高校に入り、中学で休み時間やっていたバスケをやろうと思った。中学の休み時間のバスケットボールがめちゃくちゃ面白かったのだ。あと、学区外だし、部活をやれば友達もできるという打算があった。
 しかし、現実はそう甘くない。友達はできたものの、同学年のバスケ部はみんな中学からバスケやポートボールでならしていたのである。バンドx japanが好きでバンドもやる、のちのキャプテンがムードメーカーでみんなやる気十分なので、先輩達も僕らも練習がハード。僕は一生懸命ついていくのがやっとだった。
 勉強は難しくなってきたけど、国語と世界史が面白く感じ、得意だった。中学で女の子問題も解決せず、野球も下手だった僕はこの頃からちょっとした劣等感を感じるようになっていった。
 夏休みは相変わらず、福岡へ帰省していた。親戚はあたたく向かい入れて、母方のじいちゃん以外の祖父母はまだ元気だった。
 そして小学生の時、仲のよかったヨシちゃんとシミ君とは中学高校が別べつでもたまに会って区民プールなどに行ったりNEO GEOというゲームをやっていた。
 朝練はまだ続いていた。朝練は自由にやれる気ままさから、野球が上達していった。なんの足しにもならないのにみんなでできるだけで楽しい。
 バスケ部の合宿でいち早くバスケ部をやめるk君は風呂の時間、壁をよじ登って女子バスケ部の風呂を覗いたり、s山君と一緒になって、コンビニに止めてある女子バスケのお気に入りの子のサドルを舐めていた。
 夏休み、高校は違うが中学の別のグループのヨコヤマとアオヤマとbrankey jet cityhttps://amzn.to/4aoFHU7なんかを聴いていた。
 後の高校生活は前述したとおりであるが、高校最後のクラスの体育祭でバスケ部の同じクラスのJo君と陸上部のI、ギャル男だが運動神経の高いO、ラグビー部の子なんかを集めて昼間の休み時間練習をしてたら、優勝してしまったのである。この頃、一時的に劣等感は消えた。
 髪を青に染めて、マクドナルドでバスケ部で食べてる3年生の終わり頃、ペイズリー柄の集団とかちあった。ちょっと僕が自意識過剰で睨んだのがいけなかったみたいでケンカになった。小学校二年生のときにひざ蹴りでノックアウトして以来、暴力はやめようと思っていたので、手を後ろに組んでパンチを避けていた。スポーツをやってた僕らは特に怪我もせず、そのうち警察がきて、向こうは車で逃げていった。
 書道の時間UAさんの雲がちぎれるときhttps://amzn.to/3QLSp8Eを墨で書いた。あと、造語で楽に健康の康で楽康と甲骨文字で掘った。ラジオではフェイ ウォンの夢中人https://amzn.to/3V7E1drやdemitri from parishttps://amzn.to/3V5p23yのlove love modeがかかっていた。
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 バスケ部をいち早く辞めたk君と元サッカー部のテクノ好きのg君とmasaki matsushima というドメスティックブランドが閉店セールをやるというので、シャツを1枚買って来たのだが、帰りの満員電車の井の頭線で貧乏ゆすりを僕がしてると、年配のサラリーマンに足が当たってしまい、その人に足を踏んづけられた。k君は立ち上がって文句を言おうとしたが、僕は制して、俺が悪いと言った。 
 この頃、酒鬼薔薇聖斗事件があった。