
🌕 昔は世界中で当たり前だった「分割睡眠」──忘れられた夜の叡智を取り戻すとき
🌙夜中に人々は起きていた
夜に一度も目を覚まさず眠ることを”若い睡眠”だの“良い睡眠”と思うのは、実はごく最近の価値観だ。
近代以前の人々は、「第一の眠り」「第二の眠り」という二段階の睡眠リズムを持っていた。
ヨーロッパでもアフリカでもアジアでも、夜は二つに分けて過ごすのが普通だった。
日没後に床に就き、真夜中に一度目覚めて──
火をいじり、祈り、夢を思い返し、隣人と語り合い、そして再び眠る。
それが“人間らしい夜”だったのだ。
英国の認知心理学者ダレン・ローズ氏は、「深夜3時に目が覚めるのは、人間本来の自然なリズムかもしれない」と指摘する。
連続8時間睡眠は、産業革命と人工照明の副産物にすぎない。
私たちの脳は、もともと静寂の中間時間=“夜の間(あわい)”を必要としていたのだ。
🇯🇵日本にもあった「二相性の眠り」
この“分割睡眠”の文化、実は日本にもあった。
平安時代の貴族の日記や物語には、夜半に起きて物思いにふける姿がしばしば描かれている。
『枕草子』の清少納言も、『源氏物語』の紫式部も、夜中に灯火を手に筆を走らせていた。
当時は油も貴重で、夜の明かりを長く保つことは難しかった。
だから、日が暮れると早めに「宵寝(よいね)」し、丑三つ時(午前2時前後)に一度起きるのが自然だった。
その時間に、祈り、書き物、あるいは夢の続きを語り合う──
それが“夜半起(よわおき)”という言葉に残る習慣である。
農村でも「夜なべ仕事」という言葉があるが、これは完全徹夜ではなく、“夜中のひと仕事”を意味することが多かった。
つまり、江戸以前の日本人もまた「前の眠り」と「後の眠り」を日常としていたのだ。
🕯️行灯が夜を変えた
江戸時代後期、菜種油と行灯の普及が人々の時間感覚を大きく変えた。
夜は“起きて働く時間”へと変わり、分割睡眠は次第に姿を消す。
ヨーロッパでガス灯が登場して夜が「昼の延長」となったのと、まったく同じ流れだ。
眠りの形は、社会構造とテクノロジーの鏡である。
工場の稼働時間に合わせ、休憩も睡眠も“一括化”されていった20世紀初頭、私たちは夜の静寂を手放し、“効率”を優先する8時間通し眠りを標準化した。
だがその代償は、「夜に目覚めること」=「不安」という新しい病理を生んだ。
🌌夜のあわい──失われた「中間の時間」
かつて人々は、夜中の静けさを恐れなかった。
それは“眠りと目覚めの間”という、特別な意識の領域。
そこでは夢と現実の境がやわらぎ、心は深く、自分と出会う。
心理学的にも、この中間覚醒期は創造性や問題解決力が高まる時間帯だとされる。
トーマス・エジソンが昼寝の合間にアイデアを得たように、
“寝ているようで考えている”この時間は、人間の脳にとって重要なリセット機能なのだ。
🩵 眠りを取り戻す──マナッピ流「現代の分割睡眠」
現代人に必要なのは、かつての人々が持っていた“眠りの柔軟性”だ。眠りとは「意識の遮断」ではなく、「体内リズムの巡り」である。
夜中に目覚めたとき、焦ってスマホを見る代わりに、灯を絞り、呼吸を整え、心に浮かぶ思考をただ感じてみる。
20分ほどの“夜の静寂”を受け入れるだけで、
体内時計は静かに再調整され、次の眠りはより深く、穏やかになる。
これこそが現代版の“第二の眠り”──夜のリトリートである。
🌅 量子的に見ても「閾値の時間」
政治活動を2月末から始め、選挙終了までのあの数カ月。
睡眠時間は平均4時間──睡眠美容提唱者としては、まさに“反面教師”のような日々だった。
けれど、あの極限の時期に私は知ったのだ。
明け方4時頃、何かが降りてくる瞬間が確かにあるということを。
あの頃、私は1日に10本以上のブログを書くこともあった。
まるで「ブログ爆誕大魔王」さながらだったけれど🤣、
実際には、夜明け前、慢性不眠とハイテンションが生み出す奇妙な静寂の中で、どんどんアイディアが流れ込んできた。
この時間帯は、脳波がアルファ波とシータ波の境界をゆらぐ状態にある。
つまり、“現実”と“潜在意識”の膜が薄くなる時間。
心理学で言うハイパーアソシエーション(超連想状態)が起きやすく、異なる分野の情報が突然ひとつに結びつく。
それがクロス思考やメタ思考を生み、
それこそが──インスピレーションの正体なのだ。
🪷 結論:眠りとは、昼を支える「見えない祈り」
分割睡眠が消えたのは、文明が光を得た代わりに、
“闇の叡智”を失った瞬間でもある。
眠りとは、単なる休息ではなく、時間の哲学であり、心の再接続。
真のウェルビーイングとは、「夜の沈黙を取り戻すこと」なのかもしれない。
夜半の静寂にこそ、
魂の美容液が流れているのだから。
── Dr.MANA 🌙✨ Sleeping Beauty