでもないことを思いついた。

 血管を収縮させる効果のある薬剤をネブライザーという業務用吸入器で患者さんの喉から肺にまで送り込む。

 アメリカでは当たり前だって言ってるけど、ここは日本だよ。

 厚生労働省がうるさいよ。指針から外れると。

 まあ、官僚をぶん殴ることに最高の喜びを感じるアネさんもいるけど。

 これから定期的に行うんだって。

 命の大切さ、尊さについて話したからやらないわけにはいかない、って。

 所得税を6割も持っていくんだから、やりたいことはやらせてもらう、って。

 また演説をする気配を感じたから、わたしは言ってやった。


 「上からマリコ」はあるのに「下からマリコ」ってどうしてないんだろうね。

 「右からマリコ」とか「左からマリコ」もあってもいいのにね。

 って言ったら黙り込んだよ。

 ものすごいショックだったみたい。