スタッフ・ステーションで夜食を囲んで、ほっとした時を過ごしていた。

 

 きょうは、彼にとっては多忙な1日だった。

 午前10時から、臨時市議会に出席し、席上で、10月1日午前2時過ぎに救急搬送されてきた、多臓器不全の患者さんの、多臓器不全発症原因が、日本ではまだ発症例のない、いわば未知のウィルスであったことを発表し、過去にアメリカの田舎町を全滅させたウィルスと同じ種類のもので、耐性(ステロイド剤など、ウィルスを殺す薬剤の効力を奪う力)を学習している、つまりアメリカの時より進化していることを、素人にもわかるように話した。

 そして、彼がシャーレで培養したウィルスを、ウィルスをさらに詳しく研究できる施設のある医大に、過去のアメリカの研究資料などとともに、要するに一切合切提供した。

 この病院は癌に特化された病院だから、ウィルスの研究などできない。

 それが最良の選択だよ。

 でも、彼は自分なりに滅菌治療(ステロイドで殺せないウィルスを殺す方法)を考えていて、それも再度、医大で研究してもらいたいと、渡した。

 彼が睡眠時間を削って続けた研究結果を、すべて医大にゆだねた、ってことになる。

 これで、満足な研究成果があがってこなければ、わたしは彼にひたすら謝り続ける。

 だって、そこはわたしの母校だから。

 卒業生として恥ずかしいし、精神と肉体の限界を越えるまで、研究を続けて感染を抑えようとしてきた彼の苦労が報われないから。

 わたしには、それしかできないんだよ。


 そして最後に、市、保健所、警察、消防に至るまで、万が一のことが、感染って意味だけど、起きた場合の取り組みまでを構築した。


 市議会は会派を超えて万が一のことが起きてしまった場合の対処を決議した。

 警察は、彼の所属する特殊捜査二課のバイオ・テロ班が担当になるという。

 まさか、対バイオ・テロ組織が警察の中にあったなんて・・・・・・。

 彼がよく言う、

 「特殊捜査二課って、警察組織の中でも最高に物騒な連中の集まりだから」

 確かに、そのとおりだよ。

 顔は組織暴力対策課の方々が物騒だけど、やってることでは適わないと思う。



 病院に戻って、昼食抜きで午後の回診に同行。

 ここにきてやっと、ほっとすることがあった。

 彼が担当医になっていた、彼のマツダオートザムAZ-1の生みの親で、現在はマツダオートで営業所長を務めている患者さんと孤高のエースストライカーくんに退院許可が降りた。

 これからは二週間に1度ずつ、病棟に直接通院して、検査を受けてもらうことになる。

 それも、5年間程度。

 再発防止のためだから、どうしようもない。

 ふたりとも、きょうはゆっくりと荷物をまとめて、明日の朝食を、最後の病院食にするという。

 うらやましー。

 だって、アネさんとヲタクと彼と、それぞれの担当看護師さんが、1Fの正面玄関に並んで、お見送りできるんだよ。

 わたしなんて、お見送りは霊安室から棺桶にしかしたことがないんだから。

 彼はそれぞれにプレゼントを用意している。

 別れ際に贈るらしい。

 医師がそのようなことをすることはないんだけどね。普通の医師は。

 でも、彼は感動大好きな天然不思議ちゃんだから。


 夜食を食べながらの雑談で、彼のきのうのことを、アネさんは話題にした。

 イオン・オリジナルブランドのスポーツドリンク2Lペットボトルの一気飲み、じゃなくて論文のこと。

 単にきのう発表して終わりじゃないんだよ、実は、ときた。

 じゃあ、どういうことなのかと言えば、学術研究論文として認められれば、博士号が授与される。

 ちなみにわたしも、その可能性がないとは言えないよ、って。

 そういうのって、普通は論文を書き始める前に言うんじゃないでしょうか。

 アネさんいわく、

 「おまえたち夫婦はふたり揃って大胆なことをやらかすわりに緊張しいだろ。だから、リラックスして論文を書けるように、あえて言わなかったんだ。本当は他のスタッフに口止めをしたり、つい言いそうになるのを我慢したり、大変だったんだぞ、わたしのほうが」

 いくらなんでも、リラックスして論文は書けないでしょ。

 書けない。

 何だったら、死んだおじいちゃんに訊いてみたっていいんだから。


 それを言われてから、彼とわたしの食欲はがた落ち。

 わたしは味を感じられなくなった。

 このままずっと続いたらどうしてくれるの?。

 おいしいものが食べたいのに・・・・・・。


 「学術研究論文で博士号を取得するのって、難しいなんてものじゃないんだよ。みんな十回も二十回も失敗を繰り返してるんだ。封書で結果報告がくるんだけど、ビジネスライクな文章で、今回は及第点に及びませんでした、だけが書かれてるんだ。

 みんな泣いてるよ。だから、ふたりも結果報告が来るまでは忘れるか、及第点に及ばなかった、ってあきらめてしまえばいい。そうしたら気が楽だろ。

 ちなみに、わたしも博士号を持ってるけど、赤十字病院に勤務していた頃に論文を書いて、わたしの場合は出身大学へ送った。

 自慢じゃないけど、一発で博士号をゲットしたよ。

 そして、やっと卒業証書がもらえた。

 まあ、みんな知ってるだろうけど、わたしは全共闘で、東大紛争真っ只中に医学生もやっていた。安田講堂で警視庁と戦ったりしていた世代なんだよ。

 あの頃は、学長が卒業証書を授与しないって決断をして、実行してしまった。

 だから、わたし世代の東大生には卒業証書をいまだに授与されていないヤツもいる。

 わたしはたまたまラッキーだったんだ。

 だからふたりもそのくらいに思ってろ。

 確率的には、年末ジャンボ宝くじで1等と前後賞が両方当たるより少ないから」

 あー宝くじの1等と前後賞が一人の人に当たるのって、そんなに難しいことなんだ。

 プロテスタントは宝くじを買うことも、律法で禁止されてるから、買ったことがない。

 ギャンブルの範疇に入っているんだよ。

 買えないから、興味もないし、はっきりと云って「あぶく銭」でしょ。

 お金が当たったら、絶対に人生の悪い道に落ちていくよ。そして最後は一文無し。

 定職を持たずに、株式のトレードで生活してる若者が増えているらしいけど、現在みたいに暴落してしまったら、それで終わりでしょ。大金が瞬間的に消滅する。

 やっぱり人間は額に汗して働くのがいちばんだって。


 さあ、明日、いやきょうか。

 きょうも額に汗して働こう。


 最後に、この街では不可思議なことが起きてます。

 米屋さんの店頭、およびスーパーの店頭から、お米が消えています。

 理由を訊いても、まったくわからない。

 ちょうど新米が入荷する時期なんだけど、まったく入ってこないから販売できなくて、ひたすら客に頭を下げてます。

 

 総合診療医の出番だよ。

 こういう原因のわからない症状から病名を導き出して解決するのが仕事でしょ。