上海・江東 食い倒れ?ツアー (6) 寧波 天一閣
 前回は寧波の海鮮料理をご紹介させていただきましたが、今回は寧波の歴史的建造物、天一閣(てんいつかく)をご紹介します。
 
 天一閣とは明代の范欽(はんきん)が建設した、現存する中国最古の書庫、つまり図書館のことですね。范家の家宅と共に博物館として一般に公開されています。それとここにはおいらが行きたかった「秦氏支祠」というものと「麻雀博物館」もあるのです。
 
これは天一閣の中の地図です。
中国版Wikipediaの維基百科から引用させていただきました。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%80%E9%98%81

 
入口にはユーモラスな狛犬が鎮座していました。 
獅子なのかマルチーズなのかよくわからなかったです。(笑)
 
入口右手に天一閣を作った范欽の像がありました。
 
その次にあったのは東明草堂の前の壁、唐獅子のようにも見えました。
 
  図書館としての蔵書は最盛期には7万冊の蔵書を誇ったそうです。
 
 陽明学右派で有名な黄宗羲もこの天一閣で学んでいたそうです。そう考えると間接的にもこの場所の明治維新への貢献度は少なからずあったのではないかとも考えますよね。吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山らは明らかに陽明学の影響を受けているのですから、、、、
 
現在でもかなりの蔵書があるそうです。
 
それらも展示されており、文化大革命の荒波をよくかいくぐって保存してあったと感慨深く見ていました。
 
立派な客間もありました。
 
図書館というよりは大学といった感じですね。
 
子供は何でこんなに本があるのかはきっとわからないでしょうね。
 
 そういえば陽明学の祖、王陽明も浙江省紹興府余姚県(現在の余姚市)出身で先の河姆渡遺跡の隣町でした。このあたりは明、清時代の中国の思想の中心地でもあったのですね。
 
 書庫の前には池が配置されています。これは景観のためというよりも防火用の水源であったと言われています。
 
 でも長年の歳月によって見事な庭園になっています。
 
 中華式の庭園を散策していると久しぶりに日本人のご夫婦にお会いしました。
 
 「あ、日本語だ!」と言ったら向こうのご夫婦も苦笑していました。今回の寧波旅行で初めて日本人にお会いしました。
 
 庭の中に愛らしい狛犬発見


どう?似てるでしょ
 

 
ほかにもユーモラスな寅の狛犬?がいたいり、、、、
そうこうしているうちに麻雀博物館に到着
 
各国の麻雀パイが展示されていました。
 
中国製の竹と骨で作った牌です。
 
日本製の一般的な「春夏秋冬」の花牌が入っている牌です。
 
イギリス製の点・棒形の図柄の入った牌です。
 
日本製の木で作った牌です。
 
 






中国製の一般的な竹牌ですね。
こんなかんじで各国いろいろな麻雀牌が展示されていました。
 
これは「平和堂」と書いてありました。
 
「ぴんふどう」と呼んでしまうのは麻雀好きの性でしょうか?
 
壁には麻雀の起源が書いてありました。
紀元前6世紀頃の春秋戦国時代、孔子が発明したという説もあるが定かではないそうです。
 
もっとも有力な説は明の万暦年間に誕生したカードゲーム「馬吊(馬弔、マージャオ、マーティエ)」に清の乾隆後に「骨牌」というゲームを合体させて麻雀を完成させたというものです。
 
つまり、カルタとドミノが合体したようなゲームだったようです。
 
明の時代には麻雀の原型として水滸伝のカルタもあったそうです。
 
ドミノも中国が起源でマルコポーロがヨーロッパに持ち込んだとも言われています。今の筒子の図柄と変わらないですよね。
 
実はこの博物館、日本語でも解説があったんです。でも文法ちょっと変?
 
麻雀を楽しむ中国人、欧米人、日本人と楽しく麻雀をしている銅像がありました。(やっぱり黒い人!?)

思わず「ロン!」と言ってしまいました。実はこの牌小牌しているそうです(笑)

そこから横に入っていったところにおいらの気になっていた場所がありました。
 
「秦氏支祠」
 これは近年になって建築されたもので寧波の商人一族の秦際藩、秦際瀚、秦際浩がその父、秦君安と張夫人と歴代祖先を祀った祠だそうです。建築は1925年と意外と新しいものでした。実は秦氏というとどうも日本の古代からの渡来系氏族の「秦氏」を想像したのですが、実はこの寧波のあたりには結構一般的に秦さん、いらっしゃるそうです。
 
建物の作りは前舞台と呼ばれる戯台が付いた建築となっています。実はこの建築様式がおいらは特に気になりました。
 
このせり出した舞台、何か思い出しません?
そうなんです。秦氏の末裔と称した世阿弥が始めたといわれる能の舞台のようにも見えなくもないですよね。
 
これは一般的な能舞台です。
 
 特に奈良時代の能の起源となった散楽は中国大陸が起源と言われています。もしかしたら散楽自体もこのあたりが起源だったのかもしれないですよね。そういえば史記に登場する徐福も一説によると寧波の慈渓市が出発地であったという説もあるそうです。慈渓市は杭州海上大橋の接続地であり、まさにこの一帯は、日本と中国とのつながりの深い地ではないかと考えるのです。