「いのちの学校」がはじまりました。

地元の人はいなくて、全国各地から来てくれました。

情熱にあふれる方ばかりで熱気にむせかえって

とてもよい時間を共有することができました。

 

少人数にして、ひとりひとりの顔をみられる。

そんな距離でないと大事な話は伝わらない。

そうでなければ大事なことはお話しできない。

 

ちょっとした事故もありました。

ネルケ無方が私との対談の様子を

ネット動画にアップしたのです。

すると、こんな話を公開するのはどうか、

という意見が寄せられてきました。

 

私は一般公開してはいけない話をしているので、

そういう意見が出るのは当然です。

ネルケ無方が即座に「幻の動画」にしてくれましたが。

 

密教の話は「真実の秘密」を語るので、

一定の資格をもつ少数の人々に向けてのみ語ることが許されます。

密教のオキテを知らぬ禅僧が

「無断」で動画を一般公開してしまったわけです。

世間を騒がせるのも当然のことです。

 

禅宗と密教では、まるでオキテが異なる。

その対照的な差異に気づいてもらうのも

「いのちの学校」の魅力です。

 

YouTubeで話すことができるなら

YouTubeでお話しいたします。

それが許されないから、

わざわざ密室を準備して定員を限るのです。

 

そういえば、この前、

脳性マヒの患者さんの初診をしました。

自己紹介して、私はふつうに診察をすすめました。

コンピュータのカルテに診察の結果を書いていると、

まわりが騒がしいことに気づきました。

ふりかえると、私についている看護師や、

患者の家族が「キセキだ、キセキだ!」と興奮しているのです。

 

はじめてその患者さんを診ている私には

何のことやらわかりませんでしたが、

ずっとその患者と生活をともにしてきた家族や

何年もその患者を診てきた看護師は、

いま患者の様子をみて驚き、興奮していました。

 

むずがって血圧や血中酸素飽和度の測定をいやがり、

ふだんはとても測定作業が進められないようです。

ところが、その日だけ、患者は笑顔でニコニコして、

すすんで測定に協力していました。

 

その後も看護師の興奮はおさまりません。

「カルテを書いている先生をみて、とってもはしゃいでいました。

 何がおこったのでしょう?」

 

こたえは簡単。

知性がじゅうぶんに発達しなかった患者さんの心はとてもピュア。

そのピュアな心が、もうひとつのピュアな心を見つけて、喜んだんだ。

 

知性を発達させると、なぜか心は汚れてしまう。

ピュアな心のままで、知性を発達させるのはむずかしい。

そんな言い訳は、まったくでたらめだ。

 

密教の修行をすれば、知性を極限までのばせて、

外国語も話すし、医学部を首席で卒業するくらい簡単だ。

そして、密教の修行をすれば、

心をいつまでもピュアに保つことができる。

あたりまえのことじゃないか。

そんなのは世界の常識だ。

密教はそのために開発された「究極の人間成長技術」なのだから。

 

「ふーん」

看護師は空を仰いだ。