きょうで、ヲタク副医長と中島カントクが、この病棟を去ります。


 ヲタクは個人病院3世で、カントクは4世ですから、やはり家を継がなければならない立場なんですよね。


 いつかはこんな日があると、わたしがこの病棟に配属された日から心にしっかりと刻んではいました。


 だから、わたしがしっかりしてアネさんをサポートしないと、って。


 二人との想い出はほんとうにたくさんあって、書き出すと文字数制限に引っかかるので、わたしの心の中に留めておこうと思います。


 


 きょうは月曜回診の日。


 それも特別な日です。


 午前中に会議をして、ヲタクとカントクの担当していた患者さんを、彼とガンバとチャラの3人に分けて引き継いで、回診で患者さん本人に引き継いだことを告げて、新任があいさつをする。


 朝から、もうわたしは心臓が口から飛び出しそうな、医学的根拠はありませんが、ほんとに気が気でない、心理学的根拠もないですが、とにかくそういう状態でした。





 患者さんを預けることに対しては、彼の腕は確かだから問題はないんですが、きょうのような真面目な場面で、彼が何をしでかすか、大ボケをかますんじゃないか、って心配で。


 患者さんたちは、わたしと彼が夫婦だということは知ってます。


 きょうという大切な日に、夫がボケたら妻として恥ずかしいじゃないですか。


 鉄人28号のリモコンを失くした正太郎くん状態でしょ。


 


 もう、わたしはどんなときでも心配はしませんよ。


 どんなに大切な日であっても、ボケは辞められないんですから。


 禁煙内科が流行してますが、ボケ内科も誰か作ってください。





 アネさんは、


 「志村、あのボケはな、患者さんとの壁をぶち破る、彼の心理的作戦なんだ。自然にやれば骨折するようなボケもするけど、受身をきれいに取ってるから大怪我はしないだろう。しても内出血程度でさ。だから、アイツには患者さんは何でも喋る。担当医でさえ知らないことまで、アイツは知ってるんだよ。きょうだって見ろ、患者さんの現時点での容態について詳しく知ってたろう。午前中に電子カルテを見たぐらいじゃ、いくら頭のいいヤツでもあんな芸当はできない。あらかじめ蓄積された情報を、電子カルテと照合した程度なんだよ」


 確かにその通りだよ。


 彼は生まれついての天才じゃない。


 生まれついての天才なんか、この世にはいない。


 よく、2歳で世界の国旗がわかって、名前をあげるコ、なんていうのが天才児としてTVで紹介されるけど、あれは天才じゃなくて、ただ学習能力が高いだけだから。


 いつも世界の国旗を見て、これはどこ、って言ってるうちに、情報が蓄積されていくだけだから。


 彼も同じで、興味を持ったことに対しては、ありとあらゆる情報を引き出して精査して蓄積する能力が高いだけ。


 それも生まれたときからじゃなくて、母親と祖父がそういう教育をしたから。


 彼が不思議だと感じることがあれば、そのことに対する情報を、本という形で彼に与える。すると彼はその本から、情報を精査して取り込むことを憶えるようになっていった。


 本人も言ってるけど、彼ほど世の中の地獄を観た人間はいない。


 情報の精査に失敗してイジメの標的にされたり、他人を信じて保証人になって闇金融に追い掛け回されたり、そんなことがすべて精査された情報として頭に蓄積されてるから、大手信販系のクレジットカードでさえ信じることができなくて、作ろうとしない。


 彼がカードと呼ぶのは、住民基本台帳カードとポイントカードだから。


 映画を1本観ると何ポイント。レンタルDVDで何ポイント。クレジット機能なしのイオンのWAONカードで、買い物したら何ポイント、CDやDVDを買ったら何ポイント。


 ちまちました点数を貯めるのが好きなだけ。


 オリコとかVisa、Master、アメエキじゃないの。


 TUTAYA、LOWSON、GEOPonta、タワーレコード。


 それが学習の成果だから、わたしにはそんな彼がカッコよく見えるよ。


 ウチの親もクレジット・カードを持つなって未だにうるさいし、わたしも彼の話を聴いたら恐くて、勧められても断るよ。





 また、迷宮かー・・・・・・。





 要するに、アネさんは彼からボケを取り上げるな、って言いたいんだよね。


 ボケて集めた患者さんの情報の中に、治療に対する大切な何かが隠れている可能性もないとは言えないから、ボケは続けさせろ、ってことですよ。


 





 回診後は夕食時に元付属看護学校の体育館だった建物、病棟内披露宴を過去に5組の医師、看護師が執り行っているところ、まあ1組は入籍前に壊れたけど、でヲタクとカントクの送別会を行いました。


 病棟の患者さん全員出席でね。


 看護師がすべて準備してくれて。


 4F病棟は患者さんも含めて1つの家族だから、医師や看護師だけで、居酒屋で送別会をしたりはしないの(って病棟を空にしてそんなことをやったら厚生労働省のエライ人がたくさんで殴りこんできて、病棟は廃止されて、アネさんは医師免許も剥奪されるよ)。


 喜びごとも悲しみごともすべて患者さんと一緒。





 回診後、彼がスタッフ・ステーションから消えた。


 看護師と一緒になってデレデレしながら会場設営に行ってはいないし、館内放送にも応答なし。


 どこで何をしてたか。


 職員駐車場の隅で、かつおのたたきを作ってた。


 患者さんも含めて全員に出される料理は看護師が隣のコープの惣菜部に数日前に頼んで作ってもらったんだけど、1品だけ、彼の手作り料理がつく。


 1本もののかつおを自分でさばいて、ブロック状態でたたきにする。


 火とかつおの微妙な距離感が難しいんだって。


 近づけすぎると単に焼きがつおだし、遠すぎると刺身。


 スタッフ・ステーションの窓からちょっとからかってみました。

 たたきにしたものはコープの鮮魚コーナーに売ってるのにね


 グルメの考えることはわからないなー


 オーバーオール長靴みたいな漁師スタイル、似合うんだよねー


 医師を辞めて漁師になれば? 同じ「し」がつくよ


 って言ってみたけどほんとはダメ。ただでさえ病棟は医師不足なんだから。


 反省してまーす。


 司会はわたしと彼。


 前回の司会が漫才みたいでおもしろかったから、またやってくれ、ってアネさんが。


 わたしは真面目に進行しようとするのに、彼がいらないボケをかますだけ。


 まず、アネさんの講話があったんだけど、その前に彼がヲタクとカントクの席へいってマイクパフォーマンス。


 本当にいきなりなんの打ち合わせもないままに、


 一応、フォーマルなスタイルで司会をしたから、彼はスーツにネクタイ。


 そのネクタイをはずしながら、


 「にいちゃん、それにおねえちゃん、オレんこと2、3発殴ってみーや」


 そしてネクタイをきれいにたたむと、


 「オレは、血ー吐いてぶっ倒れるぞー」


 それが言いたかっただけ。


 言ったら、ネクタイをきちんと締めて司会の席に戻ってきた。


 吉本新喜劇的ボケ。


 池乃めだかさん的ボケ。


 何の脈絡もないボケ。


 でも笑いはとった。


 意味もわからないけど、おもしろかったから。


 ギャグって頭で考えるとダメなんだ。


 頭で考えるのはジョーク。


 アネさんはものすごく喜んだよ。


 緊張しないで話ができた、って。





 それからは音楽と喋りで盛り上がりました。


 やっぱり、若い連中は歌うね。


 ストレートにお世話になりました、とかさよなら、って言えないんだと思うよ。


 だから、わたしたちも音楽にしたんだけど。


 わたしたちも若いから。


 人間って、たとえば19歳から20歳になると大人になった、って言われるけど、違うと思うよ。


 9がゼロになるんだから、マイナスじゃないかな。


 でまた1、2ってひとつずつ歳を重ねて9が来たらまたゼロ。


 彼の受け売りだけどね。


 臨床心理学上の理論だとか言ってるけど、ホラ話だよ。


 あっ、しまった。


 自爆行為だよ。


 わたしはレヴェル37(しょこたん語)か。


 7なんだ・・・・・・彼は4(レヴェル44)だからまだいいけど・・・・・・。


 とにかく音楽。





 まず男性看護士2人組のコブクロ。


 本物は休業中だけど、病棟では彼らがコブクロだから。


 歌ったのが「蕾」。





 この曲は小渕さんのお母さんが癌で亡くなったときに、棺桶の中のお母さんに捧げたんだって彼が言ってたけど、この場ではまずくないのかな。


 まあ、形が違うけど別れには違わないからいいとして。


 でも、本当に曲がいいよね、コブクロって。


 ユニクロは嫌いだけど、コブクロはいい。


 病気を治して早く復帰してほしいと思いますよ。


 看護師たちは3つに別れてK-POPですよ。


 KARAと少女時代とレインボーだって。









 わたし、『愛の戦士レインボーマン』なら知ってる。


 彼のDVDで観た。


 ♪インドの山奥で修行をしてー♪





 あれとは違うんだ。


 彼が先月の入籍記念日に買った「A」ってCDのレインボーか。


 AKBはなかったね、サコちゃん。


 サコちゃんはAKBは嫌いだけど、篠田麻里子さんは好きなんだもんね。


 ほしのあきさんも毎晩抱き枕で一緒に寝るくらい好きだったんだけど、振り向いてくれなかったんだもんね。


 ほしのさんとわたしが、サコちゃんに逆プロポーズしたら、どっちを選ぶか訊いたら、わたしって答えるまでに3分間かかった。


 じゃあ篠田さんとだったら、これは5分。


 大丈夫だよ、サコちゃん、ほしのさんも篠田さんも、サコちゃんに逆プロポーズなんか間違ってもしないから。


 だったらわたしと結婚なんかしてないって。


 予定としては彼のアルト・サックスとわたしのピアノのデュオでニューヨークで大評判だった「桜ーSAKURA-」改め「桜樹ーSAKURA-」。


 同じ読み方なんだけど、桜だと花びら1枚でも桜で、なんか淋しすぎるね、ってことで桜の樹っていうのはたくさんの花びらがついては散って、そのあとには果実をつけるでしょう。はらりで終わるより、希望的な感じに受け止めてもらいたいって、彼が樹の字を入れようって。


 考えたら、AKBも「桜の樹になろう」って歌ってるし、樹の字って、彼がプロデュースや楽曲提供や、コンサートのバックを勤めている人気ヴォイスアクトレスの水樹奈々さんの樹なんだよね。


 うまいことをいって自分の好きなヴォイスアクトレスの一文字を使うとは。


 東日本大震災の被災者の人に勇気が届くように樹をいれるって言ったけど、そういうことか。


 わたしは言っちゃうぞ。


 来月23日リリースの水樹さんのアルバム、CD+BLU-rayをしっかり予約したんだよ、サコちゃんは。


 CDにBDが付録としてついてくる時代ですよ。


 DVDがつくのは当たり前でね。


 CDが付録かBDが付録かどっちなんだか。





 予定では演奏だったんだけど、どうしても彼が1人で歌いたい曲があるっていうから、OKしました。


 きっと下ネタ関係なんだろうと思ったの。


 わたしは耳をふさげばいいと思った。


 それが、おいしいところを全部さらったんだよ。


 超真面目。


 川嶋あいさんの「・・・ありがとう・・・」


 彼にとっては何よりも大切な曲なんです。





 川島さんと彼は共に母子家庭という環境で同じような育ち方をしてきて、お母さんを癌で亡くしたのまで同じで、彼のほうが数ヶ月遅れて天涯孤独になったんだけど、2005年の24時間TVで川嶋さんが、武道館でお母さんとのことを話して、この曲を歌ったんですよ。それを彼と、入院していた彼のお母さんが観てた。


 まだ検査の結果が揃ってなくて余命宣告前だったけど、癌のスペシャリストである彼は、もう入院した時から余命を正確に計算していたんですよ。


 ある日、わたしが、クリスマスやお正月は一時退院するの、って訊いたら、彼はニコニコしながら、


 「ぼくのクリスマスや正月は仕事で寝る閑がないんだよ。ウチの母親はそんな心配は要らないよ。12月の頭まで入院させておいて。それできれいに終わるから」


 本当に12月2日でした。


 彼はお母さんを想い出すからって、聴いてはいても歌うことはなかった。


 コブクロの「蕾」的発想だけど、とにかくOKしました。


 「蕾」よりストレートに死に対する想いが綴られているんですが、歌詞の一句一句を見ると、「どうか私を置いていかないで このままでそばにいてよ」なんて、ぼくにはおふたりから学ばなければならないことがたくさんあるから、置き去りにしないでそばで教えて欲しい、ともとれそうで、ジャズ以外でも真面目な歌を歌えるんだなー、と思ってまた新しい彼を発見したって感じでした。


 アネさん号泣。


 強い人ほど涙もろいんです。


 それは正義の人だから。


 月光仮面のサングラスって、正体を隠すためのものじゃなくて、涙を隠すためのものなんだって彼が言ってました。


 原作者がそう語ってる本を持ってるって。


 観音様がモデルだから、心の良い人には慈悲深いんだって、月光仮面って。


 会場にサッカーのゴールポストが置かれてるんです。


 何でか、とても気になっていたんですが、彼の演出でした。


 孤高のエースストライカーを招待したんです。


 彼が小児病棟から降ろされてきたときの担当医がヲタクで。


 何も話してくれないし、根を上げかかっていたところに、彼がこの腫瘍をオペで取り出したいって言い出して、アネさんは担当医を変えて、彼にオペをさせた。


 厚生労働省に知れるとアネさんは首が飛びます。


 ガイドライン違反を見逃したとして。


 人の生命を救って首をはねられたらたまったものじゃないですけど、制度ですから。


 わたしはあえて官僚には反抗しません。彼とアネさんだけでたくさんです。


 ヲタクをキーパーにエースストライカーが何本ゴールを割ることができるか。


 お互いに真剣ですよ。


 結果1本も止められなかった。


 それだけならいいけど、ヲタクは完全に熱くなって、アイツがフェイクをかけたとか、泣きの10本ですよ、大人気ない。




 だからナベ(奥さんの元看護師)ちゃんにいびられるんだよ。


 宴たけなわで、彼のアルト・サックスとわたしのピアノで2曲。


 1曲目は「Sweet memories」。松田聖子さんの曲です。



 2曲目は「桜樹ーSAKURA-」。





 それから主賓の二人は患者さんのテーブルを周り、一人一人となにやら話していました。


 そこではっと気がついたんです。


 患者さんと同じ目線で話してるのを。


 ほとんどの方が車椅子か、普通の背もたれパイプイスですから、同じ目線で話すには膝をつかなければいけない。


 今までは上から目線で話してたんですよ。


 それが最後の日になって、自然に同じ目線になってる。


 彼が病棟に、臨床心理学の一環として、また夜食の時にドラッガーのマネジメント論として持ち込んだものなんです。


 でも、なかなか急にはできなくて、最後の日にやっと。


 わたし、明日11月1日から絶対に同じ目線で患者さんと向き合います。





 彼が病棟に持ち込んだものはたくさんあります。


 でも、失ったものも大きいですね。


 せっかく同じ目線になれたのに別れが来るなんて。


 時間ってものすごく残酷ですね。特に末期病棟に対しては。


 宴会が終わったら帰宅しますでよかったんですが、明日の朝礼前まで病棟にいたいってことで、そうしてもらうことにしました。


 よくよく話を聴いたら、彼の最後の夜食が食べたいってだけ。


 ディナーのあとの送別会。


 ディナーのあとは謎解きだったんじゃないかな。


 彼はとうとう大島部屋秘伝のちゃんこを出すことにしてしまいました。


 おかげで夜食前までの間、映画を観てくることができました。


 『ツレがウツになりまして』


 そのまんまわたしかい!。


 彼の一番好きな俳優の堺雅人さん主演。


 ほんとに堺さんとは奇妙な縁なんですよ。


 堺さんが演じられる役と同じ経験を彼がしてるんです。


 


 TVドラマ『JOKER 許されざる捜査官』では同じように闇の制裁人。


 ウツの役をやれば彼は躁鬱


 そして、映画『ゴールデンスランバー』で首相暗殺犯に仕立て上げられ、逃げ回る宅配便ドライバー。


 彼は北海道洞爺湖サミットの時に、暗殺犯と間違えられて逮捕されてるんです。


 しかも、北海道警察旭川方面本部特殊捜査二課からの派遣で、VIPの警護という任務中に。


 とあるホテルの屋上から、VIPに近づく不審者を狙撃するためにライフルを構えていて、パトロールをしていた制服警官2人に取り押さえられた。


 IDを見せたら、偽造だろうって。


 警備の配置って上層部だけの極秘事項で、下までは伝えられてないんですよ。


 彼は当時、警部補で、制服ということは巡査長ですから、はるか下の階級の警官に犯人扱いをされて、隙をみて逃走したら、なおのこと騒ぎが大きくなって。


 IDをしっかりと見てないから名前はわからないけど、ライフルを所持して逃げている男がいる、と。


 いい加減逃げまくって、やっと上層部のいる本部にたどり着いて訳を話したら、下には警備について話すわけにはいかないから、逃げ回りながら軽微につけ。サミットが終わったら、下の連中に真実を話すから。


 サミットなんていう特別な場だから、制服組は手柄を上げたいわけですよ。必ず特進できるんだから。


 だからって、警官を犯人と間違えるなんてねー。


 各県警から動員されてきた連中だから、他の県警の課員の顔や名前を知らないとはいえ、そこまで・・・・・・やるね。


 わたしがその話を聴いたのは、彼をサコちゃんと呼ぶ、同じ特殊捜査二課性犯罪対策班の彼女からですから。


 彼はそんな失態は話さないですからね。


 特殊捜査二課の存在自体、上層部しか知らなかった時代の話なんだって。


 今の警察って、『踊る』や『デカワンコ』並みに壊れてる。『ハンチョウ』が作り話なんだ。ショック・・・・・・。


 映画、おもしろかったです。


 ウチでも実践してみようっと。


 実際の躁鬱の彼に訊くと、5千円以上も取られる心療内科や精神科の30分カウンセリングなんかより、わかりやすく、ウツとウツを抱えた家族のとるべき道が明確に描かれていて、素晴らしい。30分カウンセリング1回でこの映画を5回観た方がいいし、DVDかBDが出たら、恐らくカウンセリングと同じくらいの金額で買えるはずだから、それを買って必要な時に観たほうがいい、とのことでした。