えっと、きょうは何を話題にしようかな。

 書きたいことがありすぎて、全部1回にすると多分、文字数制限に引っかかるしね。

 うーん、日曜は公的な挙式・披露宴があるし、きょうは木曜だから、3日間に分けて書くとして、きょうはきのうの夜のできごとにするね。


 きのうの夜、彼がいきなり、

 「ラーメン食べ行こ」

 って言い出した。

 夕食を摂ることができなかったの、わたしの担当患者さんの容態が急変して、結果的には力が及ばずに亡くなってしまったんだけど。

 彼は遺族のケアをしなければならないし、とにかくちょうど夕食時だった。


 その後、本当は末期癌専門病棟っていうのは、1度入ったら出る時は遺体という状態でしか出られない。だから自分の担当患者が亡くなっても、心が沈んだり、泣いたりすることは、医師も看護師も許されることじゃない。あくまで平常心。残酷だと思う人は思ってもらっていいよ。それがわたしたちの仕事だから。

 それでも、やっぱり落ち込むよ。人間だもん。

 彼はそんなわたしを励ますためにそんな言葉をかけてくれたんだと思う。

 ちょうどわたしもラーメンを食べたかったし、彼は裏のお仕事の前か後には必ずラーメンを食べるから、それもあったかもしれないけど。

 とにかく、その一言がものすごくうれしかった。

 そして、出かけた。

 外出届を提出する時にアネさん医長に言われた。

 「せっかくだから、美味しい店にいきなよ。高くてもいいだろ。そんなに高い月給を2人とももらってるわけじゃないかもしれないけど、世間の職業からすると安くはないよね。年収だと1千万は軽く越えるんだから。だから、ラーメンくらいケチるな」

 大丈夫、彼は美味しい店にしか行かない。

 高くても、それに見合う味であれば躊躇しない。

 異常なほどのグルメだから、スイーツにまで。

 

 豚のトロ肉の入ったチャーシューメン大盛りでお腹を満たした後、もう1軒行きたい店がある、って言うから、もう食べ物はムリって答えた。

 軽い、口直しの飲み物だから、って言うからついていった。

 そこは、ジャズクラブ(ジャズの生演奏の聴ける、ホステスさんのいないバー)だった。

 店のドアを開けると、いらっしゃい、という弾性の声がした。

 ひょっこりとカウンターの中から顔が出た。

 「ほー、しばらく見ないと思ったら、おまえが女性同伴か。世の中も変わったね」

 以前、彼が演奏していた店なのだろう。

 アルト・サックスを持ってきた意味がやっとわかった。

 「結婚報告をしてなかったから」

 彼はアヒル口で言った。

 「結婚?おまえが。おまえ、きょうはエイプリルフールじゃないぞ。虚偽の報告は詐欺罪に当たる」

 「本当だから」

 「彼女がそうなのか」

 彼は頷いた。

 「おいおい、どうなってるんだよ、この世の中は。きちんと食べさせてやれるのか」

 「彼女は呼吸器外科の医師で、ぼくは同じ病院で臨床心理士として正規雇用されてるから。4月1日からだけど」

 彼は相変わらずアヒル口で答えた。

 「本当に去年の12月から大変だったんですよ。大腸癌をやって、1月の尾張に肺癌をやって、6月の初めにはすい臓癌をやって」

 「それでも死ななかったんだ。そうとうしぶといね、おまえは。じゃあ、ささやかな結婚祝いだ」

 マスターはミキサーにミルクとイチゴを入れかき混ぜた。

 「はい、特製イチゴミルク」

 「うわー。いただきまーす」

 もう、完全に神奈川県警捜査一課強行犯係四班班長の伊達警部の笑顔。

 ドラマ『JIOKER 許されざる捜査官』の堺雅人さん。

 彼はミルクが飲めない。でもイチゴミルクは飲める。

 理解に苦しむよ。

 「福島県産とちおとめをたっぷりと使ってあるから、最高にうまいよ」

 なんと贅沢な。

 とちおとめはイチゴの王様。

 それをイチゴミルクにしてしまうとは。

 でも、それを聴いた瞬間、彼のストローの途中で、イチゴミルクはストップした。

 「何だよ。なんか問題があるのか」

 彼は首を横に振って、飲みだした。

 

 多分、きょうの昼休みに観たワイドショーが原因なんだと思う。

 福島の被災者のインタビューで、福島産の食品を全国の人に食べてもらいたい。でも、わたしは怖いから食べないで、他の県から通販で食品を買っている。

 彼は珍しく、というか初めて怒った。

 なにせ「仏のmalineさん」として、病院中で有名だから。

 昼のできごとをここまでひきずっていたんだ。

 病棟の看護師がレイプ魔の餌食にされそうになったときも、怒らなかった。

 でも、彼の部下の、元・警視庁の警察官だった(それも警部補。いわゆるキャリア)臨床心理士がぽつりと言った。

 「怒ったことがないなんてウソです。背中がものすごく怒ってる」

 怒りを内に秘めるタイプなんだって。

 その代わり、キレたら手をつけられなくなる、って。

 

 「なんだ、きょうはアルトか」

 マスターは彼に言った。

 「肺癌の影響で、テナーはまだ音が細いし、1曲吹き通すことができないから。もう、去年の暮れから」

 「わかったって。何回も言うな。病気自慢をしてどうするんだ、バカ」

 「まあ、自慢じゃないけど」

 「吹いてみろよ」

 彼はアルトサックスを組み立てて、ピアノ・トリオが演奏しているステージにあがり、マウスピースを噛んだ、と思ったら、すぐ離した。

 「ラーメンが戻りそう。気持ち悪い」

 「バカ!そんなことをマイクで言うな。わかったからしばらく休め。ここは、なけなしの財産をはたいて始めた店だ。賃貸なんだぞ。汚されてたまるか。戻す時は便所まで我慢しろ」

 とにかく、マスターと彼のやりとりは微笑ましかった。

 ここでも、やっぱり彼はボケだ。

 

 彼がカウンターに戻ってきた。

 「いいか、ゲロだけは勘弁だぞ」

 彼は頷いた。

 「ところでさ、こんな男のどこに魅かれたの?」

 わたし?。

 あー。初めてそんなことを聴かれた。

 うーん。どこ、か。

 考えたことなかった。

 あのう、初めて出会ったのは阪神・淡路大震災のときの神戸の長田区なんです

 「長田・・・・・・あの、一番被害がひどかったところだね」

 ええ、わたしは旭川の医大の学生で、ボランティアにいったんです

 配置されたのは、当然、医療チームで、そのリーダーが彼だったんです

 「コイツ、生意気に法医学のライセンスを持っているからね。でも、変死体の解剖なんて、趣味が悪いよね」

 彼は何も言わずに聴いている。

 そのときに3ヶ月一緒に働くうちに、直感的にピっときて

 とても素敵な人に見えて

 わたしの初恋なんですよ

 3ヶ月で、気持ちを告げられないまま別れて

 わたしは医師になりました

 配属されたのが末期癌病棟で

 忙しい日々を過ごして

 2005年の8月に、彼のお母さんがわたしの病棟へ運び込まれて

 担当医師にわたしがなりました

 苗字が神戸のときの彼と同じだったので、なんか不思議な感じがして

 でも、まさかそんなことってあるわけないと思って、挨拶に行ったら、神戸のときの彼がいて

 神戸のときと、同じ笑顔で

 あー、やっぱりきみだったの

 ベッドについていた担当医師のネームが同じだから、同姓同名かきみのどっちか

 でも確率的にはきみのほうが高いって思った、って

 呼吸器外科を目指してる、って神戸で言っていたから、きっときみだと思った、これからよろしくね、って

 それから、治療法なんかを2人で徹底的に論議する中で、だんだん魅かれていったんです

 でも、わたしの力不足で彼のお母さんを救うことができなくて、また別れました

 もう会えないって思いながらも、彼のことを忘れることができなくて

 そんな時に今度は彼自身が肺癌でわたしの病棟に回されてきて、医長がわたしを担当医に任命して、今度は絶対に助けるって自分に言い聞かせて、治療を始めました

 彼は、ぼくを治験に使って、って

 ゲフィニチブっていう飲むタイプの抗癌剤があるんですけど、副作用による死亡率がものすごく高いんです

 心不全をおこしてしまったら助けようがないから、わたしは絶対に嫌だ、って言ったんですけど、彼は、ぼくは癌を憎んでる、だから、ぼくが治験を行うことによって、癌研究の何かがわずかでも進めばそれで死んでもいい、って、わざわざ医長に直訴して、治験を始めるようになりました

 今は、高学医療費助成制度って、名前だけで機能していないんです

 予算がなくて

 癌患者の医療費って普通の生活をしている人には払えないんです

 放射線治療だけでも300万円以上かかります

 それで、治験というのはもし、死亡した場合、300万円の保険金が降りるんですよ

 彼は天涯孤独だから、癌患者の医療費の助成金に使って欲しいって、受取人欄に記入して、ほんとうはきみに受取人になってもらいたいんだけど、ごめんね、って

 「それがプロポーズ?」

 いえ

 それから、彼を個室に移して、副作用が起こったときのために、ってことで、わたしが同じ病室にもうひとつベッドを入れて、他の担当患者さんをすべてはずして、彼と生活をともにしました

 そうする中でお互いの距離がどんどん近くなって、恋に発展して

 本当は医師と患者の一線を越えてはいけない規則があるんですけど

 どうしようもならなくて

 医長は認めてくれました

 男女が24時間同じ部屋の中にいて、なんの関係にもならないのはおかしいだろう、って

 医長はある日、彼の腫瘍を全摘出するって言い出して、癌の進行度からいってほとんどムリなことだったんですけど、成功させたんです

 1mmも残さずに

 医長は、自分でもこんなにうまくいくとは思わなかった、わたしって天才かもしれない、なんて笑って

 彼にプロポーズをけしかけたんです

 彼は婚約指輪を用意して、プロポーズをしてくれました

 そのプロポーズが

 「ボケたんだ」

 指輪のケースのふたを自分に向けて開いてしまって

 自分で驚いて、うわっ、って

 もう一回やり直していい?今のはなかったってことで、だって

 なんか、癒されました

 だから、彼のどこが好き、っていったら、そんなところだと思います

 「やっぱりコイツのボケは一生治らないね。バカやボケを治すのはどこの診療科目がいいのかな」

 ないと思いますよ

 でも、そういうところが好きだから、治ってほしくないです

 「ところでさ、末期癌専門病棟ってことは、自衛隊の向かいの病院だよね」

 はい

 「連続レイプ魔が出たところだ。確か、製薬会社のMRが正体だったとか」

 うわっ、もう街に広がってる。

 「コイツがガツンとやったって本当なの?」

 はい

 なんか、別人みたいでしたよ

 「未遂に終わったんだよね。とにかくよかった。でも、判決は多分無期懲役だと思うけど、実際は1年たたないうちに出てくるし、いい弁護士を立てれば、精神鑑定を捏造して、心神耗弱状態で無罪っていうこともある。性犯罪者は絶対に更生できないんだ。癖だから。そうなると犠牲者が増えるよね。今、巷で話題になっている神隠しって知ってる?正義のヒーロー。彼が現れてくれることを期待するしかないね。絶対に現れてくれるよ」

 詳しいんですね、犯罪に

 「元・警察官だったからね。上層部がアホでついていけなくなったから辞めたんだ。ほんとに日本の警察ってどうしてあんなアホばかりが出世するんだか、謎だね」

 元・警察官で神隠しを正義のヒーローと呼ぶ。

 すくなくとも肯定するってことは、まさか神隠しを彼にやらせているのは、この人?

 まさかね、それはないよね、ない


 やっと、彼の胃腸はラーメンを消化したみたいで、演奏を始めた。

 店に客はいない。

 わたしのためだけのコンサート。

 普段は思いっきりボケて、決めるところで決める。

 彼のそんなところに魅かれた。

 「アイツがおかしなことをやらかしたら、ここへきてよ。オレがアイツをいじめてやるから」

 はい

 でも、そんなことはないと思うよ。

 彼は永遠に、わたしの正義のヒーロー。

 わたしのウルトラマンだもん。