やっと、帰ってきました。

 ほんとうにやっと、って感じです。

 成田に降りて、羽田から北海道行きに乗りかえて、地元の空港から荷物を持ったまま、「がん予防大会」で講演。

 そしてやっと、住み慣れた我が家ならぬ病室へ落ち着きました。

 病棟に着いてみたら、患者さんは誰もいない。

 なんでっ、どうしてっ、と考えてみても思いつかないんです。

 カレンダーを見ても、金曜日って頭しかないんです。

 

 アネさんに思い切って訊きました。

 そうしたら、アネさんもめをぱちくりして、なに言ってんだ、こいつは、的反応。

 彼が涼しい顔をして、

 「当たり前だよ。きょうは土曜だから」

 えっ、でもニューヨークを発ったのが木曜だよ

 「時差が14時間あるから、ニューヨークは今頃土曜が開け始めた頃。日本は土曜の夜になるところ」

 時差・・・・・・そのくらいわたしもわかってたって。

 その涼しい顔をやめろって。

 土曜日だから外泊に出たんだ。

 驚くことじゃないんだよ。

 初めからわかってたよ、そんなこと、って言いたいけど、時差は考えてなかったな。

 こういうのを時差ボケっていうのかな。

 でも、大ボケよりはるかにいいと思うよ。


 きょうが土曜ってことは、明日、礼拝にいって、夜は彼が所属するアマチュア・ジャズのビッグバンドのコンサートがあるんだよね。

 そうだ、そのコンサートが彼の、そのビッグバンドでの最後のステージになるんだ。

 医師は捨てても音楽は捨てない、なんてことをニューヨークで思ったけど、音楽を捨てるんだよね。

 11月1日から私と彼は4F病棟の副医長に就任すると、医師の数の減も合わせて、今までみたいに遊びたくなったら、街をちょろちょろって分けには行かなくなるから、彼はビッグバンドを切り捨てた。

 一番好きなジャズを切り捨てた。

 昇進するってことはそういうことなんだ。

 わたしもアネさんも最後まで反対したんだけど、彼は訊く耳を持たなかった。

 「時間ができたときに、自分のペースでジャズバーで演奏するから、ジャズを切り捨てたことにはならないよ。あのバンドも先が見えてきてるし、バンドに縛られるよりも、ぼくは1人が好きだから」

 

 最後のステージだから、きょうくらいゆっくりと身体を休めればいいのに、もう夜食の仕込みを始めてる。

 明日が最後だということを忘れたいのかもしれない。

 

 彼がとても好きだという佐野元春さんの「ガラスのジェネレーション」の詞を引用して、彼がよく言う、

 「つまらない大人になりたくない」

 に反してるよ。

 「これは、大人はみんなつまらない、っていうことじゃないんだ。大人には二種類あって、人生を楽しんでいる大人と、会社と自宅をただ往復するだけのつまらない大人。ぼくは人生を思い切り楽しむ大人でありたいんだ」

 楽しみを1つ切り捨てるということは、つまらない大人に1歩近づいたことになるのに、ほんとうにそれでいいの?。

 夢を半ばであきらめるの?。

 ニューヨークでたどった彼の足跡からは、彼が夢に向かってすべてを忘れて走っていた姿を感じることができた。

 なのに・・・・・・。


 AKBへの楽曲提供も、裏が見えたからやる気が出ない、って断ってるし、少しずつつまらない大人になろうとしている気がして、これで本当によかったの?。

 虎の穴の地獄を這い上がってきたのはなんのためだったの?。

 

 もう、ビッグバンドはどうにもならない。

 でも、それ以上彼が何かを切り捨てようとするのなら、わたしは意地でも阻止する。

 アネさんも、医師としての首を飛ばすかもしれない。

 ウチの変なおじさんが喜んで拾うだろうけど、そのときは離婚するよ。

 彼もわたしもプロテスタントの律法を破って、破門されるけどそれでもいい。

 わたしは遊びの話題が豊富で、グルメで、超一流のミュージシャンで、大ボケを演じたらピーター・セラーズ並みのの悪ノリをする彼に片想いしたんだ。


 それを失った彼には何の魅力もない。


 切り捨てるのは明日のコンサートが最後だからね。


 さて、交代時間なので、またお土産を配ります。

 ティファニーってだけで、みんなワーキャー言ってるけど、そんなにすごいの、ティファニーって。

 日本でそんなに人気があるなんて・・・・・・。

 でも1人だけ、ティファニーよりも別のお土産にワーキャー言ってた人がいた。

 お土産はティファニーの札入れだったんだけど、彼が、自分が買うからといって、プラスティックモデルを買ったの。

 出来上がりが1mになる原子力潜水艦。

 SF映画の主役メカで、映画の後TVシリーズになって人気だった『海底科学作戦』のシービュー号っていうやつ。

 日本でもそのプラスティックモデルは輸入販売されたんだけど、生活保護費ではとても変えない金額だし、買ったのが福祉事務所にバレたら不正受給で詐欺罪が適用されるから買えなかった。

 それが、保護を廃止して、ニューヨークで再会して、買ってしまった。


 ヲタクは単にお小遣いに無理があってあきらめていた。


 「親父の病院は無床病院だから、作る時間はたっぷりある。資料を集めて、ぼくはTVシリーズタイプにする」

 奥さんにはティファニーのバックパックをお土産にして、ヲタクに渡したんだけど、手元に届くかどうかだよね。

 電話を入れておこう。


 明日が最後か。

 

 最後の最後だけどね。