あやうく、殺人罪になるところだった。
救ってくれたのは、彼。
4日めにして、もう立派な総合診療科医だよ。
わたしなんか、足元にもおよばない。
わたしの担当している患者さんが、昼食後すぐ、容態が急変し、亡くなった。
患者さんにとりつけたすべての医療機器が、死亡を告げていた。
親族には連絡をいれてもらってあったけれど、この病院から3時間以上も遠い街に暮らしているから、間に合わなかった。
わたしは、誰に告げるでもなく、死亡宣告をした。
彼は見学と称して、一部始終を見届けてくれた。
早急に死後の処置を看護師たちに施してもらって、ベッドを空けなければならないところだけど、せめて親族に一目でいいからベッドに横たわる姿を見て欲しくて、そのまま、病室の窓だけを開け、その場をあとにした。
そして、アネさん医長に、ベッドが1つ空くから、明日の午前中にでも入院できると、空きベッド待ちの患者さんに伝えてもらうようにお願いした。
午後の巡回時間になったので、わたしは巡回を始めた。
院内PHSが鳴ったのは、それからまもなくのことだった。
宇野看護師からで、急いで先ほど亡くなった患者さんの病室へ来てほしいと言う。
何のことなのかわからないまま、わたしは病室へと向かった。
どうしたの
病室にはなぜか、彼がいた。
「きみが死亡宣告を出した患者さん、生きてるよ」
うそでしょ
すべての機器が死亡と判定したのよ
「ハートレートモニターの盲点を知ってる?」
盲点?
「心拍・脈拍がキャッチできないくらいかすかなものになった時点で、脈や鼓動があっても、ゼロと判定する」
だから、何?
「一番正しいのは人間の触診だよ
それに、死後硬直がない
こうして簡単に立膝にできるんだ」
でも、脳波計はフラットだった
「脳圧があがっているから、測定が不可能なんだよ」
そんなことって
「聴診してごらん、集中して」
わたしは恐る恐る、聴診した。
しばらく、目をつぶりそのままの姿勢をくずさなかった。
ほんと
鼓動がかすかに聴こえる
「瞳孔の収縮は?」
わたしは患者さんの両方の瞳孔の収縮を見た。
たしかにペンライトを当てれば収縮し、はずせば拡大する。
生きてる
この人、生きてるっ!
「だろう」
どうして、こんなことが?
全身を悪寒が走った。
「脳圧があがって、意識を失っているんだ
脈が弱いのも脳圧が極端にあがっているからだ
もちろん、このまま放っておけば、きみの死亡宣告が正しくなる
どうする?
脳圧降下薬で助けられるよ
恐らく、もうこのベッドを使う新しい患者さんには連絡してしまったんだろうけど」
キャンセルしてもらうに決まっているでしょ
生きている人間を葬ったら殺人罪じゃないの
あなたが手錠をかけるのよ
妻に手錠をかけることができる?
「できることならしたくはない
でも、それをするのもぼくの仕事のうちのひとつなんだ」
この患者さんはわたしが助ける。絶対に
彼は、わたしに脳圧降下薬の名称を教えてくれた。
わたしは1F薬局部に薬剤の名称を伝え、そのまま薬剤が届くのを待った。
「さてと、ぼくはぼくのお仕事に戻りますか
それと、ごめん、AEDを使ったんだ
戻しておいて
それから、ぼくはこの病室に存在しなかった
きみが、死亡宣告をしてはみたものの、おかしな予感に襲われて、再び確認のために診療した
そうしたら、反応があった
いいね
「あきらめる」ことを、あきらめた
昨日 失敗した
今日また 失敗した
明日もまた 失敗するかもしれない
だけど私はやるんだろうな
傷ついたって やめることなんて
絶対できない
ぼくの大好きなアーティストの書いた詩だよ
ぼくよりはるかに年下なのに、いつも教えられることばかりだ
ただひとつ、同じなのは育ってきた環境だ」
それだけを言い残し、彼はふらりと病室から消えた。
ありがとうを言う暇さえ与えずに。
わたしが死亡宣告を下した患者さんについては、脳圧降下薬で適正な脳圧に戻り、駆けつけた親族とも普通の会話ができるまでになった。
奥さんに向かっていきなり「おまえは誰だ?」という台詞を吐いて、奥さんを悲しませ、そのあとで「ジョークだよ」って言ったものだから、奥さんはマジギレした。
患者さん、ちょっとやりすぎだよ、それは。
「あきらめる」ことを あきらめた
昨日 失敗した
今日また 失敗した
明日もまた 失敗するかもしれない
だけど私はやるんだろうな
傷ついたって やめることなんて
絶対できない
ほんとうに素敵な詩。
心の奥底にまで響いたよ。
彼に訊いたら、元I Wishのヴォーカリストで、現在はソロとして活動している、川嶋あいさんの書いた詩で、「16歳の白い地図」という、彼女の著書に書かれたものだって。
「あきらめる」ことを、あきらめた
昨日 失敗した
今日また 失敗した
明日もまた 失敗するかもしれない
だけど私はやるんだろうな
傷ついたって やめることなんて
絶対できない
わたしもそうでなければいけないんだ。
「あきらめる」ことを、あきらめない。
これからずっと。
この世を去るまで、この詩を忘れない。