今夜がニューヨークで最後の夜になります。
きょうは夕方から、彼のニューヨーク復帰コンサートが行われました。
たった1度の打ち合わせのみで、本番までの日数も少ないのに蟻の入る隙もないほどよく準備を整えてくれていたスタッフと彼のジャズ仲間にお礼を申し上げます。
リンカーンセンターの窓から外を見ると、街がまるでおもちゃみたいに見えました。
コンサート会場は50階でした。
音楽ホールでもなんでもない、普段は会議室や披露宴などに使うことのできる多目的ホールってやつですね。
観客はすべて立食形式。
丸いテーブルに置かれたオードブル形式の料理をつまみながら、好きなドリンクをウェイターから受け取って、ジャズを堪能する。
それが本当のジャズの聴き方で、最もフォーマルなのだとか。
観客はみな、スーツ、タキシード。女性は素敵なカクテルドレス。
デニムにダンガリーなんて人はひとりもいません。
恐らく、中には彼のパトロンも何人か含まれているのでしょう。
ニューヨークでは、優れた芸術家や音楽家には必ず、複数のパトロンがいます。
見返りを求めずに投資してくれる人。
だから、何も考えずに才能を伸ばすことができるんです。
日本ではまず、生活が成り立つかどうかを心配してしまうでしょう。
だから、才能があっても断念せざるを得ない時が必ず来る。
優れた芸術家や音楽家を育てることが構造的にできあがっているんです、この街は。
市民税も、パトロンが自分の収入から芸術家や音楽家に投資した分については非課税対象になってるんです。
市をあげて芸術家や音楽家を育てていくという姿勢なんです。
午前中にMOA美術館を観せてもらったんですが、そこは現代美術専門になっていて、無名な画家や彫刻家たちの作品が堂々と飾られていました。
日本ではあり得ないと思います。
美術館にあるのは高名な画家や彫刻家の作品ばかり。
入場料も高くて。
高名な画家の作品でなければ入場する人が限られて、美術館を運営していけないからそうなるのはわかります。
この街では、美術館や音楽ホールは税制上の特別税制で税率が驚くほど安いんです。
日本で税率が法的に低いのは農家と資本金1億円以上の大企業。
税率がゼロなのは神社と仏教寺院。
彼がよく口にする、太平洋戦争の敗北は、文化力のレベルの差だよ、っていうのがこのようなスタイルなんでしょうね、きっと。
日本は文化を削るだけ削ったでしょう。
「欲しがりません、勝つまでは」
同時期のアメリカは、膨大な予算を使った素敵な映画を作り、グレン・ミラーという飛び抜けた才能を持つジャズ・バンドのリーダーを軍楽隊のリーダーに迎え、軍楽隊にジャズを演奏させ、各地で戦っている兵隊たちを慰問させた。
グレン・ミラーは20世紀のアメリカが生んだ最高のバンド・リーダーです。
キラーディラーという独自のスタイルを生み出し、レコードの原材料であるシェラックという特殊プラスティックを、アメリカ中にあるものすべてを使い果たすほどのヒットを連発して、未だに記録として残した。
キラー・ディラーというのは、ジャズのビッグ・バンドのメロディーをリードするのは、吹奏楽と同じように金管、それもみんなトランペットなんですが、通常、トランペットが吹くはずのフレーズをクラリネットに吹かせるスタイルです。
まあ、正直な話、偶然の産物なんですけどね。
コンサートを翌日に控えた最終リハーサルの時に、リードトランペッターが楽器のベル(朝顔みたいに広がった部分)を吹いてる最中に譜面台にぶつけてしまって、唇を派手に切って、吹くことができなくなってしまって、コンサートを延期するかという話まで飛び出していたのに、グレンはなんとか決行することしか考えてなくて。
以前、出演すると契約したものの、ホールに向かう途中で、楽器を積んだトラックがエンストを起こし、ホールにたどり着くことができなかった。
普通なら、ホールのオーナーは怒って、二度と出演させないんですが、そのホールのオーナーは自ら、出演して欲しいと、グレンの妻が入院している産婦人科にまで押しかけて、妻を味方につけてまで出演してもらおうと企んでいた。
余談ですが、妻は流産をして、二度と子供の産めない身体になって、孤児院から子供を2人引き取って育てたんです。
なんとかホールのオーナーの期待に答えようと智恵を巡らずかな、と思いきや、トランペッターを病院に行かせた直後に、
「リード・トランペットのフレーズはクラリネットにしよう」
即断即決。
トランペットとクラリネットはキー(調性)が同じだから、できるといえばできるんですが、過去も現在も誰もやったことはない。
聴いたこともないサウンドを受け入れる客はいない可能性のほうが大きい。
でも、リハーサルをしてみると素敵な音になった。
リハーサルを聴いていたホールのオーナーも大喜び。
翌日、本番が開いたら、曲に乗ってダンスをしている客が、ダンスをやめて曲に聴き入ってしまった。
アンコールが絶えなくて、グレンの方がびっくり。
これこそぼくのスタイルなんだろう、ということで、グレンがずっと頭を悩ませていた自分だけのスタイルがここで完成した。
途端にレコードは爆発的に売れ、コンサートの依頼がこなしきれないほどくる。
豪邸を買って、結婚記念日に両親を招くと、父親はこれからローンが払っていけないんじゃないかと心配するんだけど、いや、現金で買ったんだよ、とグレンは返す。
嘘だ、現金でこんな豪邸が買えるはずがない、とかたくなに言う父。
いや、買えるんだ、レコードの売り上げで。
1枚売れると3ドルになる。それが800万枚売れてる。それも1曲じゃないんだよ、とグレンは言う。
父親は、3ドル×800万枚を必死に計算するけど、最後には、だめだ、計算できない、と白旗。
当時のジャズっていうのはスウィング・スタイルといってダンスのための音楽だったんだけど、それを聴いて楽しむ音楽に変えたのが、グレン・ミラーなんですよ。
今夜、彼が演奏していたのは、スウィングに飽きてきたジャズマンたちが出てきて、アルト・サックスのチャーリー・ヤードバーズ・パーカーとトランペットのディジー・ガレツビーが、譜面にとらわれない即興性のあるジャズをやりだして、それが広まってできたモダンジャズと呼ばれるカテゴリー。
もちろん今では譜面はあります。
ただし、32小節のメロディーと、アドリブの順番が書いてあるだけ。
それで、観客を充分満足させる音楽に仕上げるんです。
きのう、彼の通っていたジャズ・スクールで、アドリブ・フレーズを繋ぐことをいやというほど厳しく行ったのは、こういうことがあるからなんです。
彼、最初のうちはもう完全に映画『ラストラヴ』を気取ってました。
テナーサックスをレンタルしてきて、完全に田村正和さんモード。
MC(司会)が彼の名前を2度呼び続けても、ステージに現れないんです。
田村さんはスキルスに冒されて、歩くのもやっとという状態だから、一回目のコールでステージまでたどり着けなかったんですが、彼はスキルスの心配はないんですから。だって胃は全摘出されてるから。
午前中から元気だったし。
田村さんを真似てるの。
MCの3回目のコールで、どこからか、コール・ポーター作曲の『ビギン・ザ・ビギン』が流れてきて、彼がテナーでそれを吹きながらステージに現れる。
慌ててバック・ミュージシャンが演奏を始めました。
映画とまったく同じ。
きっと、警察官として現場に向かうときも、セリーヌのママチャリに乗っていくんだよ。
部下の名前を呼んで、部下が寄ってきたら、部下の額をピシャッと叩いて、
「いや、なんでもない」
なんてやるんだ。
そして、突然、
「えー、今回の事件には意外な盲点がありましたー。犯人はなかなか頭が切れますねー。それでは後半をどうぞ」
言いそうだな、彼は。
それでも1曲だけで自分のスタイルに戻りました。
それからはもう水を得た魚です。
コンサートも終わりに近づいた頃、彼はマイクを取り、わたしを紹介しました。
「今年の4月に結婚しました。彼女は呼吸器外科の天才です。ステージにあがってもらいます」
呼ばれたから、わたしは素直にステージにあがりました。
途端に、バック・ミュージシャンがメンデルスゾーンの『ウェディング・マーチ』を演奏してくれて。
ものすごく恥ずかしかったんです。
わたしは呼吸器外科の天才じゃないから。
ただ、内視カメラに向かうと、意識が無くなって、やらなくてもいいことまでやってしまうだけですから。
で、バック・ミュージシャンがステージから退場して、彼とのデュオ。
ふたりで作曲・アレンジをした『桜ーSAKURA-』を。
観客は理解してくれるのかなって、不安で。
じっと聴いてるんですよ、身動きもせずに。
うわー、これは品定めなんだ。
彼の評判を落としたら取り返しがつかないよー。
頭はそれだけがぐるぐるしてるし、身体は「口から心臓が飛び出す」状態。
医学的にはそんなこと絶対にあり得ないんですけどね。
ひたすら曲が終わるのを待ってました。
終わって、ほっと一息つきかけた瞬間にものすごい拍手で。
アンコールでも演奏させられました。
「サクーラ、サクーラ」って観客の方々が叫ぶんですよ。
このコンサートを中心になって企画してくれたレコード会社のジャズ・レーベルのオーナーは、『桜ーSAKURA-』をタイトル・チューンにしたCDを製作しよう、って、コンサートが終わった瞬間からどんどん話を進めるし、とにかく前向きに考えてくれ、レコーディングは日本でできる。こっちのスタッフを派遣すればいい。ミキサーはルディー・ヴァン・ゲルダーにしよう、って。
ルディー・ヴァン・ゲルダーさんって、ジャズのレコード・ミキサーでは伝説と言われるものすごい辣腕ミキサーだよ、って彼は言ってました。
「ルディー・ヴァン・ゲルダーのミキサーでレコーディングができるなんて最高だよ。前向きに考えて、障壁を取っ払う方向に持っていこうよ」
やっぱり、彼は音楽を捨てられないって、このときに感じました。
医師を捨てても音楽は捨てられないでしょう。
ただ、医師としての自分に課した目標があまりにも過酷で、実現するのが難しいことだから、医師を捨てる気は毛頭ないですしね。
音楽と医学の板ばさみで、このまま行くんでしょうね。
帰りにちょっと散歩しました。
ブルックリンブリッジ公園を。
リンカーンセンターとホテルの中間なんです。
彼は多分映画『ラストラヴ』のラスト近くを演じたかったんでしょう。
でも、映画は昼のコンサートの帰り道。
きょうは夜。
お土産物店はすべて閉店ガラガラです。
本当なら、わたしが、
お土産買ってくる
って言うと、彼は
「じゃ、向うで待ってる」
って答えるのがやりたかったんでしょう。
昼に来たときは、映画でも重要なシーンになる、田村さんが伊東美咲さんに自分の気持ちを打ち明ける、
「もう、二度と恋なんてしないと思ってた。でも、あの夜、クリスマスの夜、君を見ていて心が変った・・・・・・」
って大木にふたりで寄りかかって話すのをやりたかったけど、まだわたしたちはクリスマスを迎えてないし、わたしがブルックリン・ブリッジを見て、ハリウッド『ゴジラ』に話を持っていったから、不発だったんです。
夜に見るブルックリン・ブリッジはなおさら『ゴジラ』っぽかったですよ。
今にも、ジャン・レノの運転するタクシーがゴジラを誘導してくるような感じでした。
いよいよ明日、この街ともお別れです。
彼のホストファミリーには、電話でお礼を伝えました。
病棟のスタッフへのお土産は、きょうの昼間にすべて買い揃えました。
残っているのは、この記事を書いているノートブックを、記事を書き終えたあと、バックアップしてあった状態に戻して、日本語で読み書きができないように戻すだけです。
そしてFBIニューヨーク支局に返します。
何日間かブログの更新はお休みしますが、日本に戻ったらまた始めます。
日本に着いたらその足で、がん予防大会で、ふたりとも講演をしなければなりません。
それが終わったらやっと、住み慣れた病室に落ち着きます。
この街は本当にいい街でした。
行きかう人々が見知らぬ人でも気軽に挨拶してくれる。
すべての市民の心に文化が根を下ろしていて、街をまとめる公務員がそれをわかっていて、見合うだけの政策を遂行している。
初めてやってきたわたしを、市民のように扱ってくれる。
魅力がありすぎて、言葉になりません。
街との別れがこんなにつらいなんて、思いもしなかった。
できることなら市民になりたい。
でも、未熟なわたしたちでも、必要としてくれる患者さんが待っているから。
さよならは言えません。
また、いつか来たいから。
See You、Newyork。