今回の四国旅行のメインディッシュ、崇徳天皇をお祀りしてある讃岐の金刀比羅宮にいってまいりました。その様子を今回はご報告します。

 

金刀比羅宮
御祭神:大物主命、(相殿)崇徳天皇
所在地:香川県仲多度郡琴平町892番地1

由来:明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれていました。金刀比羅宮の由来には二説あり、一つは大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平宮に始まり、中世の神仏習合より仏教の金毘羅と習合し金毘羅大権現となったとする説。もう一つは大宝年間に役小角が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが始まりという説です。その後、長寛元年(1163年)に崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院に参籠したことから、修験道の御霊信仰の影響で永万元年(1165年)には、讃岐国に流されたまま崩御した崇徳天皇も象頭山松尾寺金光院に合祀しました。どちらにしても修験道と密接に関与し、明治時代までは神仏習合の聖地だったのですが、明治の神仏分離令で金刀比羅宮という神道の神社になりました。

そんな金刀比羅宮に登ってみました。ちなみに石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなるそうです。
 
始めの石段は少し上って平らなところがあるの繰り返しで、そんなにきつくはないですよ。両側にはお土産やさんがあるのですが、帰りにお土産を買う条件で杖をかしてくれます、、、というか無理やり貸し出されます(笑)
 
最初の大門が見えてきました。
 
 ここをくぐるとべっこう飴を売っています。
 
 参道を挟むように左右に並ぶ5軒の飴屋さんです。大きな傘を広げた古風な姿で参拝客を迎える五人百姓は、境内での営業を唯一許された由緒あるお店だそうです。
 
 日傘が風情ありますよね。
 
 更に登ると大鳥居が見えてきました。

 祓戸社で、祭神は瀬織津姫、外三神です。

 
 火雷社 で、火産霊神、外五神です。
 
  その上にある旭社です。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられています。ひときわ華麗な二層入母屋造の社殿には、屋根裏、柱、扉など至る所に天保美術の粋を集めた彫刻がほどこされ、完成まで約40年の歳月を要したといわれています。また、楼上に掲げられている「降神観」の3字の額は、清国第一級の書家として知られる王文治の筆になるもので、江戸の戯作者十返舎一九が、「こんぴら道中膝栗毛」のなかにこの額を見たと記してあることでも有名です。
 
 賢木門を過ぎ、
 
 ココまでは娘どもも元気でわーいわーいと登っていました。
 
 ここは真須賀神社です。八岐大蛇の伝説の天叢雲剣の神話に出てくるカミサマで、一説によると蘇我氏の祖先とも言われています。
 
 さー本殿への最後の石段です。
 
 ようやく本殿にやってきました。785段登頂です。!!
お参りをして
 
 そのあとの上からの眺めです。讃岐富士から瀬戸大橋と見渡せました。
 
 案内板もありました。

女性陣はここでお別れ、更に上へ行こうと誘ったのですが、下の資生堂パーラー「神椿」のパフェの誘惑に負け、ここで親子生き別れになりました(笑)よってココからは2元中継でいきます。

(奥社をめざすおいらからの中継です)
 
 ここから右手の山道を登ります。
 
 登るとすぐに常盤神社(祭神は武雷尊・たけみかずちのみこと)がありました。
 
 そして白峰神社があります。
 
  
白峰神社
祭神:正殿 崇徳天皇、相殿 待賢門院、大山祇神
由来: 崇徳天皇(このときは上皇)は保元の乱(1156年)に敗れた後、
讃岐綾の松山に移られ、この象頭山にも参篭されました。その後長寛2年(1164年)に白峰の郷にて崩御されました。その後崇徳天皇の怨霊伝説が囁かれる中、彼に御所で仕えていた阿闍梨章実(あきさね)というものがここに頓證寺というお寺を建立し崇徳帝の霊を菩提したそうです。


 崇徳天皇と天皇の御母である待賢門院をご一緒に祀られた神社となっています。色鮮やかな朱塗流造と桧皮茸の本殿は、明治44年(1911)から大正2年(1913)にかけて建てられたもので、古の荘厳な趣を醸し出しています。

(そのころ娘どもは)
 
 資生堂パーラー「神椿」に到着。

金刀比羅宮の文化顧問を務める田窪恭治さんが、建物の設計と壁などに描かれたアートを手掛けています。

圧巻なのは壁面の青い椿で、田窪さんの原画を有田焼陶板で焼いて嵌め込んでいます。嫁と娘どもはここでしばし休憩、ちなみにここのトイレとーーーても奇麗なんですよ。ふつう神社のトイレって入るの勇気が要るところばかりじゃないですか、、、、

(それでは奥社に向かっているおいらに中継戻します)

そんな嫁と娘の至福の一時など知らず、おいらは一心不乱に頂上を目指していました。

まだまだ階段が続きます。先ほどの階段より平らなところが少なくひたすら石段となってきました。


だんだん息切れがしてきました。あと少しで頂上です。


ようやく頂上へ到着しました。1368段完走です。やったー!!

厳魂神社
御祭神:
厳魂彦命
由来:
金毘羅大権現第4代別当、金光院宥盛は、和漢神仏の学問を修め、神力法力抜きん出て祭祀を整備、世に金剛坊として慕われ金毘羅大権現中興の祖と言われています。また、しばしば霊験をあらわし、慶長18年、死して永く当山を守護することを誓い正月6日忽然としてその姿を隠したと言われています。その高徳は、後年天聴に達し、安政4年6月27日孝明天皇より大僧正の位を贈られました。
 しかし、明治の神仏分離令により
宥盛は厳魂彦命と名前を変え、この奥社に祀られるようになりました。これが奥社の由来です。


奥社の西側、垂直に切り立った岸壁の上方に、荒々しい表情の天狗と烏天狗の面が掲げられています。これは苦行に明け暮れた修験者たちの天狗信仰によるもので、古の修験道の痕跡を現代にとどめているそうです。


あとは一気に降りるだけです。

(そのころ嫁と娘どもは、、、)

のんびりとパフェとプリンアラモードを満喫


どう?おいしそうでしょ、、、、とメールに添付するなー



(必死に降りているおいらは)
ようやく本宮にたどり着きました。

絵馬堂にはいろいろ面白い絵馬がありました。

いろいろな船の絵馬が飾られています。


中には宇宙飛行士の絵馬もあったりして面白いですよ。

と寄り道をして資生堂パーラー「神椿」着いたら

パフェなくなってた、、、、、、しょぼん
会計も済ませちゃったんだって、、、、、

しょうがなく家族と合流、また石段を下りました。


このようにお籠で石段を上まで登る方法もあるそうですが
片道3000円します。おいらたちは当然ただ見てるだけです。
こうして2時間半ぐらいで一番上まで行って戻ってきました。
そんなご褒美のおいらのごちそうは、、、

昔ながらのアイスクリン

1個200円です。


どうだ、うまそうだろう、、、、、、ちくしょー(笑)