日本列島の始まりの島ってどこなのかご存知でしょうか?

古事記では淤能碁呂島(おのごろ島)、日本書紀では磤馭慮島(おのころ島)という島がイザナギ・イザナギの国生みの際の最初に生まれた島といわれています。二神はこのオノゴロ島に降り立ち、そこに天御柱(あめのみはしら)を建て、島々や神々を生み出したといわれています。実はこのオノゴロ島、淡路島の中におのころ島神社として祀られているのです。
 

自凝島神社(おのころ島神社)
所在地:兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)下幡多415
御祭神:伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)
      合祀 菊理媛命(きくりひめのみこと)
由来:この神社は、古代の御原入江の中にあって、伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島として親しまれ、崇敬されてきました。記紀によれば、神代の昔、国土創世のときに二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛をもって海原をかき回すに、その矛より滴る潮が、自ずと凝り固まって島となったそうです。これが自凝島の由来だそうです。
 
巨大な鳥居が目印となります。この鳥居、神戸淡路鳴門自動車道からも見られるので知っている方もいらっしゃるかもしれません。
 
その鳥居の奥にある丘が古のおのころ島だそうです。オノゴロ島は一般には架空の島と考えられていますが、実在する島だとする説もあります。記紀には仁徳天皇はこの島を歌に詠んでいます。また古書には誉田大王(応神天皇)、淳仁(帝)天皇が参幸されたことが伝えられています。もっともその島は諸説あり、播磨灘の家島、紀伊水道の沼島、紀淡海峡の友ヶ島の中の沖ノ島、玄界灘の能古島・小呂島等様々な島が考えられています。
 
こちらが本殿です。
 
ニ神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て、先づ淡路島を造り、つぎつぎと大八洲(おおやしま)を拓かれたとなっています。

八百萬神社です。八百萬神社は、おのころ島神社の摂社にて、本社の御祭神は国生み神生みをなされました。親神様の御神徳をたたえ、ここにその御子神の神々を八百萬神社としてお祀りしてあります。
 
ご神木が祀られています。これこそ天の御柱でしょうか?
 
この木をまわって二神は愛を叫んだのでしょうか?
 
 拝殿の前には、御祭神に「交(とつぎ)の道」を教えたとされる『鶺鴒(せきれい)石』がありました。あえて何を教えたかは秘密です(笑)
 
 そういえば学者がセキレイから交(とつぎ)の道を教えてもらったのであればそれは後背位だったのではないかと言っていましたが、酒の肴にはいいネタなのですがおいらのブログの格調(?)を損ねそうなのでここまでにしておきます。

さて、では日本の中心というネタはどこからくるのでしょう?
実はこのおのころ島の近くにある淡路國一宮の伊弉諾神宮にその秘密があるのです。
 
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)
所在地:兵庫県淡路市多賀740番地
御祭神:伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)
由来:記紀には伊弉諾命は淡路の多賀に祀られたとあります。境内地は、神代の昔に初めて夫婦の正道を契り定められ、大八州の国々を修理固成され、更に八百萬(やおよろず)の神々を生成された伊弉諾大神が、ご神功を終えたもううた後に、御子神なる天照皇大神に御譲位され「淡路の多賀」の地に御自らの幽宮(かくりのみや)を構えられたと伝えられています。
 
 神社では今古事記編纂1300年記念大祭をしていました。
 
 産道はさすがに淡路一宮、綺麗ですね。
 
 本殿入り口です。
 
その奥に本殿があります。
 
 本殿です。
 
 摂社の竈神社と根神社です。酒造りや醸造の守護神として祀られた神社で、災難避けと火防の神として信仰されています。
 
 左右神社です。伊弉諾大神の禊で左目と右目から出現された貴神を祀っています。この伊弉諾神社の東には伊勢神宮があり、眼病治癒の信仰があるそうです。
 
岩楠神社です。祭神は蛭子神です。イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子であったのですが、婚姻の際、イザナミが先に声をかけたのが原因で、満足のゆく子にならなかったため、葦舟に乗せて流されてしまったと伝えられています。蛭子命と2番目に生まれたアワシマは、2神の子には数えないとされている。後に蛭子神は、恵比寿(戎:えびす)と同一視され、信仰の対象となりました。淡路島の北端、岩屋港の傍には、岩楠神社の本社があります。
 
 県天然記念物の夫婦大楠です。
 
 見上げると非常に立派な大木ですよね。
 
 この神社は御皇室の始祖神として調停の尊祟厚く、坂上田村麻呂の末裔(田村家)が下向して祭祀を司るなど、高い格式をもって奉斎されました。その中でも御粥占祭という神事があり、忌釜に竹筒を納め、夜を徹して粥を炊き上げて、その年の吉凶を占うそうです。なんだか吉備津神社の鳴り釜神事に通じるものがありますよね。
 
 放生の神池です。この地で終焉の時を迎えられた伊弉諾大神は、その住居の跡に神陵を築いて(現本殿の位置)お祀りされ、これが最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。

さて、この地が日本の中心といわれている理由はこの神社の境内にありました。
 
 そうなんです。実はこの伊弉諾神宮を中心に太陽の夏至と冬至、および春分・秋分線に日本の主だった神社が配置されているのです。その石碑に刻まれた宮司の説明文にはこの伊弉諾神宮と伊勢神宮の中間点に藤原京が存在し、それぞれの神宮が太陽信仰と結びつき配置されたと書かれています。

つまり、伊弉諾・伊弉冉は本当に日本の中心で愛を叫んでいたのですね、、、、