人見知りであるボクをみて,
母ちゃんはボクに謝るのだ.

「きっと,
お前が小さい時に
大勢の人と会わせるようなことが
できなかったからだ」

「母ちゃんも,
外交的ではないから,
お前が小さな時に外に遊びに
行かなかったからだ」

「姉の時は,
じいちゃん,ばあちゃんが居て,
いろんな人が家に集まったから,
姉は人見知りしないんだ」

・・・
って.

それも少しは原因かもしれないけれど,
ボクは違うのかな.

おそらく,
ボクの場合は,
カッコつけようとする意思が強すぎたのだと思う.

小学生の時は,
周りなんか気にせず,ただ闇雲にバカをやり続けた.

けれど,
中学生になると,
何となく周りに対してカッコつけようとし過ぎた感がある.
どう考えてもその時から,
自分にバリアを張っていた.

自分もその時は,それでイイと思っていた.

でもなー,
そんなのゼッタイもったいないんだよね.
今もそう思うし,
当時だって,できることなら
いろいろな人と仲良くしたいと思う気持ち
あったはず.

あーーっ
めんどくさいーー
とボクが思っているとき


ボクの表情や動作に
感情が表われてしまうのか

はたまた

周りの人に気持ちが伝わってしまうのか

ボクが過剰に,相手も面倒だと思っているのだろ
と思ってしまうのか

分かりませんが,

やっぱり
あらゆることにおいて
うまくいっていないような気がする.

まぁ,おそらく
ボクがなげやりになっているのだろうな...


だって,
めんどうなんだもん.

ボクが人見知りすることは前述の通り.

それでも,
世の中うまくできているもので,
そんなボクでも友達はできるようになっている.

こんなボクに対しても
根気強く絡んでくれる人がいるものなんだ.
(これでもボクは,小学生の時は
わざわざ転校生に一番で話しかけに行くような人
だったのですけどねー)

そりゃ,
節目節目で
皆ボクに声をかけてくれたりする.
今はそんなことしないけれど,
高校の時は
せっかく相手が声をかけてくれたのに,
ボクから何も返答せずに終わってしまったことが
幾度とある.

そうは言っても,
ボクだって
「友達になりたかったなー」
とか
「あの時,一言でも何か言ってたらなー」

後悔するのだ.

チャンスをことごとくつぶしてしまった.

そんな,
黙り続けているボクに対しても,
必要なこと意外は語らない男らしさを感じる
とか
とって付けたようなことを毎日のように言ってくれ,
根気強く耐えてくれて
数ヶ月を要して,やっと仲良くなってくれる奴もいる.


根気強く絡んでくれる人は本当にありがたい.
その人がいなければ,
ボクはこのコミュニティで一言もしゃべらずに
立ち去ったかもしれないと思うことは多々ある.

人見知りでも,人と交わりたいのだ.
(たまに,ホントに一人でいたい人はいるのかもしれないけど)
ぜひ,かまってやってください


人見知りと,メシ食ってる時の吐き気は別ものかな???