昨日・一昨日のブログで述べたように、ミヒャエル・エンデの作品には、個人の心のケアを考えるうえで重要なヒントが隠されている。
しかし、それだけではない。
ミヒャエル・エンデの一連の作品は、個人の病を癒すヒントを示してだけでなく、社会全体の病理に深く切り込むと同時に、社会の病を癒す重要な手がかりを我々に示しているのである。
「モモ」には「時間泥棒と盗まれた時間を取り返してくれた女の子の不思議な話」という副題が付けられている。
この作品が発表されたとき、メディアはこぞって「時間に追われ、心の豊かさを失った現代人に対する風刺だ」と書き立てた。
だが、「モモ」の深遠なテーマはそれに留まらない。
「モモ」の中には、今なお深く社会に根差している深い問題へのまなざしが秘められている。
これからは、エンデが暴いた現代社会の問題について語っていきたい。
だが、その前に、明日からのブログでは、東日本大震災後に起きた福島第一原発の事故について思うところを述べたい。
原発事故の前後で日本社会は大きく変わった。
だがそれだけではない。
原発の問題は、今の日本社会において、エンデが暴いた現代社会の問題をもっとも端的に表していると思うからである。
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