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灰が舞う。

 そんなことよりさあ、今日はアシッドマザーズテンプルのin Cというアルバムを聞きながら目を閉じて瞑想まがいのことをしていたら見えたんだ。何かがちらりと。
たまに寝入りばなに目を閉じてるのに目を開けているかのように目の前の情景が見えている、という感覚があるんだけれども、それと同じのが眠くはないのにでた。
寝入りばなの時とは違って奥の方にぼやけて、真っ黒の壁の中心だけが少し割れ落ちて見えてるような。
見えた情景は多分道頓堀の路地。そこにダンボールが捨てられていた。日は落ちていてオレンジ色の街灯の光が情景を覆っていた。
そのピンホールの穴を押し広げようと集中するがそのためか情景は見えにくくなっていく。そうか弛緩が必要か、と思ったときには時すでに遅し、ほとんどそれは見えなくなっていた。

何かを想像するのではなく何かが現れるのを待つというのは面白い。デヴィッドリンチの瞑想について書いた本catching The big fishを思い出した。リンチはTM瞑想で映像の断片を発見するのだという。マントラか、僕のマントラは何だろう。こんなのが毎回体験できるなら健康な心のために瞑想するのではなく純粋に瞑想だけを楽しめるんだろうな。

 今は大正区鶴町のお婆ちゃんの家にバスで向かっているが、移動中は暇つぶしの為かぺらぺら書ける。家だと最近は何かを書くスタンスにしばられている気がする。暇つぶしに書くのがいい。家なら別のことをして暇はつぶせるから。誰だったけ、僕のすることは全部暇つぶしだ、と歌ってたのは。
ああ、でも僕が書くのは暇つぶしというより時間つぶしだな。俺が沢山書いているときはよく移動してるか何かを待って手持ちぶさたな事が多い日か。テキストの分量で僕の生活を予測することができる

信号のためにバスのエンジンは止まる。話し声が響く。

それにしても本を読むよりは携帯の画面見てる方が車酔いをしない。文字の大きさか、それとも何か別の要因が。

うえ、酔ってきたた

こんな状態で嘔吐の主人公みたいに木の根っこ見たらどうなるんだ。超越的嘔吐を感じるのだろう。