皆さんこんにちは、珠下なぎです。

 

初めての方は初めまして。心療内科医でゆるく作家活動をしております、珠下なぎと申します。

現在、第60回講談社児童文学新人賞及び第26回児童文学ファンタジー大賞の最終候補となった、「遠の朝廷(みかど)にオニが舞う」をAmazonkindle版で発売中です。

 

本日も、7世紀の大宰府を舞台とした、この作品の世界をご案内するエッセイの紹介と、後半はチェリまほについて語りたいと思います。

 

 

 

 

LTA出版事業部のブログ、本日公開しました!

 

「遠の朝廷にオニが舞う」は、672年、白村江の戦いから約10年後の大宰府に、新羅からの公使を迎える場面から始まります。

 

古代の日本が唯一、外国と直接武力を交えた事実がはっきりしている白村江の戦い(663)。

 

日本+百済の連合軍が、唐+新羅の連合軍と戦って敗れた、くらいのことは歴史の授業で習って覚えておられる方もおられるでしょう。

 

けれど、この時代の大陸は、複数の国家が覇権を争い、複雑な勢力関係にありました。

また、それぞれの国は自国の利益のために様々な外交戦略を繰り広げ、白村江の戦いはその果てに起こったのです。

今回から3回(予定)に分けて、白村江の戦いについてお話ししたいと思います。

1回目の今日は、戦いが起こった背景について。詳しくはこちらをご覧下さい!

 

白村江の戦い (ltap.website)

 

さて、後半はチェリまほについて。

 

沢山の他のブロガーさんが、ドラマのチェリまほについて、「主な登場人物のセクシュアリティが明らかにされていない」ことを指摘されています。

このセクシュアリティとは、「性的指向」つまり、どの性を恋愛対象とするか、ということですね。

チェリまほの視聴者の方には釈迦に説法でしょうが、セクシュアリティとは主に「性的指向=どんな性の人を恋愛対象とするか」「性自認=自分の性をどのように認識するか」から成ります。

最近は外見について「どのような性として装いたいか」ということも付け加える研究もあるようです。

(れいわ新選組から参院選に立候補した東大教授の安富歩さんは、男性ですが好んで女性の服装をされています。性自認は男性で、多分恋愛対象も女性。自分のことを「女装」ではなく「女性装」と強調して言われているそうですが、これにあたるのかもしれません)

 

チェリまほにおいては、性自認において心と体の性が一致しないという人物は出てきませんので、ここでは主に性的指向についてのお話をしたいと思います。

 

漫画と違うのは、ドラマにおいては性的指向がはっきりと言語化されているのは、湊くんだけです。

(漫画では湊くんと柘植さん、まだ付き合ってもないですからね)

 

湊くんの友人の六角くんが「あいつがゲイだから、避けるんですか」と柘植さんに噛みつく場面。

湊くんの元彼も登場しますし、ここで彼は男性が恋愛対象の男性・ゲイであることがはっきりと言及されているわけです。

 

ところが、その他の登場人物についてはそれが明確には示されていません。

 

黒沢さんは安達くんを好きになりますが、他の男性に恋をしたエピソードは紹介されず、異性愛者であるのか同性愛者であるのかはあいまいにされています。

安達くんは、藤崎さんを「いいな」と思っている場面があるので、異性愛者であることがにおわされますが、過去に付き合った経験がないので、はっきりとしたことはいえない。

柘植さんは、男性の湊くんへの恋心を自分が抱いたことに戸惑っていますが、以下同文。

 

また、藤崎さんについては、「恋愛に興味ない」と言わせているので、アセクシャルの女性であることがにおわされますが、「アセクシャル」という言葉は出てきません。

 

一方漫画ではどうでしょう。

安達くんと柘植さんについてはドラマと同様ですが、黒沢さんは受け身にしろ女性との交際経験があり、異性愛者として人生を送ってきたことがわかります。

藤崎さんは「腐女子」設定ですが、腐女子は性的指向ではありません。

男性同士の恋愛を見るのが好きな女性、というだけで、性的指向とは無関係なので、藤崎さんの性的指向も明らかではありません。

 

色々こんがらがってきましたが、ポイントは二つだと思うのです。

①性的指向があいまいにされている主な登場人物が複数いること

②黒沢さんの性的指向が変化するものだと描かれていること(漫画版)

 

LGBTQについて今更解説するのは読者の皆さんに失礼だと思うので割愛しますが、チェリまほについてはそこをあえて分類せず、様々な恋愛の形を認めているのも魅力の一つだと思うのです。

 

性的指向については、「生まれつきのものであるので変化しない」ことが、アメリカでは同性婚を推進するのに重要な根拠となってきましたが、性的指向が変化しうるものであることを示す研究もあります。

「性的指向は変化する」ことを示したアメリカの研究 | 一般社団法人平和政策研究所 (ippjapan.org)

また、ソースは忘れましたが、以前NHKラジオで聞いた話では、イギリスの研究では「100%異性しか恋愛対象にならない」と答えた人の割合は意外と少なく、若い人ほどその傾向が強かった(若い人は3割程度だったと記憶しています)とか。

つまり、「どちらかというと異性が恋愛対象だが、そうでない場合もありうる」という人の割合は決して少なくないということです。

 

LGBTQの理解についてはまだまだ日本は後進国なので、もっと理解が進められるべきだと思いますが、チェリまほの世界はそこからさらに一歩進んで、「分類せず、型にはめず、恋愛に対して様々な形を認める」ことを提唱しているように思えるのです。

 

いわゆる「ゲイ」ではない男性同士が惹かれ合ったり、異性愛者の男性がゲイの男性に恋をしたり、「恋愛に興味がない」人物が登場したり。

藤崎さんの「安達くんは(人として)好き。幸せになってほしい。恋をしても、そうでなくても。相手が黒沢くんでも、そうでなくても」というセリフに、それが最もよく表れている気がするのです。

 

これは、どんな恋愛の形を選択しても、あるいは選択しなくても、その人が幸せであればいい。という究極の優しさだと思います。

「同性婚を認めると社会が混乱する」だの、「伝統が壊れる」だの「生産性がない」だの、自分と違う恋愛形態を選ぶ人間が幸せになることを許さないとばかりにぎゃーぎゃー仰っている人たち(しかも今の日本ではそういう人が多数派の顔をしている)とは対照的な姿勢。

 

私がチェリまほを「現代らしい優しさにあふれたドラマ」と評するのは、こんなところにも理由があるのです。

 

あ、思ったより長くなってしまいました。

最後まで読んで下さって、ありがとうございます!