休学の次の学年の大学三年生になると、仏文の普通の授業は物足りなく、バイト代が日給一万円でn先輩が竹中直人https://amzn.to/4bH6JHwばりに面白いし、セクシーチョコレートという平子さんと元岬のワルツさんがお笑いコンビを組んでいたので、平子さんがオナラで言葉を発する芸を披露したり、子役だったsさんがおっぱいパブの話をして、オボンですか?と聞くのでコボンですと深夜ラジオネタできりかえしたり、なんとなくバイトがつらくなく面白くなってきた。帰りに渋谷や下北で色々レコードを買っていた。
 onsaというレコード店やjet setというレコード店が下北沢にできたのもこの頃である。onsaでprefuse 73https://amzn.to/4bF7FMoやdon cherryhttps://amzn.to/3wwZBi2のレコードを買いjet setでは当時2階のidmやdtmのコーナーのレコードを買った覚えがある。
 授業は哲学や文化人類学などの講義を中心に出て回って、埴谷雄高の死霊https://amzn.to/3UUaB18 を読んだのもこの頃である。ドゥルーズ・ガタリのミルプラトーhttps://amzn.to/44U9p2kは大学の図書館で読んだが全く分からなかった。後で知ることになるのだが、埴谷雄高と吉本隆明https://amzn.to/453vJGVの論争で、コムデギャルソンhttps://amzn.to/44LmCKKや糸井重里、ビートたけしを肯定した吉本隆明が80年代の論壇で勝ったことを知る。
 ドイツ児童文学の講義やインド哲学もおもしろかったが、内容は忘れている。ちょうど本当は怖いグリム童話https://amzn.to/3K6KlLPが出たころだと思う。
 バイトの帰りに漫画喫茶に行き、墨攻https://amzn.to/3yxstqKや多重人格探偵サイコhttps://amzn.to/3QSGBS2を読んだのもこの頃である。
 また、vivienne westwoodhttps://amzn.to/4anMrl7 のブローチのyちゃんに誘われ、辻堂の浜辺に行くとdjブースがあり、ビーバンジーのラップやトランスが流れていて、バーカンがあった。あとでそこは、野村訓一さんのsputnikというプロジェクトだと知る。 
 ある日西麻布yellow というクラブにderrick may が来るというので、行ってみると、人がパンパンに入って踊っていた。また、2階に登る階段の途中でderrickがなんのレコードをかけ、どうプレイしているのかチェックする人もいた。derrick のdjは楽しかった。
 haraguchic君もf君もこの頃彼女ができていた。