野球やバスケを部活でやり、勉強もそこそこできた(テスト前の一夜漬けですね)少年時代を過ごした僕は、高校生の頃、男子が浮き足だち女子がコギャルになっていくのを横目に我々男子バスケ部はさながら稲中卓球部https://amzn.to/44OHW1Hのようでサッカー部は二年生の半ば続々と部活をやめ、オシャレに気を使い出してきた。都立の高校という事もあり制服は必ずしも着なくていいし、髪型、香水などなんでも自由だった。
バスケ部で勇敢な一人が部活をやめたことをきっかけに、コンビニで当時伊勢谷友介さんや浅野忠信さん、ARATAなどがモデルとして出ているSMARThttps://amzn.to/4dM6cpy やMEN's NONNOhttps://amzn.to/3QPtwZrを立ち読みし、ブランド服、香水、聴いてる音楽をチェックして生意気にもちょっとしたオシャレをするようになっていった。 
そうしているうちに大学受験となり、僕は中央大学文学部仏文科に入ることになった。高校生時代にオシャレに目覚めてしまったので、中学生時代の野球部の双子の友達のひとりに聞いた建築屋のバイトで1998年の不況時には珍しく1日24000円の日当で仕事をしていた。そのお金で青山のSIMAという美容室で髪を切ったり、それを青に染めたり、代官山のaqua girl pour les hommeで服を買ったりして大学の仏文科の入学前のパーティーに行った。そのときの格好はアニエス・ベーhttps://amzn.to/3WNdK5oのボーダーロングT shirtsの上にW<の左袖のないロングT shirtsを重ね着し、コスチュームナショナルのパンツを履き、クリストフ ルメールのスクウェアトゥーの革靴を履いていた。そう、思いつく限りのモード系オシャレをしていったのだ。
 パッと見、なんの変哲もない黒パンツだったのだが、今もdjで活躍するharaguchic君が脇から歩いて来て、緑のフレームの青グラスのメガネごしに、「それ、コスチュームナショナルのパンツでしょ」とかましてきたのだ。はじめて会ったのになんでわかるんだろうと不思議に驚いているうちに友達になり、映画がharaguchic君の趣味で映画研究会に誘われる事となった。続く…。 
#drmtx #統合失調症 #サブカルチャー