A:日記を書いて公表するやつの気がしれん。それはあなたが幸せな、充実した人生を送っていることを知らせたいだけなのでは。もちろん自分のために、メモのように書く日記もあるが。日記で語りすぎる奴は本当に幸福な奴ではないのだろう。日記をたらたら書かないやつこそ幸福だ。よい日記は。何を感じたかを書くのはあなたを知らない人に向けて。いやしかし、他人とのコミュニケーションの齟齬を埋めるために日記を書くのか。
B:理解されたいと望むのは人間の健康的な性質では?それが満たされることがないからといって、いやらしいと決めつけるのは早すぎませんか。
そういう意味において、ブログで共感を求める者が現れるのは現代社会において自然なことのように思うけど
A:僕は「正しい私」を知ってもらいたいと思って書いてある日記が駄目だと思うんであって、人の欲望その自然に発生するものは否定しないよ。
現代においてブログが流行るというのは現実でのコミュニケーションに問題があるから?それを解決するためのオルタナティブとしてのブログ、もしくは物理的に出会うことが難しい人との現実に満足した上でのコミュニケーション。健康度は違うよ。きっと。
いや、なんか長ったらしいな。
ーーーーーーーーーーーー
なんかとんちんかんな返事になるな、いつも。前日の自分の考えと今の自分の考えが違っている気がするからか。
今度はキーワードで書き直し。
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A:
健康的ー理解されたいという本質的なものに否定はなし。僕は日記とブログの違いを気にしているんだと思う。日記と聞いて僕が思い浮かべるのは
「今日はUSJに行きました。チョー楽しい!」というもの。
書くこと自体の否定ではなく逐一書いている人がいたりして、それが気持ち悪いと。
もう書けば書くほどわからん、のは楽しい。
情報が平等になりすぎていることへの反感、が強いんだろうな。もちろん不必要だと自分が思うのなら見なければいい、という意見はおいて置いて。
書くことで記憶の強化をしているのか。それなら悪くない。
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僕は日記上で他人に本を読みましたよ、と伝えることを本を読む際のモチベーション上げの道具に使っていた。そういうのをしていた自分への批判というのが一番大きいのかな。
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日記に書くのが情報なのか、あなたの感じたことなのか、そこが僕の文句のポイントなのかな。
言ってしまえば、情報は要らない。人の考えの取っ掛かりとしての情報しか僕は許容しないということなのか。
ブログとmixiの日記ではニュアンスが違う気がするしなあ。
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僕はいちいちまじめに思考的デトックスが必要なのか。分裂的過ぎる。
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と言うわけで。→
多くの人がただの情報を日記に載せ、その行為は自然でないと僕は考える。情報の共有ができるとみんなが知っている現在だからこそ脅迫的に「公表して共有された情報は存在しない」と考える人が多そう。これがSNS疲れの原因のひとつかな。
欲望は対象があるから生まれるという誰かの説の通り、ブログができたことで、理解されたいというような感情が過剰になり、誰も必要としていないことまでを毎日ブログに書いている人達。健康的には思えないなあ。本当に自然な欲求だとしたらかまわないんだけれども。
そうして情報を共有した、したつもりになった後に何が来るのか。全人類統合、悟りへの一歩としての情報共有なのかな。
日記を書いている時間があったのなら友達に電話やメールをするほうが良い気がするのは前時代的な考えなのか。
もちろん多数の人を対象としているのだからブログの優位性はあるが、本当にそれはあなたを知りたいと思っている人達への日記なのか。新規の読者を得るという手段ではあり新たな人との出会いを求めているんだろうけれども。それよりも町に出たほうがいいと思うんだけれどもな。どっちに優位を置くかと言う問題。
ブログが人々の剥離を加速させる。
となると、ブログよりはツイッターのほうが流れていく感じがあって良いな。短期間で消えていってしまうような方法でただの情報は書けばいいと思う。
海の中に釣り針がうようよあるような息苦しさを感じる。
結局何を言って何を質問されたのかは全く分からなくなってしまった。
ここで適度に編集を行うかどうかという問題。しるか。
B:理解されたいと望むのは人間の健康的な性質では?それが満たされることがないからといって、いやらしいと決めつけるのは早すぎませんか。
そういう意味において、ブログで共感を求める者が現れるのは現代社会において自然なことのように思うけど
A:僕は「正しい私」を知ってもらいたいと思って書いてある日記が駄目だと思うんであって、人の欲望その自然に発生するものは否定しないよ。
現代においてブログが流行るというのは現実でのコミュニケーションに問題があるから?それを解決するためのオルタナティブとしてのブログ、もしくは物理的に出会うことが難しい人との現実に満足した上でのコミュニケーション。健康度は違うよ。きっと。
いや、なんか長ったらしいな。
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なんかとんちんかんな返事になるな、いつも。前日の自分の考えと今の自分の考えが違っている気がするからか。
今度はキーワードで書き直し。
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A:
健康的ー理解されたいという本質的なものに否定はなし。僕は日記とブログの違いを気にしているんだと思う。日記と聞いて僕が思い浮かべるのは
「今日はUSJに行きました。チョー楽しい!」というもの。
書くこと自体の否定ではなく逐一書いている人がいたりして、それが気持ち悪いと。
もう書けば書くほどわからん、のは楽しい。
情報が平等になりすぎていることへの反感、が強いんだろうな。もちろん不必要だと自分が思うのなら見なければいい、という意見はおいて置いて。
書くことで記憶の強化をしているのか。それなら悪くない。
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僕は日記上で他人に本を読みましたよ、と伝えることを本を読む際のモチベーション上げの道具に使っていた。そういうのをしていた自分への批判というのが一番大きいのかな。
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日記に書くのが情報なのか、あなたの感じたことなのか、そこが僕の文句のポイントなのかな。
言ってしまえば、情報は要らない。人の考えの取っ掛かりとしての情報しか僕は許容しないということなのか。
ブログとmixiの日記ではニュアンスが違う気がするしなあ。
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僕はいちいちまじめに思考的デトックスが必要なのか。分裂的過ぎる。
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と言うわけで。→
多くの人がただの情報を日記に載せ、その行為は自然でないと僕は考える。情報の共有ができるとみんなが知っている現在だからこそ脅迫的に「公表して共有された情報は存在しない」と考える人が多そう。これがSNS疲れの原因のひとつかな。
欲望は対象があるから生まれるという誰かの説の通り、ブログができたことで、理解されたいというような感情が過剰になり、誰も必要としていないことまでを毎日ブログに書いている人達。健康的には思えないなあ。本当に自然な欲求だとしたらかまわないんだけれども。
そうして情報を共有した、したつもりになった後に何が来るのか。全人類統合、悟りへの一歩としての情報共有なのかな。
日記を書いている時間があったのなら友達に電話やメールをするほうが良い気がするのは前時代的な考えなのか。
もちろん多数の人を対象としているのだからブログの優位性はあるが、本当にそれはあなたを知りたいと思っている人達への日記なのか。新規の読者を得るという手段ではあり新たな人との出会いを求めているんだろうけれども。それよりも町に出たほうがいいと思うんだけれどもな。どっちに優位を置くかと言う問題。
ブログが人々の剥離を加速させる。
となると、ブログよりはツイッターのほうが流れていく感じがあって良いな。短期間で消えていってしまうような方法でただの情報は書けばいいと思う。
海の中に釣り針がうようよあるような息苦しさを感じる。
結局何を言って何を質問されたのかは全く分からなくなってしまった。
ここで適度に編集を行うかどうかという問題。しるか。