みなさま、こんにちはもみじ


○皇大神社(内宮)の玄関ともいえる、宇治橋。

伊勢神宮の参拝記、その(2)になります。
いよいよ内宮へと向かいますが、その前に。(^.^)

内宮の門前、人々で賑わう「おはらい町」の中に、とてもかわいい神社があります。

その名もなんと「楓神社」流れ星


○楓神社

このお宮(祠)の地には、明治時代まで宇治四町の氏神として、山の神様を祀る「宇治山神社」があったそうです。

近くの山腹に「宇治神社」として遷された後も、おはらい町の守り神として大切にされ、傍らに大きな楓の木があることから「楓神社」と呼ばれています。

手水盤の水は、五十鈴川の伏流水を引いていて、長く神宮参拝者の喉を潤してきた泉とのこと。


○楓神社の楓の葉。

楓神社へは初参拝でしたが、私としては名前のご縁からも、是非一度と思っていましたので、嬉しい機会となりました。(ちなみに私の楓は、学生時代に留学したカナダの「maple leaf」でもありまして…(笑))


そして、五十鈴川にかかる「宇治橋」を渡り内宮へ。日本書紀では内宮を「五十鈴宮」(イスズノミヤ)とも記してます。

神明鳥居をくぐると、そこから先は内宮の聖域(結界)。(神宮の定義では、まだ神域の手前の神苑ですが…)
宇治橋が「聖界と俗界とをつなぐ(境にある)橋」といわれる所以です。


○皇大神宮(内宮)・正殿南御門

御祭神は、太陽神・天照大御神。皇室の祖神にして、日本の総氏神とされる女神様です。

面白いことに、伝存する最古の国史書「日本書紀」では、神名について「オオヒルメノムチ、一書に云はく、天照大神」(ある書物によれば、天照大神ともいう)とあります。

今日には、朝廷の正式な歴史書の本文に記された神名「オオヒルメノムチ(ノミコト)」ではなく、別名ともいえる「天照大(御)神」が伝えられてるのです。

余談になりますが、有名な戦国武将「真田幸村」についても、ご本人は一度も「幸村」という名前を使ったことがありません。

実際の彼は「真田信繁」(ノブシゲ)だったのですが、死後、江戸時代の軍記作家が物語でつけた「幸村」という名が一躍ヒーローとなったため、そちらが定着しました。
架空の名に比べて、本当の名はあまり知られていません。

歴史というのは実に不思議(&愉快)ですね星


○皇大神宮(内宮)・正殿

「日本書紀」は、飛鳥~奈良時代初期の政界の実力者・藤原不比等の影響下で編纂されたため、その内容には、彼の意向が大きく反映されているといわれてます。

皇室の祖神を女神としたこと、「天照大御神」から孫である「瓊瓊杵尊」(ニニギノミコト)へという、地上統治委譲(天孫降臨)の物語など。

これは、当時の女帝「持統天皇」から、その孫で不比等の娘を妃とする「文武天皇」への譲位という経緯を、反映しているとされます。

さらに、不比等自身がモデルような神界の実力者・「高皇産霊神(尊)」(タカミムスビノカミ、高木神)も登場するなど…たいへん興味が尽きないのですが、話がどんどん続いてしまうので、この辺にしたいと思います。(^^;


この後は、荒祭宮、風日祈宮(カサヒノミノミヤ)、月読宮と参拝してきました。
ブログも、その(3)へと続きます。


楓☆q(^-^q)

(Maple blog no,149虹)