A:錯綜しているのは現代人であって、ブログという媒体ではない。罪があるなら、このコンクリートジャングルをつくった大人の方にこそあるのでは?

B:確かにいつもの僕とは違って駄目なやつをほっとけという方向性ではなかったな。言ったように自己批判が含まれてたからと言うことにしとこう。ただコンクリートジャングルにも罪はない。適者生存。

A:そしてブログの優位性だのなんだのは関係ない。内容があるかないかを判断するのはあくまで閲覧者であって、本人ではない。言うなれば、歌詞の中身がない歌は歌ではないと批判する演歌好きのおっさんと目線として変わらないのでは?

B:読者と提示されたものが作品を作るという考えね。たしかに。

A:何でもない日常を切り取った目線にこそ詩的な絵や音が紛れ込んでいることもあるはず。そしてその何気ない日常に救われる人もいるのではと思う。僕自身、メッセージよりそういった風景を信じているし。

B:君のよく怒ってる言ってる密度とか強度の論点では僕が言う薄い、不毛なものは存在すべきではないと思うんだけれども。また違うかな。薄いぺらぺらな複製品が強烈な情景を生み出すのには限度がある。

A:無論、そういったものを感じられるブログが稀なケースであることは間違いないけれど。

B:そこが問題。でもまあ、だんだん淘汰されるだろうし進化にはごみがつきものだもんね。

A:ブログは人のために書くのではない。ただその人に見られるというフィルターをを通して自分の日常をろ過したいと考える現代人の寂しさを僕は否定できない。

B:人のために書くのではないブログ、ではなぜネットの世界に放り出す。ノートブックでいいじゃん。どこかで見られたいという欲があるからオンラインで書くんだろ。
そして現代人の寂しさ。依存性の高い人間の弱さってことかな。
自分がまずその世界で幸せになる方法だけをまず探すべきなのかな。