ちょっと本業が忙しすぎなので少し壊れ気味のこんちゃんです。今日はスナックのみほちゃんのお話ではなく、美保とミホのつながりを考えてみたいと思います。皆さんは美保神社ってご存知でしょうか?島根県の島根半島の東、小さな漁師町・美保関にある全国のえびすさんの総本社といわれる古社です。ここの祭神は事代主命と三穂津姫命の二神なのですが、出雲国風土記には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に 生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述があります。そこから元々の当社の祭神は御穂須須美命のみであったのが、記紀神話の影響により男女2神を祀ることになったと考えられるのです。ではこの御穂須須美命とはどのような神様なのでしょう?大国主神と奴奈川姫命の間に生まれた神は『先代旧事本紀』によると建御名方神(たけみなかたのかみ) になりますよね。そう考えると御穂須須美命=建御名方神ということなのでしょうか?謎は深まります。

 
美保神社は島根半島の東端にあり、事代主神系えびす社3千余社の総本社でもあります。
 
 港からは大山が一望できるまさに風光明媚なところに鎮座しています。
 
 旧社格は国幣中社で右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀っているそうです。
 
 ちょうど巫女さんがお掃除していました。いい風景ですね。
 
 ちゃんと本殿は男神の社は千木を外削ぎに、女神の社は内削ぎにしてあり、左が事代主、右が三穂津姫命になっています。
 
 
 こわそうな般若のお面も奉納してありました。そういえば島根県の西部では今でも玄関に魔よけの鬼として般若の面を飾っているそうですよね。
 
 
 ちょっと切り口を変えて、もともと美保という地名ありきで考えてみましょう。美保という地名は『神名の語源辞典』(志賀剛著 思文閣出版 1989)では「美保神社」(出雲・島根)の項に、「半島の先端を穂といったから美保は御穂である。それは稲の穂と同じように考え、海の幸を祈る意味もあったのであろう」との記述があります。しかし「地名アイヌ語小辞典」によるとmoy-hoとなり「岬の入り江の奥まっているところ」といった意味があるそうです。実際美保の関はその名の通りの地形をしていて、おいら的にはまず地名ありきだったんじゃあないかと思っています。ほかにも同じような地名は全国にありますよね。たとえば静岡県静岡市清水区にある三保の松原の三保も同様の地形をしていますよね。あと茨城県美浦村も同様の地形をしているとも考えられます。そういった地形のところに進んでいった神様といった意味で「みほ・すすみ・みこと」という名前がついたとも考えられます。同じ手法で建御名方神を解読してみると、tak-menasとなり「東からの玉石」という意味で実はおいらはヒスイの勾玉のことを指しているのではないかとも考えられるのです。そういえば彼のお母さんは奴奈川姫命でまさに彼女がいたといわれている糸魚川は日本有数のヒスイの産地ですよね。このつながりは偶然でしょうかねえ?

 古代日本のヒスイは重要な半島への輸出品だったといわれています。つまり糸魚川付近で採れたヒスイは日本海沿岸を経由して朝鮮半島へと輸出されていました。その富を独占していたのが古代の出雲国家ではないかと考えています。すると採れたヒスイを一時貯蔵する場所が必要だった、それこそが現在の美保神社のある美保関ではなかったかと考えます。そこへその利益を横取りする集団が現れました。それが古事記でいうところのタケミナカタとタケミカヅチとの相撲ではなかったかと思っています。そしてタケミカヅチ自体は常陸の多氏が信仰していた鹿島の土着神と考えられ、多氏は秦氏とも密接につながる古代の氏族ですが、ここ出雲の地にヒスイの利権をめぐり争いをしたという歴史があったとしたら興味深いことだと思っています。ただ、タケミカヅチという名は中臣氏が政権についた折、自分の神様を格上げした可能性があり、もとの神様の名前はフツヌシ神であったことは日本書紀に書かれているとおりです。
 
摂社の宮御前社です。横に御霊石というえびす様が釣りをしていたと伝わる島の近くで取れた丸い石があります。当初は2つ奉納されていたのですが、文化の造営に夢のお告げにより一つを海へ返したとのことです。丸い石を触るとお腹の子が健康に育つということで妊婦が撫でていたそうですが、今は柵が作られ手を触れるのはためらわれる感じです。

 
本殿裏にある若宮社です。若宮社の祭神は天日方奇日方命(あめひがたくしひがたのみこと)で事代主命の御子神です。合祀社として今宮社があり祭神は太田政清霊。更に合祀社として糺社(ただすしゃ)があり祭神は久延毘古命(くえびこのみこと)となっています。

 さて話は少し脱線しましたが、「ミホ」という地名自体はアイヌ語で解読でき、そこには古から神が祀られていた。それが御穂須須美命ではないかと考えます。が、今回行った美保神社は事代主と三穂津姫が隣り合わせで祀られているのです。三穂津姫は確かに大国主の妻ですが、事代主は記紀上では三穂津姫から生まれたのではなく、カムヤタテヒメが生んだ子供だとされています。なんで事代主は義母と並んで祀れているのか不明なのですが何とも怪しい感じです。出雲国風土記に書かれた御穂須須美命はどこに行ってしまったのでしょう?
 

 いました!現在は地主社として美保神社の境外社となって参道からかなり離れたところにぽつんと存在しているのです。同様の伝承が谷川健一氏の『北陸―地名の謎』に記されているのですが、能登の先端にある珠洲の地名は海上交通の守護神として御穂須須美命を祀ったという説があるそうです。しかし現在、御穂須須美命だけでなくタケミカヅチも祀られているそうなのです。そうするとやっぱり御穂須須美命は平安期以降の中央の政権から隠された神様なのでしょうかね。妄想は膨らみます。またどこかで御穂須須美命に出会ったら何かヒントがつかめるのかもしれません。