🟥 前編|管理社会と福祉のあいだで──ディストピア映画に見る“予兆”

 

🐤 あれ?この感じ、デ・ジャ・ヴ…?

 

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』。

映画『ガタカ』『マイノリティ・リポート』『リベリオン』──

 

どれも“管理社会”の怖さを描いた名作たちです。

 

若い頃は、それらをSFとして楽しんでいました。

どこか遠い未来の話。

そう、フィクションとして。

 

でも、気づいてしまったのです。

 

🟢 現実が、映画を追い越しはじめている──

  • ウェアラブル端末が心拍や睡眠を記録し

  • スマートスピーカーが生活習慣を分析し

  • AIが「ストレス指数が上昇しています」と語りかけてくる…

今や私たちは、「健康のため」「安全のため」という名のもとに、24時間、自分自身の“ログ”を取り続ける世界に生きています。

 

そして、これって──

あの映画たちが描いていた社会そのものじゃない?

 

🎬 映画が描いた“管理社会のかたち”

作品タイトル

管理されるもの

奪われるもの

『1984年』

思考と言語

自由と異議申立て

『ガタカ』

遺伝子情報

努力という物語

『マイノリティ・リポート』

未来の行動

無実の可能性

『リベリオン』

感情(薬物で制御)

共感・芸術・涙

それぞれ違うアプローチですが、共通しているのは──

「人間らしさ」が静かに、見えないうちに、削ぎ落とされていく構造

 

🟡 いま現実に起きていること

  • 健康保険証とマイナンバーの統合

  • メキシコでは生体認証デジタルIDの全国民義務化へ(2026年までに)

  • 「健康スコア」によって保険料や就職の条件が変わる

  • そして──ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏による「全米ウェアラブル端末推進計画」

これらはすべて、「健康管理」や「予防医療の推進」という名目で進んでいます。

たしかに、それ自体は素晴らしい目的かもしれません。

私自身、医師として「統一電子カルテ」の利点は痛感しています。救急現場で、薬の履歴やアレルギーが即時にわかるのは、まさに命綱。

 

でも──

 

その“便利さの先”に、もしも“優生思想”や“選別社会”が待っているとしたら?

 

私たちは、何を差し出し、何を得ようとしているのか?

  • プライバシー?

  • 選択の自由?

  • それとも「未完成で不確実な自分自身」という人間の本質?

ディストピア作品は、決して“空想”ではありません。

むしろ今の私たちに、そっとこう語りかけているのです。

 

「その技術、本当に“人を幸せにする”形で使われてる?」と──

 

🟪 後編予告|それでも私は、テクノロジーに希望を託したい

 

見守りセンサーが、認知症の兆しを早期に察知する。

孤独死を防ぎ、家族の安心につながる。

通院できない方に、オンラインで医師の声が届く。

 

それもまた、“テクノロジーが命を救う”形の一つ。

 

次回は、そんな「やさしい使い方」への道──

“人間らしさ”を守るための医療とテクノロジーのあり方を、綴ってみたいと思います。