「いのちの学校」の第2回目まで1週間を切りました。

前回は新潟や福岡からも参加者をむかえて喜んだ一方で、

地元・鎌倉の方の参加がなかったことが残念でした。

 

ところが、第2回目の参加者はほとんどが地元の方なのです。

少しは知られてきましたね。うれしいですね〜。

 

「脳を健康にしてピンピンコロリ〜脳はいくつになっても鍛えられる」

というテーマでお話ししたあと、ヨーガのエクササイズをおこない、

そのあと、脳科学にもどついて中国古典「老子」の読解をおこないます。

 

「いのちの学校」なので、「いのち」とは何か、から語りはじめるのですが、

今回の導入部分には、かつてなく力が入っています。

 

おそらく、人間の「いのち」のすごさについて

ここまで語られることはなかったでしょうね。

だいたい、人間の「いのち」のすごさをわかっている人がいないのですから、

知りようもないのですが、それはとてももったいないことだと思います。

 

私たちは、じつは自分自身について何も知らないのです。

そして、自分たちがもつすばらしい財産を活かすことなく、

かえって浪費・濫費して財産を損ねるばかりです。

人間にふりかかってくる災厄・病気はその警告を発しているのですが、

そのシグナルの意味にも気づかないで、さらに状況を悪化させるのです。

その悪循環サイクルを断ちきろう。

それが「いのちの学校」のめざすところです。

 

 

第2回の「いのちの学校」の参加者には80代後半の方々が何人もいらっしゃいます。

私はもうちょっと若い年代を想定していたので、正直誤算でした。

つまり、最先端の脳科学を専門用語をまじえて紹介しようと考えていましたが、

90歳ちかい方々にとても通用するとは思えません。

そこで、一転しておそろしく簡単で、わかりやすく、

そしておもしろく、実際の生活に役立つお話に変えることにしました。

私自身、おおきな課題を与えてもらって、奮起している最中です。

 

それにしても、「90歳近くになっても生きることがわかりません。

それを学べると思うと、とても楽しみにしています」

なんてお言葉をとっても明るい声で聞かせていただくと、

お子さんの年齢にも満たない若輩の私はどうすればよいのでしょうか。

年齢はたしかに80歳や90歳の方にはどうしても追いつきません。

 

でも、私には秘策があります。

人生の密度や経験ではけっしてどなたにもひけをとりません。

長い間、月収が5万円以下の貧乏生活ながら、乞食状態をたのしみ、

行きたいところに行き、やりたいことばかりやってきた人生。

経済学部と文学部と医学部に学んで、大学院も博士課程までやりました。

でも、そんな学識は何の価値もないなんて、はじめからわかっていて、

チベット密教がほこる大乞食先生の教えがもっともすばらしかった。

この世で人間が経験できる最悪の精神状態におとしこんでくれて、

そこから自力で回復するという奇跡を体験できましたからね。

それで、自分の中に眠る「ヒトのいのちのすごさ」に気づいたから、

難しい病気で苦しむ人々が立ちなおることを助けることができる。

自律神経のバランスを思いのままにコントロールできるから、

自分の脳もコントロールできて、脳内モルヒネ様物質も出し放題。

覚醒剤や麻薬なんて使わなくても、この世の快楽をひとりじめ。

瞑想にはいれば、すべてを忘れて、まさに天国。

 

何が言いたいかというと、人間が自分の中に眠る驚異的な力に目覚めれば、

人生なんてそんなに苦しむものじゃない、ということ。

死ぬことだって、愛する者と別れることだって。

だって、そんなことは生きていたらあたりまえのことじゃないですか。

そんな自然なことを怖がることは「不自然」ですよ。

「不自然」を生きるから、どうしても無理が来て不安と恐怖にさいなまれる。

「自然に」生きることができれば、この世は何もこわくない。

 

90歳まで生きてこられたのだから、そろそろそういうことに気づいてほしいですね。