伊富利部神社

御祭神:若都保命 誉田別命
所在地:愛知県一宮市木曽川町門間北屋敷3714

由来:伊冨利部の社は伊福部(いほきべ)と読み上古伊福部の連は天孫瓊々杵之尊の子天火明命九世の孫弟彦之命の弟若都保命を御祖とされています。天火明命は鏡を作る技術を持ち若都保命は金属製錬の技をつたえたといわれています。この若都保命は聞きなれない神様なのですがどのような神様なのでしょう?若都保命は、天火明命の9代孫の弟で、尾張氏の一族であり、伊福部氏の祖でもあるといわれています。

 ではこの伊福部氏というのはどういった氏族なのでしょう?実はこの伊福部氏は津守氏、尾張氏、海部氏、掃部氏と並び壬申の乱で尾張の代表として兵をだし、のちに宿祢の称号を贈られた氏族です。この伊福部の「福」という字が笛吹=管楽器奏者という説もありますが、「笛吹」の言葉自体が製鉄・鍛治の隠語であり、この氏族は鍛治氏族と比定できますよね。実際「伊冨利部」を伊吹と類似させ、フイゴを吹いて古代の製鉄に従事した氏族ととらえる説もあります。


伊富利部神社の境内にある古墳です。


解説によると直径20mの円墳だそうです。この付近ではこのような円墳が多数あり、伊富利部氏(伊福部氏)がここを中心とした大きな氏族であったと書かれています。


古墳の上には祠がありました。

 実は前回のうさぎの話つながりで興味深いのはこの伊福部氏の一派は因幡の国の国造になっており、『因幡国伊福部臣古志』では、鳥取にある因幡国一の宮の宇部神社の祭神は武牟口命(たけむくちみこと)となっています。この武牟口命は同書では物部氏の遠祖である伊香色雄命の子とされています。つまり一方の伊福部氏は因幡の国の支配者となっており、美濃・尾張の伊福部氏は壬申の乱の功労者であったということです。これらに関連があるとしたら、因幡の白兎伝承はこの伊福部氏が関与している気がするのです。さらに伊福部は「いほきべ」とも読め、五百城とも表記できるのです。五百城といえば景行天皇の子供に五百城入彦皇子がいて、ヤマトタケルの異母兄弟です。そう考えると不思議なのはヤマトタケルを倒したのは伊吹の神であり、伊吹は伊福部ともつながり、弟にも五百城入彦皇子がいた。あくまでも神話上の話なのですが、もしかしたらヤマトタケルは身内に最後殺されるという話だったのかもしれません。まあ強すぎるのも敵が多いといわれますしね。


伊富利部神社の本殿です。


摂社に福徳龍神社という神社もありました。木曽川に近いので水神をまつっているのでしょうか?


福徳という地名は名古屋の北区にあり、そこには八龍社という庄内川の水神様を祀るお社があり、それのことでしょうか?各務原の手力雄神社にも同様の摂社があり、もともと龍信仰の盛んなところだったのでしょう。

そんなわけで

もう一つの伊福部神社は兵庫県の豊岡市にあります。実はこの神社、但馬の一宮である出石(いずし)神社からほど近いところにあるんです。出石神社といえば祭神は天日槍命と、出石八前大神ですが、出石という地名は伊豆氏にも通じ、現在の伊豆半島の語源とも考えられています。但馬は丹波の隣で車では30分ぐらいで行ける場所ですので、確かに籠神社の祭神天火明命も関係がありそうなのですが、残念ながら伊福部神社の祭神は素盞嗚尊となっています。しかし天香語山命も配祀されていて、尾張とのつながりもありそうに思います。しかし、天日槍命が表向き祀られなくなった時代に隠してこちらで祀っていたという伝承もあるそうです。ちなみに天日槍命とは新羅の国から自分の嫁さんを追って倭国に来たのですが、一説によると難波の手前で海の神様に遮られ、この但馬に住み、新しい嫁さんをもらったそうです。そういえば彼の子孫が神功皇后となっていますよね。これが本当であれば天火明命との関係性は菲薄になってしまいます。

伊福部神社
御祭神:素盞鳴尊、配祀 
天香山命、伊福部宿袮命
所在地:兵庫県豊岡市出石町中村809

伊福部神社由来:
当社は素盞嗚命、天香山命、伊福部宿袮命を奉祀す。創立年度不詳なれど天平19年伊福部連其祖天香山命を祀ると又成務天皇4年2月國造船穂足尼素盞命を祀る大生部兵主神社を弘原庄中村に鎮座し之を大生部神社と崇めた。(日本書記より)
 天正4年出石領主山名家より田畑三町歩の黒印を受く。又、江戸時代氏子より田の寄進あり。石高十石を有すも天保4年社殿炎上、安政2年本殿再建にあたり、出石藩主仙石讃岐守より寄進あり、現在の社殿が造営された。

愛宕神社御由緒:愛宕神社は火防の神の火結命を祭神とし奧津比古神・奧津比賣神を奉祀す。

由来書きはかなり読みにくくなっています。

これは愛宕神社の由来書きです。

これは大生部神社の由来から来ているのでしょうか?

拝殿です。なかなか立派なお社です。

横から見た本殿です。

横に小さな摂社が2つ

こちらはお稲荷さんのようです。

これは愛宕神社に続く階段でしたが、さすがに今回は登るのを見送らせてもらいました。

うーーん、伊福部氏を調べれば因幡と稲葉のつながりが見えてくるのではないかと思ったのですが、残念ながら但馬の伊福部神社にはヒントらしいヒントはありませんでした。しかし今後の宿題として、因幡の宇部神社やその祭神の一つとされる
日子坐王がなぜ岐阜に墓があるのかを追い求めたいと思っています。